不安・うつの力(]]V)

元プロ野球選手長嶋一茂氏の場合

医療法人 和楽会 横浜クリニック院長

山田 和夫

 長嶋一茂氏は、御存じの通りミスタージャイアンツ長嶋茂雄氏の長男です。父親を慕い、後を追うようにして立教大学を経て、スワローズからジャイアンツに入団します。しかしそこに無理があったようです。壁にぶつかり、猛練習をするも1軍に定着できませんでした。そのような2軍生活の中で突然強い眩暈発作 パニック発作を起こすようになります。以下の内容は最近出版された自身による著書「乗るのが怖い1私のパニック障害克服法」(幻冬舎新書195、2010年11月30日発行)によります。この本は、題名がストレートに表していますように「パニック障害、乗物恐怖」体験が赤裸々に記述され、その表現があまりにもリアルなため、読者にもパニック障害の恐怖が実感されます。恐怖の中で、発作の起こる中でどのように社会生活を耐え忍んでいくかも実感されます。患者さんの恐怖を実体験できる点からも、この本はパニック障害の診療に携わる、医師、臨床心理士、医療スタッフに大変有用と思います。

 長嶋一茂氏は1996年、ジャイアンツ1軍選手でしたが、不調のため5月に2軍行きを命じられ、不調の中でうつうつと生活していた時、知人のマンションの屋上で花火大会を見物していた際、突然地面が大きく揺れるような強いめまいを感じます。これが最初のパニック発作で、2度目の時は過呼吸発作を起こし、救急車で東京女子医大の救命救急センターに担ぎ込まれています。そこでパニック障害と診断され、安定剤の投与を受け、ぺーパーバックによる呼吸法も習います。その後パニック障害に良いという様々な試みをしますが改善する事無く、その年、ジャイアンツより戦力外通告を受け、そのまま退団します。その後は、明石家さんまさんの誘いもあり、芸能活動とスポーツリポーターをするようになり生計を立てていきます。これはパニック障害の力と思います。もしパニック障害が無ければ、ずっと一流半の野球人生活で苦しみ続けたと思います。パニック発作は、これ以上の野球生活は無理という事を一茂氏に示してくれています。そしてその力を新たな無理のない方向へ発揮させています。その後の、スポーツコメンテーターや俳優としての活動は不安の力によるものです。しかし、その後もパニック障害は治まらず、13年後の2008年、自身が企画した映画『ポストマン』の撮影時、最悪な状態をきたします。それはロケ地が千葉県であったっため毎回の行き帰りにアクアラインを使うため、毎回そこで死ぬような恐怖体験をし続け、うつ状態が悪化し、強い希死念慮も生じるようになっています、更に悪いことに、服用していた抗うつ薬が合わず、アクチベーション的な希死念慮も強く加昧されていたようです。

 「とにかくうつが酷い。ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出る――。」(P69)

 涙は、明け方の3時半頃からで、2人の子供たちがおき出す6時半頃まで続き、子供達のために決して死なないと思い踏みとどまり続けたと言います。これは貝谷先生の提示された「不安抑うつ発作」の一つと思います。

 14年間の闘病生活の後、試行錯誤の結果、生活リズムの改善などから、パニック障害を克服していきます。

 自身の心身に対するスタンスとして

 「自分の身体は神様からもらった肉体だと思い、
 自分の中の自分と対話し、
 自分で自分の身体をいたわること、
 なぜなら、結局のところ、自分の肉体は自分の魂しか褒めてくれないから。」(P80)


 そして行き着いた最良の生活態度が「孤独と飢え」に立ち向かう事だと言います。

 「まず結論から言うと、孤独と飢えに立ち向かえたら、ほぼパニック障害は克服できる。

 私は、パニック障害になってみて、食生活を含めた現代人の生活がいかに不必要なもので溢れているかを痛感させられた。そして、パニック障害の13年目に襲ってきたどん底の中で、私は、心身の健康のためには、『何事もトゥーマッチはだめだ』ということにはっと気がついたのである。例えば、昔のお坊さんの修行を考えてみると、そこには必ず『孤独と飢え』がある。食べないで、何日も何ヶ月も山の中を歩く。それはたぶん、『孤独と飢え』が、人間を一番強くするからだ。

 それ以来、私は、ちょっと調子が悪くなった時には、できる限り、食事は1日1食にするようにしている。ちなみに私の場合は、午後3時か4時に食事を摂って、その後、風呂に入って、ストレッチをしたりして、夜9時に寝るのが一番調子が上がる。」(P82)

 「さらに、毎日、短時間でもいいから、意識的に自分を『孤独にする』ことも大切だ。人間、誰しも、誰かに繋がっているという安心感が欲しい。」「しかしそれが問題なのである。」(P83)

 「そして、それ(さみしさだとか孤独感だとか、人生の切なさ)を感じなければダメなんじゃないかと私は思うのである。今、多くの人が、人生の孤独や切なさに対する感覚が麻痺してしまっているのではないか。色々なものが供給過多で、それによってどんどん心のバランスが取れなくなっているわけだから――。」(P85)


 そして一茂氏はパニック障害から立ち直った今、あれだけ長い間苦しめられたパニック障害になって良かったと言っています。

 「何より、パニック障害に見舞われたからこそ、得られたことがたくさんあった。一番いい例が『読書の習慣』が身に付いたことだが、その他にも、肉体的に、精神的に、本当にいろいろなことを学ぶことができたように思う。小さい頃からがむしゃらに野球バカを地で行く感じでやってきて、もしも30歳でパニック障害になっていなかったら、私は、かつて母親が言った通り、世の中の機微がまったくわからない『傲慢な人間』のまま無惨な人生を送っていたか、あるいは、命にかかわる大病を患っていたかもしれない。

 また、自分が、パニック障害を患うことによって、同じような精神障害に苦しむ人たちの気持ちを慮ることができるようになったのは、私にとって何より多きことだと思う。」(P78)


 長嶋一茂氏はパニック障害になった事によって、人間的に大きく成長し、幅、深みが増しました。更には現代版養生訓といった現代人の生きる知恵を提供してくれました。これもまさに不安・うつの力です。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.63 2011 WINTER