フクロウblog | 2018 | 7月

医療法人和楽会の「フクロウblog」です。治療や講演会などの様々な情報をお届けします。

病(やまい)と詩(うた)【47】ー麻薬と絶望死ー(ケセラセラvol.93 夏)

東京大学 名誉教授 大井 玄

 

ドナルド・トランプ大統領は、予期されたように、テレビ・ショーの司会者らしい派手なパフォーマンスを政治・外交・経済の面で繰り広げている。
しかし、社会の健康に関心を抱く医師の視点からは、トランプ氏自身が、病むアメリカ社会の「症状」に見える。それを現す社会の基層に流れる生と死にかかわる現象に目を向けざるをえない。

その顕著な一例がオピオイド系鎮痛剤摂取による死亡の急激な増加であろう。この現象は、後述するアメリカ白人の「生存戦略意識」に関係するように見えてならない。
世界で臨床医にひろく読まれるニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌は、この4月、オピオイド系鎮痛剤による死亡者数が1999年から2015年にかけてアメリカでは約3倍に急上昇していると報じた。
2016年だけでも、オピオイド系鎮痛剤の過剰摂取による死亡は64,000件に上ったということから、疫病の大流行をおもわせる。この数字はべトナム戦争を通じた米軍兵士の戦死者数を超えるのだ! 続きを読む


感動するということ(ケセラセラvol.93 夏)

医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック 院長 吉田 栄治

 

藤井七段の活躍

将棋の話は、そろそろ終わりにしておこうと思っていたのですが、将棋の藤井君(君なんて呼んでいいのかなあと思いつつ・・・)は、あっという間に七段になってしまいました。まだ高校1年生です。まだ15歳です(もうすぐ16歳になりますが)。こうなりますと、またまた書かずにはいられなくなってしまいました。
今年5月に藤井六段は竜王戦の予選である5組ランキング戦の準決勝で勝利し、来年度の4組昇級を決め、昨年の竜王戦6組から5組への昇級に引き続いて2年連続の昇級となりましたので、規定により七段への昇段が決まりました。もちろん史上最年少での七段です。その後の竜王戦5組決勝でも見事な勝ちを収めて(コンピューターの読み筋を上回ったと話題になりました)決勝トーナメントへの出場も2年連続で決めました。

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職場での「うつ」の多様性について(ケセラセラvol.93 夏)

医療法人和楽会 横浜クリニック 院長 海老澤 尚

 

近年職場での「うつ」が注目されています。テレビやネット、雑誌などで特集が組まれることが増え、大きな関心を集めています。
職場での「うつ」は休養や抗うつ薬等の治療で回復する方も多いですが、なかなかよくならなかったり、再発を繰り返したり、復職しても欠勤がちだったり、職場で失敗が多く繰り返し注意されたり、周囲とのコミュニケーションがうまくいかなかったり、などの問題を抱え、安定した回復に至らない方も少なからずおられます。

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剛毅果断(ごうきかだん)(ケセラセラvol.93 夏)

医療法人和楽会 なごやメンタルクリニック 院長 岸本 智数

 

相変わらず時間があるとお昼にぶらぶらしています。先日、ノリタケの森に行ってきました。あの高級陶磁器、食器メーカーのノリタケカンパニーの本社に併設されている企業文化施設です。なごやメンタルクリニックからだと、ゆっくり歩いて、20分前後かかります。なぜノリタケの森に行ってみたかといいますと、クリニック周辺をうろうろと歩いている時にふと、地名の看板が目につきました。その看板には、「則武○○丁目」とありました。クリニックがあるのが「椿町」で、そのすぐお隣が「則武」という地名で、「のりたけ」と読みます。その時は特に考えずに流したのですが、後日ふと「のりたけ」ってもしかして食器のノリタケか?と思い調べてみました。すると、てっきり、のりたけさんという人が創業されたのだと思っていたのですが、実はノリタケは創業地である「則武」という地名に由来するそうです。ちなみに、1904年(明治37年)に森村市左衛門さんによって、日本陶器合名会社として創業されました。そういったことで、ノリタケの森という施設があることを知ったわけです。 続きを読む


マインドフルネスの臨床効果と脳科学 ②すこし思いやりの気持ちが持てるようになりました(ケセラセラvol.93 夏)

医療法人和楽会 理事長 貝谷 久宣

 

東京マインドフルネスセンターではヨーガの後に瞑想を25分しています。最後の5分は慈愛の瞑想(Loving-Kindness Meditation)です。慈愛と慈悲(Compassion)は少し意味が異なります。慈愛は、自分や他人が幸せになることを望む祈りです。慈愛はパーリ語でMettaと表現され、「無条件の親しみ」や「博愛」と訳されることもあります。自分や他人に対する善意を培う際に、私たちはいつでも慈愛を体験することが出来ます。一方、慈悲とは自分や他人が苦しみから解放されることを望むことです。苦しみに気が付いた時、それを願望や行動として和らげたいと思う時に、慈悲の心が生じます。実際には、慈悲の瞑想は慈愛の瞑想の一部であると考えている人もいます。

では、慈愛の瞑想はどのようにするのでしょうか。瞑想中に次のように心の中でつぶやきます:私が幸せでありますように! 私の悩み苦しみがなくなりますように! 自分に対する慈愛の瞑想が終わったら次には、自分に最も身近な人、親しい人、または好きな人に対して、その次には好きでも嫌いでもないその時にふっと顔が浮かんだ人に、その次に嫌いな人に、その次には生きとし生けるものに、最後にもう一度自分に対して行います。この時、嫌いな人を思い出すだけで心が乱れそうならパスします。

慈愛の瞑想中に参加者の様子を眺めていますと、皆さんの真剣な様子が伝わってきます。中には顔をしかめたり、涙を流す人もいます。慈愛の瞑想を真剣にすると瞑想がより深まります。

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