世相診断 社会を見る眼
注目される社会不安障害(SAD)

―――“恥ずかしがり屋”は治る?―――

近年、患者数が増加している「心の病」。注目を集めている「社会不安障害」は、新しい概念の病です。内気さや人に対する恐怖感などに起因する悩みを、「性格の問題」として諦めていた人に治療可能という光を当てています。医療法人和楽会理事長の貝谷久宣さんにうかがいました。

人類普遍のテーマ

 社会がどんなに便利になろうと、時代がいかに変わろうと、人間関係に関する悩みは普遍的なテーマです。特に「自分は他人からどう思われているのか」と思い患うことは、社会的動物である私たちが生活していく上で避けがたいことでしょう。

 最近、マスコミなどで多く取り上げられている「社会不安障害」(社会不安障害を意味する「Social Anxiety Disorder」の頭文字を取って「SAD」とも呼びます)も、人間関係の悩みが大きく影響している心の病気です。

 社会不安とは、会議で発言を求められたり、大勢の人の前でスピーチをするなど「他人から注目される場面」や、初対面の人、目上の人と話すなど「緊張を強いられる状況」に対して強い不安や恐怖を覚える心の状態です。私たちは強度の不安や恐怖を感じた時、「手足の震え」「息苦しさ」「動悸」「発汗」「赤面」などの身体症状が誰にでも現われます。これはごく一般的な反応ですが、社会不安障害は、これらの身体症状や精神的苦痛が、日常生活を送る上で“障害”にまでエスカレートする病です。

 震え、赤面などの身体症状は、意識すればするほど激しくなり、それにつれて緊張と不安はますます高まるもの。この病においては、こうした悪循環に陥り、やがて人とかかわる場所に出ることを避けるようになります。学生なら不登校から中退、社会人なら退職に至るケースも多く、社会から孤立してしまうのです。

 また大きな特徴として、「家族や親しい友人と過ごすプライベートな場面では症状が現われにくく、本人の苦しさが周囲に理解されにくい」「発症年齢は10代が最も多いのに対して、受診年齢では30代が中心で大きな隔たりがある」などがあります。つまり、他人から理解されにくいので、当事者は誰にも相談できずに一人で悩みを抱え込んでしまいがちなのです。社会生活が普通に営めなくなるほど病状を悪化させてようやく受診にいたるケースが多いのはそのためです。

 症状が悪化していく進行性の病気ではありませんが、治療をせずに放っておくと本人の苦しみはどんどんつのり、うつ病やアルコール依存症などの精神疾患を併発する場合もあります。社会不安障害の症状は、家族など周囲の人間だけでなく本人も、過度の内気、恥ずかしがり屋などの「性格の問題」と捉えることが多いようです。周囲の方は、「頑張れ、勇気を出せ」と励ましたり、「努力が足りない、怠けだ」などと非難しがちですが、精神論で治るものではありません。かえって病状を悪化させることがありますので注意が必要です。

社会不安障害は、適切な治療を受けることで比較的簡単に改善していく病気です。もし「社会不安障害かもしれない」と少しでも疑いを持ったら、精神神経科や心療内科を受診してください。ほかの病気と同じく、早期発見・早期治療が回復へのいちばんの近道です。

特別な病気ではない

社会不安障害は、実は最近登場した病気ではありません。その定義は「対人恐怖症」と呼ばれていた病気から、「妄想を伴う精神病的な症状(妄想性障害や人格障害など)」を除いたものです。近年、特に患者数が増えているわけでもないのです。

 まず、1980年にアメリカ精神医学会が「社会不安障害」という新しい概念を定めたことで世界的に注目されました。日本で注目を集めるようになったきっかけは、以前からうつ病の治療に使われていた「SSRI」という薬が社会不安障害の治療にも大きな効果を発揮することがわかり、平成17年に厚生労働省が保険適用を認めたことです。さらに近年社会問題化している二ート、引きこもり、不登校と社会不安障害との関連を指摘する声が上がっていることもその一因でしょう(ただし現在研究中で、関連性について詳しいことはわかっていません)。

 注目を集めた最大の理由は、近年、うつ病やパニック障害など、心の病が多く発症するようになり、前述の背景からマスコミで大きく取り上げられた社会不安障害に関心と興味が集中したためでしょう。つまりこの現象は、いかに多くの人が潜在的に人間関係の悩み、問題を抱えているかの現われでもあると私は考えます。

 アメリカにおける最新の研究では、一生の間に社会不安障害にかかる人の割合は、「0.5〜16%」とも「3〜13%」とも推測されています。日本国内でも潜在的な患者数は300万人以上にものぼると推定する専門家もいるように、社会不安障害は、特別な病気ではありません。

 世代を問わず発症する病気だということも、特別な病気ではないことを表わしています。発症年齢で最も多いのは、進学や就職などで社会との接点が多くなる思春期前や成人早期です。そのほか、主婦が子どもを産み、公園デビュー、幼稚園や保育園への入園などで母親同士の付き合いが生じるとともに症状が現われるケース、30〜40代の男性が管理職となって人前で話す機会が多くなって発症するケース、退職後の再就職で職場環境が変わったことで発症するケースなど、発症年齢も原因もさまざまです。

