電話魔の中年女性

  48歳になるCさんは1年前に子宮癌の手術を受けた。早期癌だったので手術後の経過は順調で身体的には特に問題なく過ごした。ところが、それからまもなく、入会している新興宗教の役員を頼まれ、それが気になり眠れなくなった。役員を引き受けることへの不安、いつも重要なところでは逃げてきた小さいときからの体験が次々に思い出される、自信のない自分が嫌で仕方がない、自分を拒否したい、そんな考えで頭の中がいっぱいになった。Cさんは、それから、その新興宗教の集まりには出かけなくなってしまった。さらに、また、娘が結婚して家から離れてしまう、夫が先立って一人になると、まだ起こっていないことまでも次々と考え悩むようになった。こんな不安でCさんは混乱の坩堝におち、頭部絞厄感を訴えた。そして、10年も続けてきたヨガも仲間の励ましが返って負担になりやめてしまった。

  Cさんは、近くの内科医から睡眠薬を与えられたが、それではあまり眠れなかった。運送業の夫は朝5時に家を出て、夜まで帰ってこない。2人の娘も社会人で、昼間は全く一人になってしまう状態であった。午前中は近くの店へパ−トに出かけ何とか時間が過ぎてゆくし、夕方は家族が帰宅しこころ安らかになるのであるが、午後、一人で家にいる時間は地獄であった。淋しさで頭が真っ白になる、また、その不安感でいても立ってもいられなくなると言う。Cさんはこの事態の解決に電話を使った。北海道に住む兄嫁に電話を毎日のようにし、悩みを訴え続けた。10万円近くの電話代の請求書がきてからは、「いのちの電話」「こころの電話」の常連になった。最近では、電話相談もおなじみさんになってしまい満足のいく対応が得られなくなってしまった。そうなると、次はクリニックへの電話だ、はじめのうちは、丁寧な応対で1時間以上も話を聞くことも稀ではなかったが、連日の電話で、職員一同根をあげてしまった。つぎには、クリニックの待合い室で同じ年頃の患者の電話番号を聞き出し、電話をかけまくり、患者からの苦情が続出した。

  Cさんの診断は一応「うつ病」であるが、通常の抗うつ薬治療は余り効果を示さない。むしろ、姪の長期滞在中は淋しさがまぎれ気分は楽になり元気が出た。うつ病の本体は抑うつ気分であり、それにともない、不安や種々な自律神経症状が出現する。彼女の主症状は抑うつ気分というよりも孤独感である。この孤独感を深めるものは何であろうか? 家族は? 夫はやさしく、大切にしてくれるが、無口で彼女の話を充分聞いてくれないと訴える。帰宅すると、すぐテレビの前に座りナイタ−観戦に熱中していると。娘も母親の様態を心配してクリニックについて来てくれるが、自分の結婚問題で頭がいっぱいでCさんのことは充分にわかっていないと不満を訴える。表面的には何のトラブルもないどこにでもある普通の家庭なのだが、彼女の心は癒されない。

  Cさんのこころの底に深く根づいている心性は自己不全−不安−孤独−依存であろう。彼女が12歳の時、アルコ−ル中毒の父は脊椎カリエスで亡くなった。残された7歳上の兄と彼女は、旅館をきりもりする気丈夫な母に育てられた。母は早朝から夜遅くまで働きづめ、彼女に優しくはしてくれるが、家族の団らんはなかった。彼女の行動を支持し、勇気つける言葉が欠けていたのだろう。彼女の自己不全感−不安−孤独−依存の感情は、中年になり病気や子供の独立を契機に、一気に表面化し、あくなき「助け」を求める行動−これは「甘え」に通ずる−を活発にしたのであろう。このような病歴を見て、彼女は最近よく耳にするAC(アルコ−ル依存症の親を持つ成人した子供)だという人がいるだろう。しかし、私は専門医として、むしろ、ウィノカ−がうつ病の家族歴研究から発展させた「神経症性・反応性うつ病」を考える。すなわち、人間関係を円滑に保てない、要求の多い態度、環境反応性の抑うつ、持続的な責任回避、アルコ−ル症の家族歴などを特徴とするうつ病である。彼女の要求を充たし、十分に話を聞くことも治療の大きな要素であるが、それは際限のない行為となる。それ以上に、心の底から湧き上がる孤独感−不安をとるのはやはりくすりであり、「未熟性」の克服は鍛錬であると考える。

名医 平成8年7月

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