フクロウblog | 不安・うつの力30 後篇

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不安・うつの力30 後篇

本日のフクロウblogでは、前回に引き続き山田先生のコラム続編をご紹介いたします。

今夏のロンドンオリンピック・種目レスリングで金メダルを勝ち取った小原日登美さんの、その後のことについて触れています。

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平成16年(2004年)大学を卒業し、レスリングを続けるため自衛隊体育学校に入隊します。80kg(!!)近くになっていた体重を絞り、現役選手として復帰し、再び破竹の活動の日々が続くようになります。カナダカップとワールドカップで優勝します。2005年はワールドカップの出場を逃したものの、アジア選手権で優勝し、世界選手権で4年ぶりに優勝し、全日本選手権でも勝ちます。2006年と2007年の世界選手権で連覇を達成します。

2008年の世界選手権での優勝を最後に現役を一旦引退します。同年11月11日、防衛大臣浜田靖一から、女性自衛官としては初となる第1級賞詞(第1級防衛功労賞)が授与されます。現役引退後は妹真喜子の指導に当たっていましたが、2009年12月26日、妹が結婚を機に競技生活から身を引くことを明らかにしたため、日登美さんが現役復帰することとなり、48kg級で念願のオリンピック(ロンドン)を目指すことにまりましら。2010年9月に行われたレスリング世界選手権モスクワ大会で7度目の優勝を果たします。その後2010年10月、自衛官で地元の後輩の元レスリング選手小原康司さんと結婚し、共に現役選手を続けるようになります。

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夫は献身的に妻の練習を支えました。日登美さんも愛情あふれる夫の支えを大きな力とし、精神的にも大きな安定を得ていきます。本当の夫婦の力です。2011年9月13日に登録名を結婚後の戸籍名である『小原日登美』に変更します。同月、イスタンブールで開催された世界選手権で8度目の優勝を果たし、12月の全日本選手権でも優勝し、ロンドンオリンピック女子48kg級の日本代表選手に決定します。そして運命の日2012年8月9日を迎えます。順調に勝ち上がり、決勝戦は前年の世界選手権を同じアゼルバイジャンの強豪スタドニクでした。前回同様に第一ピリオドを落としてしまいます。「強い。負けるかもしれない。」と思ったそうです。しかし、日本を出発する前に、夫康司さんから渡された手紙「五輪に魔物はいない」という言葉が、急に思い出され、よぎった不安が払拭され、一気に再び試合に集中できたと言います。「魔除け」というのはあるんですね。

両目のコンタクトレンズがはずれ、何も見えない状況でしたが、夫の「攻めろ、前へ」という言葉を力に、自身でも「守るな、攻めろ」と言い続け、言葉通りにその後は相手を圧倒し、終了のブザーが鳴り響くのを聞きます。勝者「Hitomi Obara」が声高に言われ、レフリーより左腕を高々く挙げられ悲願の金メダリストとなりました。その後は感極まった表情で、両腕を高く突き上げ、腫れあがった両瞼を閉じ、積年の思いを全身から一気に開放、爆発した魂の叫びでした。夫は、泣きながら観客席から呼び続け、妻も泣きながら答え続け、出会える入口を求め続け、たくさんのマスコミや関係者に囲まれている人中をかきわけ、やっと日登美さんに辿りつき、強く抱き合い喜びを分かち合う姿は、純粋に感動的でした。日登美さんにとって、大きな挫折からうつになった事は、家族を一体とし、絆を深め、大きな支えと守りを得る事になりました。これこそ「うつの力」です。

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 日登美さんは金メダルという偉大な功績から特進し、陸上自衛官1等陸尉となり、また青森県県民栄誉賞、八戸市民栄誉賞を受賞しました。そして思い残すことなく現役を引退しました。これからは母親になる事が夢だそうですが、女の子が生まれたらレスリングはさせたくないと言っています。それだけ、苦しい日々であったのでしょう。しかし、苦しんでうつになった人のみが味わえる大きな感激と幸せも得ることができました。これも「うつの力」です。