労働者の失意

医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック

貝谷 久宣

人間会議 冬号2009,p22-27

我慢できない若者が増えている
広がる社会の“精神的格差”

最近よく耳にする「新型うつ」という症例。働き盛りの若者が不調を訴え、休職願を出す。
心療内科を訪れる人々の様相も、時代とともに変わってきている。
裕と貧の両極の事例について、現代日本の世相の一面を紹介する。

草食系男性はこうして作られる

 昔は診察室で泣く男性などいもしなかったが、今ではそんな男性を時々見かける。男性の女性化現象、いわゆる草食系男性は心療内科でも例外ではない。ここに示すのはその典型例である。
 27歳になるA君は母親に伴われて来院した。
 A君は一流企業のシステム・エンジニアである。トップクラスの国立大学工学部修士課程を終えるまでは順風満帆であった。元来内気なA君は会社の中では黙々と仕事をしていたが、入社3年目のある日、ビッグプロジェクトの締め切り間際で大きなバグが見つかり、課長はそのプロジェクトチームを烈火のごとく叱りつけた。A君一人の責任ではないのに、課長の怒りをA君はすべて自分の責任のように受け取った。それからというものは課長が怖くてたまらなくなった。その後、同僚のB君がある日無断欠席した。仕事の締め切り間近で皆火の玉のようになって働いていた時期で、また、課長の雷が落ちた。これはA君とは全く関係がないにもかかわらず、A君は課長の雷に怯えてトイレに逃げ込んでしまった。このようなことがそれからも時々生じていたが、B君をはじめ他の社員はまあ何とか課長のガミガミに耐えていた。しかし、A君は月曜日の朝になると体がだるく会社に行くのが大変億劫になった。無理をして家を出、地下鉄を降り会社のビルが見えてくると嫌な吐き気を覚えるようになった。そんな日々が続く中、母の友人のお嬢さんがある男性と結婚話が進んでいることを耳にした。心ひそかに憧れてはいたが内気なA君は自分の思いを言い出せずにいたところに、この話である。A君は人生が終わったように感じた。
 これが決定的な打撃となり、A君は会社を欠勤するようになってしまった。夜になるとわけもなく涙がこぼれ、突然激しい孤独感、むなしさ、不安感の混合した大変辛い情動に襲われ、さらに、それに引き続き、課長が大声で叱咤激励する場面がフラッシュバックし
た。A君は自分の行く末を悲観し、不安・焦燥に駆られた(不安・抑うつ発作)。日中はこのような気分に襲われる事はなく、一日中何をするでもなくゴロ寝をして、菓子パンをいつも手元に置いて食べ、ーカ月で体重が8sも増加した。元気な時は部屋の整頓や掃除などを結構こまめにやっていたA君だったが、こんなになってからは何をするにも気が進まなく、無為無関の日々を送った。ただ、好きな囲碁のテレビ番組は欠かさず見た。それに、中学時代の数少ない気心の知れた友人から誘われれば外出することができた。インターネットで囲碁をするようになり、だんだん昼夜逆転の生活になっていった。まさに気ままな生活に堕ちた。診察時、母は“夜遅い時間に新潟まで電話がかかり、ママ寂しいから来てというのです。この子は内気ですから……。これから私がしばしば上京してこの子の婚活をします!”と27歳になる息子の顔を嬉々として見ながら話すのであった。

横並び教育から縦割りが残る企業へ

 この事例は「新型うつ病」の典型例である(医学的には非定型うつ病)。うつ病とは食欲、性欲、睡眠および社会的活動欲といったヒトの本能をつかさどる脳部位の機能低下が生じた状態である。その意味ではこの事例はうつ病とは言えない。むしろ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と言ったほうがよいのであろう。課長の雷に傷つき、会社が怖くなり避けている状態である。その証拠に好きな囲碁教室には通えるのである。本来のうつ病は生活のすべての場面で不活発になる。A君は元来の対人恐怖(国民の約20%は対人恐怖、近年は社交不安障害という)のために他の人より課長の言葉に敏感に反応するようになっていった。昔なら、無理やり会社に出勤しているうちに恐怖対象(課長)に脱感作が起こり、認知行動療法ではこれをエクスポージャーという、会社に適応していったものである。
 先日の朝、あるテレビのトークショーで中学の教師が、“最近の生徒は我慢ができなくなった。すぐギブアップしてしまうか切れてしまう”と述べていた。何でもすぐ手に入る社会、少子化、ゆとり教育、人権主義などがどの家庭の子供をも。“お坊ちゃま”と。“お嬢ちゃま”にしてしまった。先生、師匠、先輩の存在感が薄い横並び社会から縦並び制度が残る企業に入った一部の若者は適応不全を起こしてしまう。現代は、若者の心を規制する状況が少なくなり、十分に心の鍛錬がなされていない人が多くなった。
 筆者はこれらの対策として、18歳前後の1年間、健康な若者には公共の施設で働く義務を課したらよいと考える。障害者施設や老人ホームでの勤労奉仕、海外途上国への援助活動、国防と災害時に出動するための部隊(自衛隊)での訓練、など団体生活の体験は若者の心身の鍛錬、国民としての自覚、そして国家の経済に大いに寄与するものと考える。