 発症因子には、「遺伝的に不安を感じやすい体質」「小さい頃の体験・育ってきた環境」の二つがあることが現在までにわかっています。
「遺伝的に不安を感じやすい体質」とは、興奮や緊張を感じた時、その刺激を大脳に伝え、さらに必要以上に刺激を伝えないように調整している、セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質の受容体(レセプター)に何らかの異常がある、あるいは恐怖や不安を司る脳の扁桃体が生まれつき小さく、不安が抑えられないなどです。
「小さい頃の体験・育ってきた環境」は、子どもの頃に失敗して人前ではやしたてられた体験がトラウマになっている、自尊心が高く自らの失敗を認められない、子どもの頃から人見知りや引っ込み思案の傾向が強いなどで、それに当てはまる人に、社会不安障害発症の確率が高いのです。

 しかし、原因が特定できたとしても、遺伝的な体質や育ってきた環境は今さら変えようがありません。大切なのは、自らの体質や環境などの過去をいたずらに悔やむのではなく、病気の症状も含めて“ありのままの自分”を素直に肯定し、今後どう生きたいのか、病気とどう付き合っていくのかと前向きに考えていくことです。

恐怖や不安の持つ意味

 治療では、「脳内神経伝達物質の乱れを調整する薬」と、物事の受け止め方や考え方が前向きになるように捉え直し、それを日常生活の中で行動に反映していく「認知行動療法」(コラム参照)を組み合わせて行なうのが一般的です。ただし、社会不安障害の治療の目的は、恐怖や不安を根絶することではありません。

 不安や恐怖に伴う身体の変化は、危険を察知して次の行動に移るために必要な反応なのです。

 私の患者の一人に一流の演奏家がいます。社会不安障害で演奏前には治療薬を常用しています。しかし、その方は自らの病を前向きに捉え、「この不安が演奏前の気持ちを高揚させ、よい演奏ができるのです。不安があるからこそ最善を尽くせる」と言っています。

 不安や恐怖にも意味があることを知り、それらとうまく付き合う方法を学ぶつもりで治療していくことが重要です。

 これはあくまでも個人的な意見ですが、昔は社会規範が大切にされ、親の子に対するしつけも厳しいものでした。ですから、人間関係に多少の悩みがあっても、「学生は学校で勉学に励む」「社会人は会社で職務を全うする」のが当たり前の時代でした。こうした社会環境の中、現在ならば軽度の社会不安障害と診断される人も、否応なく現実に立ち向かっていくことで、自然と認知行動療法と同様の効果が得られたケースも多々あったのではないでしょうか。そうした意味で、この病は社会規範や両親のしつけが失われた現代の「時代の病」といえると思います。

 人間は一人で生きていけません。そして社会不安障害の患者に限らず、誰もが多かれ少なかれ人間関係に悩んでいます。

 社会不安障害という病気を知ることで、悩みを一人で抱え込み苦しい毎日を送っている人にひと筋の希望を与え、同時に、みなさんの日頃の人間関係のあり方を問い直すきっかけになってくれればうれしいですね。(談)



 1993年にアメリカで行なわれた調査では、一生の間に社会不安障害にかかる人の割合(有病率)は、13.3%にのぼりました。同時期にスイスで行なわれた調査では、16%。調査方法や診断基準が同一ではないので単純に比較できるものではありませんが、2002年に行なわれた日本の調査では、2.3パーセントでした。

 「恥の文化」が根底にあり、内気な気質の東洋人に多い病気と考えられていましたが、これまでの調査では、日本、韓国などのアジア諸国より、欧米において有病率が高いという意外な結果が出ています。

 欧米の、「積極的に意見を述べ、自己アピールする」ことが当たり前の社会では、社会不安を持つ人が生活を送っていく上でより厳しい環境にあり、患者数を増やしているのでしょう。逆に日本のよ
うに「恥の文化」を持つ国では、多少の社会不安を持つ人も社会から容認されやすく、「社会不安障害」という「病気」にまで至らないことも一因として考えられます。


社会不安障害の患者が陥りやすい「思い込み=考え方のクセ」(例えば、マイナスのイメージや思考)を修正し、新たな行動パターン(前向きな行動)を獲得することを目的に進められる心理療法です。

@《認知修正法》……行動の前提となる考え方(認知)の偏りに気づき修正する方法。思い込み(1.白か黒か 2.「たまたま」と思えない 3.否定的な予測、など)→別の考え方(1.グレーゾーンもある 2.状況は変化する、次回はうまくいくかもしれない 3.否定的なことが起こると決まってはいない、など)。
A《エクスポージャー(暴露)》……あえて苦手な状況に身を置くことで、不安や恐怖に慣れていく方法。「10人以上の会議でも発言できるようになる」など、自分の克服したい点を明確にし、具体的目標を数段階に分けて設定し、最終目標に向けて一つずつ課題を実践していく。
B《ソーシャル・スキル・トレーニング》……社交術を学ぷことで、対人不安の軽減を図る方法。笑顔やリラックスした姿勢など、相手に友好的なイメージを印象づける訓練をし、「自分から微笑みかけて挨拶をする」「会話を楽しむ」など人の中に溶け込んでいく訓練をする。

「社会不安障害」

http://www.shypeople.gr.jp/

貝谷さんらが運営するウェブサイト。自己診斯テストが受けられ、患者さんの体験談が読めます。

「SAD NET」

http://www.sad-net.jp/menu.html


「SADキャンペーン事務局」が運営するウェブサイト。SADのさまざまな基礎知識と、診断・治療を行なっている全国の病院を紹介しています。

倫風 11月号 P72-77, 2007