不安の力(T)

― S.フロイトの場合 ―

医療法人 和楽会 横浜クリニック院長

山田 和夫

 不安があると、人はそれから回避しようとする場合と、それを克服しようとする場合があります。後者の場合、その力によって何かを創造する場合があります。今回から、この「ケセラセラ」にコラムを連載させて頂く事になりましたが、私はこの関心事「不安の力」によって生まれた創造について書いていきたいと思います。精神療法というものも、そのような自己の強い不安の分析、自己治療の過程から生まれてくる場合がよくあります。フロイトの精神分析や、森田正馬による森田療法もそのような過程から生まれてきた治療法です。フロイトも森田も元々パニック障害があった人です。当時は薬も治療法も何も無かった時代です。パニック障害という概念も無かった時代です。自ら切り開いて行くしかない時代でした。

 シグムンド・フロイトは1856年5月6日、チェコスロバキアの小都市フライベルクにおいて、下層中産階級のユダヤ商人である父ヤコブ・フロイトの第三子、母アマリア・ナターゾーンの最初の子として生まれます。父ヤコブは、40歳の時。19歳のユダヤ商人の娘アマリアと3度目の結婚をして、翌年フロイトを、次いでその後の10年以内に次々と7人の子供を儲けたため、フロイトは上に2人の異母兄と下に5人の妹、2人の弟がいました。

 フロイトは何よりもまず若き母の最初の息子として母の限りない誇りと愛を独占して成長しています。フロイトは常に家庭の中心的存在であり、家庭の期待は彼の元に集まりました。1930年、93歳という高齢で亡くなるまでフロイトと暮らした母は、いつまでもフロイトのことを「私の黄金のジキ(Sigmundの愛称)」と呼んでいたといいます。後半生においてフロイトは自ら「母のこの上ない寵愛を受けた人は、一生涯征服者という感情、すなわち成功への確信を持ち続け、しばしば現実の成功をもたらす」と述べています。

 フロイトが3歳の時、産業革命による手工業の衰退と織物業の不振や民族主義と結合したユダヤ人への反発が強まったこともあり、異母兄2人はイギリスに移住し、フロイト一家はライプチヒからウイーンに移住しました。この際、フロイトは強い分離不安を体験します。「一人置き去られることへの恐怖」=『広場恐怖』につながります。フロイトの青年期におけるパニック障害の背景には幼少時における分離不安、広場恐怖があった訳です。フロイトはその後においても、待ち合わせた場合、取り残されてしまう恐怖感から1時間は早く着くようにしていたといいます。現代の欧米のパニック障害にも類似な面があります。

 17歳の若さでウイーン大学に入学し、25歳で優秀な成績で卒業し、生理学研究室に入り研究活動をスタートしますが、Brucke教授から「君はユダヤ人だからいくら業績を挙げて行っても教授にはなれない」と言われ、初めての強い挫折感を味わいます。翌年生理学者の道を断念し、臨床医になるため、総合病院神経科に勤務します。この頃よりパニック障害が生じるようになっています。強い動機、めまい体験、即ちパニック発作を起こすようになり、心臓病恐怖、乗物恐怖、胃腸症状、抑うつ状態を呈しています。同年マルタという5歳年下の女性に一目惚れして、30歳で結婚しますが、パニック障害は更に悪化します。フロイトはこれを性欲の抑圧(次々子供が生まれたため)による、脳幹部における交感神経の興奮状態によるのではないかと推測しました。これは現代における生物学的病因に合致する部分があります。40歳の時、父ヤコブが病死します。この時パニック障害は最悪となります。その頃、友人の耳鼻科医Fliessに自分の悩みを手紙に書いて送り、アドバイスを受けていました。その過程で自らのエディプス・コンプレックスを発見します。即ち母親を愛するあまり、無意識の中で父親を嫉妬し父親の死を願うという有名なコンプレックスです。そして実際父親の死が現実化し、その無意識の罪悪感から不安障害が最悪化したという解釈です。そのことを自覚し、受け入れ、Fliessへの依存からも自立して行った後、パニック障害が改善しました。そしてこの一連のプロセスが精神分析療法として確立していきました。正に精神分析療法は「不安の力」によって産み出された治療法な訳です。

 フロイトはパニック障害の真っ只中にいる時、38歳時(1894年)に「神経衰弱症から、ある極立ったまとまりを持つ症候群を分離する根拠―――不安神経症」という論文を著しています。この論文によって世界で初めて現代に通じる「不安(Anxiety)」「神経症(Neurosis)」とい概念が提示された訳です。フロイトは自己自身の症状と実際に治療した十数例の症例から特徴的な共通した10症状を取り上げ、それが「不安」に基づいた症状であることを分析し「不安神経症」と命名しました。画期的な業績と言えます。10の症状とは以下のような症状です。

1 全般的な過敏性
2 不安に満ちた待機状態:予期不安のことです。
3 不安発作:パニック発作のことです。
4 不安発作の不全型、代理症
5 驚愕覚醒:夜間睡眠発作のことです。
6 めまい:重要な症状の一つとして取り上げています。
7 恐怖症:例えば広場恐怖です。
8 消化器の機能障害:過敏性大腸症のことです。
9 感覚異常:前兆のようなものです。
10 いわゆる慢性不安症状:慢性期の不安うつ病のことです。

 フロイトの記載した不安神経症の症状は、正に現代のパニック障害と相通じていないでしょうか。フロイトは「心の問題」がまだ混沌としていた19世紀末に、これだけ明確に不安の疾患概念を取り出してきたわけです。この概念、臨床像は100年以上経った科学万能時代の現代においてもその本質は変わり無く継承されてきていることは、驚嘆すべき分析力と思います。フロイトにはこれ以外にもたくさんの発見、業績があります。これらの多くは、「不安の力」に因ってもたらされたものです。不安は人間にとって、否定的なものだけではありません。「不安」はその人を前に動かす「力」にもなります。今後このコラムでは、そのような事例を順次取り上げて「不安の力」、不安の意義といったことを考えていきたいと思います。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.41 2005 SUMMER