悔やむということ

 「覆水盆に返らず」と言います。こぼれた水は二度と盆の上に返らない、一度してしまったことは元には戻らない、ということですね。ですから、過ぎてしまったことを、いつまでもくよくよと考えていても、物事は、先に進みません。どこかで、気持ちを切り替えて、前に進んでいくことが大事です。しかし、過ぎてしまったことにいつまでもとらわれて、ますます具合を悪くされてしまう患者さん方がたくさんおられます。

 昔、こんなことを考えたことがあります。たとえば非常に大事にしていた物を不注意から壊してしまったとします。それが、大事な人からのプレゼントだったとか、形見の品であったとか、もう二度と手に入らないプレミア商品であったとかしたならば、悔むに悔みきれないことでしょう。どうしてもう少し注意して扱わなかったのだろう…、あの時あんなことをしなければ…といつまでも悔んでしまう。

 しかし、壊れてしまった大事な品は、もう、元には戻りません。どうにか修復して、傷は残ったとしてもそれを受け入れて大事にしていくか、きっぱりとあきらめて処分し、心の中の想い出としてだけ残しておくか、あるいは似たような品物を新たに手に入れて代替品として我慢するくらいしか、ないわけです。起こってしまったことをいつまでもくよくよと考えていてもしょうがないわけですから、その現状のなかで、最善の手段は何かを考える、そして、それを実行していくことが大事だろうと思います。このように考えてくると、この悔むという人の性質は、非常に効率の悪いことで、どうしてこのような不合理な感情にとらわれてしまうのだろうかと、思います。

 ところが、最近、知人が、些細なことからちょっとした失敗をして、しばらくそのことを、くどくどと悔むという出来事がありました。そんな知人の様子を見ていて、悔むということも、実は、案外大事なことなのだなということを感じました。

 というのは、もし、何か失敗をしても、悔むことがなかったとしたら、人というものは、きっと同じ失敗を繰り返すのではないでしょうか?大いに悔むからこそ、脳が、そのことをしっかりと記憶して、次にまた同じような状況になったときに、ちゃんと気をつけることができるようになるのだろうと思います。

 何か失敗をしたら、大いに悔む。悔んでしっかりと反省をして、脳にそのことをしっかりと焼きつける。それは、また同じ失敗を繰り返さないためです。そして、大いに悔んだ後には、気持ちを切り替えて前に進んでいきましょう。七転び八起き、失敗から学べです。十分に悔んだら、その後は、もう過ぎてしまったことにいつまでもとらわれず、そこからできる最善のことに気持ちを向けていきましよう。

医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック院長

吉田 栄治

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.60 2010 SPRING