
ストレス講座 〜その31〜
交流分析による自己発見
(その3)
早稲田大学人間科学学術院教授
野村 忍
ゲームとは?
交流分析が急速に普及したのは、エリック・バーンが書いた'Games
People Play'(邦訳「人生ゲーム入門」)という一冊の本によるものでした。この本の主題が「ゲーム」であり、その定義は「繰り返し行われる一連の交流で、最後には両者が不快な感情を残して破壊的に終わるもの」です。バーンは、その著書の中で「キック・ミー」、「はい、でも」、「さあーつかまえたぞ」など、日常の生活でよくみられるゲームの例を30数種類あげ、卓越したネーミングと交流パターンの分析で、一般大衆の関心を呼ぶことになりました。日頃の生活の中で、「いつか同じ様なことを感じた気がする」、「なぜか〜がやめられない」、「いつも、どうしてこういう結果になってしまうのだろうか」というような感じをもった時は、何かゲームを繰り返している可能性が強いと考えられます。ゲームは、必ず破壊的に終わるので、「ゲームをやっているとわかったら、すぐにやめること」が解決の糸口です。
ゲーム分析の実習
それでは、実際にゲーム分析をやってみましょう。以下の手順にしたがって、メモに書きとめてみましょう。
| @ |
最近の経験で何か不愉快なことを思い出してみます。 |
| A |
以前にも同じようなことを経験していたかどうか?→Yesなら、ゲームの可能性が強い。 |
| B |
ゲームの5つの典型的な特徴を持っているか? |
| 1 |
何回も繰り返されている。 |
| 2 |
自分ではゲームと自覚していない。 |
| 3 |
最後にラケット感情を経験して終わる。(ラケット感情とは、幼少時期に獲得された操作的に使う感情、不愉快ではあるがおなじみの感情) |
| 4 |
裏面交流を伴っている。(裏面交流とは、表面のメッセージとは別のメッセージのやりとり) |
| 5 |
驚きや混乱の瞬間がある。(予想外の思わぬ結果になってしまって驚く) |
これらにあてはまると何らかのゲームをやっている可能性があります。そこで、自分でそのゲームにタイトルをつけてみましょう。例えば、「悲劇のヒロイン」、「わかっちゃいるけどやめられない」などなどです。
人はなぜゲームを演じるのか?
ゲームは最後には不愉快な感情を経験して破壊的に終わります。それなのに、なぜそのようなゲームを続けるのでしょうか?ゲームをしている時、プレーヤーは幼少期に身につけた子どもじみた時代遅れの戦略に従っているのです。
1)ゲームは、ネガティブなストロークを獲得するためのゆがんだ手段である。
人は本来的に愛情や賞賛、注目などのポジティブなストロークを獲得することによって成長するわけですが、それが十分に得られない場合には、無視されるよりは非難、中傷などのネガティブなストロークを求めます。例えば、子どもがわざといたずらをして怒られる、大きな声で泣き喚いて親を困らせるなどです。
2)ゲームは、時間を過ごす手段である。
ある人と時間を過ごす場合には、何もしないでじっとしているのはなかなかつらいものです。愛情あふれる親密な交流があれば良いのですが、そうでない場合はゲームをやって最後にお互いに不愉快にはなりますが、それでもある時間を一緒に過ごすのには役に立ちます。新婚時はラブラブの熱い関係でも、年月を経るとイヤミをぶつけ合うという奇妙なバランスの関係に変化します。これもゲームの一種です。
3)人は、自分なりの信念を反復確認するためにゲームを演じる。
例えば、「人は信じることはできない」という信念を持っている人は、わざと相手にふっかけて、手ひどいしっぺ返しをもらいます。すると、やっぱり「人は信じられない」という自分の信念は正しかったという確認を反復して行うというわけです。
新たな人生へ向かって
このように、ゲームは繰り返して行われ最後には不快な感情で終わるわけですが、自分ではまさかゲームを繰り返しているとは気がついていません。なぜ、いつもこうなるのかと首をひねるばかりです。一方では、不愉快だけれどもいつものなじみの感情で居心地が良いということもあります。適度のゲームであれば、それはそれで役に立つかもしれませんが、どんどんエスカレートして人間関係を壊し、身を滅ぼすようになっては元も子もありません。古ぼけたゲームから脱却し、新たな人生への第一歩を踏み出しましょう。
ストレス講座は今回をもって終了します。長らくご愛読いただきありがとうございました。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.52 2008 SPRING
 
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