不安・うつの力(]Y)

― 矢沢永一氏の場合 ―

医療法人 和楽会 横浜クリニック院長

山田 和夫

 矢沢永一氏は辛口の文芸評論家で関西大学文学部の名誉教授です。第10回で取り上げた作家 開高健氏の古くからの文学における同士、盟友でした。かつての日本病跡学会総会の特別講演で「小説家開高健とうつ」というお話を直接伺った事もあります。開高健氏は双極性障害でしたが、盟友の矢沢永一氏も双極性障害と思われます。双極性障害同士で、心の波長もあっていたように思います。お互いが良く理解できていました。今年の2月17日に「僕のうつ人生」(矢沢永一著、海竜社)という本が出版されましたので、早速読みこのコラムで「矢沢永一氏のうつの力」として紹介したいと思いました。

 矢沢永一氏は昭和4年大阪市に生まれました。因みに開高健氏は翌昭和5年同じ大阪市に生まれています。昭和32年関西大学国文科大学院博士課程を修了、在学中に開高健、向井敏等と同人誌「えんぴつ」を創刊しています。専攻は近代日本文学で、関西大学文学部教授を経て平成3年退職し文芸評論家として活躍しています。舌鋒鋭く著書は100冊を超えていますが、その毒舌さ、多作さは双極性障害に由来していると思います。書誌学の分野はもとより、該博な知識に裏打ちされた社会評論、歴史批評には定評があります。文芸批評をまとめた「完本紙つぶて」でサントリー文藝賞を受賞し、他に大阪市民表彰文化功労、大阪文化賞、読売文学学賞、毎日書評賞等多くの賞を受賞しています。主な著書に「人間通」(新潮社)、「日本の裏事情に精通する本」(PHP研究所)、「400字で読み解く明解人間史」(海竜社)、「老年の智恵 人生の英知」(海竜社)、「ビジネスマンのための中国古典の明言100」(海竜社)等があります。題名からして双極性障害(循環気質)を感じさせます。

 「私が最初にうつ病になったのは、旧制大阪府立天王寺中学1年生の14歳の時である。」しかし当初はうつ病とは判らず、疲れ易い体質と思っていました。疲弊(うつ病)の時期は、ひたすら疲れが抜けるのを待つのみでした。うつ病と診断され、自身認識したのは50歳を過ぎてからの事でした。「いま私は79歳であるから、それから60数年間というもの、うつ病と闘い続けてきたことになる。その間、語りきれないほどの浮き沈みを経験してきた。どうにもやりきれず、嘆きに沈む日が長く続いたこともあった。それではいけないと自らを叱咤激励し、なんとか立ち直ったことも1度や2度ならずある。思い返せば、その繰り返しが私の人生であったといっても過言ではない。うつ病と闘う中で、私は大変な苦しみを味わったし、無為のうちに失った時間も多い。しかし、その分、うつ病のさまざまなケースを身を持って体験したともいえる。その中から、得るものがあったのも事実である。」即ち、これがうつの力である。「これまで数多くの書を著してきたが、結果的に、うつ病であったから物する事ができた成果も少なくない。幸いなことに、私はうつ病の時でも、当時の仕事とは関係のない資料や文献、書物であれば読むことができた。それによって蓄えたものを、うつ病から立ち直って元気になった時に本にまとめたりした。」これがうつの効用であり、多作の背景です。

 矢沢氏は今ではうつ病になって良かったといいます。うつから快復するために、他のジャンルの事をする事で立ち直ったため、学問だけでなく幅が広くなったと言っています。うつを治す為のいくつ
ものヒントも語られています。うつ病は早くクリニックに行って治療を受ける事を勧めています。私も言っていますが、必ず治ると言っています。開高氏にも治療を勧めましたが、開高氏は治療は受けず、うつに浸っていました。開高氏は治療しなかった事で小説家となり、矢沢氏は治療した事で評論家になっていったとも言えます。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.56 2009 SPRING