慈しみ育てた“三つ子の魂百まで”

 前述の事例は恵まれた人々の精神障害であったが、心療内科にはその対極に位置する不幸な境遇の人々も訪問してくる。この意味でもわれわれの住む社会の精神的格差も広がっていると考えられる。
 17歳になる女性Xさんが不眠というありふれた症状を訴えて来院した。インタビューで深刻な問題が顕わになった。実はこの1年間、風俗の店で働いているという。父は酒乱でXさんが物心つく頃には離婚しており、母一人子一人で小学生の頃まで困窮の中で育った。小学校の6年生の時、学校でいじめを受けている子をかばい、反対にその加害者の母から家に苦情が来た。それを聞いた母のパートナーが激怒してXさんに暴力を加えたという。母もXさんには決して優しくはなく、常に身勝手で、中学1年の時、Xさんを祖母に預けて行方不明になった。中学を卒業した年にはその祖母も亡くなって一人になってしまったという。その後、Xさんはパチンコ店の店員をしたり、居酒屋のお運びさんをしたり、職を転々とした。Xさんの病気が首をもたげたのは3カ月前であった。夕方仕事に行く準備をしていると、胸部苦悶、呼吸困難、死の恐怖に襲われ救急車を呼んだ。内科的所見のない、いわゆるパニック発作である。それ以後、お店でもしばしばパニック発作が出るようになり、ついに仕事に行けなくなった。夜一人になると、涙があふれ、孤独感に苛まれ、小さいころの虐待場面がフラッシュバックし、絶望と焦燥のはざまで、やりきれず、リストカットをしてしまうことを繰り返していた。睡眠は浅く、悪夢でうなされる日々が続いていた。
 Xさんはパニック障害を発病し、激しい不安・抑うつ発作のために睡眠障害をきたしている状態である。虐待を受けた人は受けなかった人に比べ、パニック障害の発症頻度は10倍以上高いと報告されている。また、13歳以前に親と離別した人は、そうでない人に比し、うつ病やパニック障害が飛躍的に起こる確率が高いという研究もある。
 このような事実を説明する基礎研究が最近発表された。ラットはその仔を舌なめずりして育てるという。カナダの女性心理学者は舌なめずりをほとんどしない親ラットの仔と、十分にその行動をする親ラットの仔のストレスに関係する遺伝子を調べた。すると舌なめずりされていない仔の遺伝子は十分に活性化されず、抗ストレスホルモンの産生が極度に低下した。そして、舌なめずりしない親の仔を一日一定時間ブラシで愛撫すると、抗ストレスホルモンの遺伝子は活性化されたという。このようなことからも、ヒトを含めた哺乳動物は幼少時に十分に可愛いがられて養育されないと、後年ストレス性精神障害になりやすいことが明らかである。“三つ子の魂百まで”とはよく言ったものである。ヒトの脳は生後3年までにその基本部分が完成する。であるから3歳まで十分なスキンシップをもって慈しみ育てると、安定した性格の子が育つ。近年、パニック障害やうつ病などのストレス性精神障害や自殺者の増加が問題となっている。これは、この20〜30年間の日本の文化・文明の変遷の一つの結果であろう。

子どもの精神発達に好ましくない社会

 それらに関連する社会変化をみよう。虐待を受けている子どもが異常に増加している。平成18年度に、全国の児童相談所で対応した児童虐待相談対応件数は、37、323件であった。統計を取り始めた平成2年度の約34倍である。親のない子どもも増加している。厚生白書によれば、1955年の離婚率は2.43%であったのが、1995年には4.28%と倍近くに増加している。母親に直接育ててもらえない乳児も増えている。厚生労働省が平成13年に実施した「第1回21世紀出生時縦断調査」と東京都分集計結果(東京都産業労働局「男女雇用平等参画状況調査」)かち、出産後6カ月の調査時(現在)に働いている母の就業状況について出産1年前と比べると、有職者の55.0%(常勤)47.4%、パート等79.4%)が出産後、無職になっていた。この数を逆に見ると、出産して半年後に復職している母親は45%ということになる。
 筆者の知人のある女性医師は生後3カ月の長男を保育園に預け、本業に復した。一部の統計を見ただけでも、近年の日本は子どもの精神発達に好ましくない状況がどんどん広がっているように見える。ここで注意を喚起したいことは、この社会現象の犠牲者はその社会現象をさらに促進する悪循環が生じることである。このような日本の状況を打開する道はあるだろうか。ここで筆者の尊敬する大井先生の本の一節を紹介してこの小文を閉じる。“自立自尊の「アトム的自己」によって富の分極化を加速させるグローバリズムから「つながりの自己」によって他者や環境へ配慮する来るべき倫理への転換を模索する”(大井玄『環境世界と自己の系譜』みすず書房、2009)ことが現代日本が進むべき一つの指針であろう。