セックスレスを訴える主婦

  Eさんは、それほど長身ではないのですが均整のとれたスタイルのチャーミングな現代女性です。最近は穏やかな笑顔で診察室に現れます。しかし、クリニックに初めて来院した当時は、余裕のない表情で憔悴しきった状態でした。それはパニック障害というやっかいな病気の最盛期だったからです。パニック障害は不安の病です。不意に心悸亢進、呼吸困難、めまい、冷や汗などの激しい身体症状とともにどうすることもできない不安感に発作的に襲われる病気です。Eさんは幸い私の治療で2,3週間もすると発作が消失し、そしてその後少しずつ昔の快活さを取り戻していきました。初診後1年になりますが、Eさんはあの発作の恐ろしさに懲り、私の指示に従って今もきちんと通院してきます。病気の経過は大変順調で与薬量も順調に減ってきています。

  ところが、ある日、Eさんは診察の終わりがけに「悩みがあるのですが...」と椅子から立ちあがりません。私は遠慮なく何でも話すように促しました。すると、Eさんはモジモジすることもなく、きっぱりした口調で「私達夫婦ずっとセックスレスです。何とかしてください」と訴えてきました。いつも3人も子供を連れてくるので、一瞬私はたじろぎましたが、「小さな子3人もつれて来て、からかわないでください。」と軽くうけながしました。Eさんは落ち着いた口調でさらに訴えました。「この子達は全部予定日に私の強い申し出でうまくできたのですよ。子づくり以外のセックスは全くないんです」と彼女。「だって、貴女のご主人はまだ若いのでしょ、若い男性なら辛抱できないでしょう。外で浮気をしている可能性はないのですか?」とわたしは踏み込んだことを尋ねてしまいました。「あの人にそんなことできっこないわ」彼女は全く疑う余地のない口調で言いました。そして今日は夫を同伴しているので直接話を聞いて欲しいと私に頼み込んできました。

  じつは、Eさんは私に相談する前に実家の母親にこのことを電話で訴えたそうです。その母親はその夜すぐ婿に電話を入れました。婿はセックスレスになっていることを特に強く意識していないといった様子で、毎月1日は必ず義務を果すというような意味の返事を義母に伝えたそうです。それを聞いてEさんもお母さんも烈火のごとく怒ってしまいました。それ以来、夫婦関係はますます疎遠になってきました。Eさんは思い悩んで私に相談を持ちかけたのです。  Eさんの夫は裁判所の被告人のような表情で私の部屋に入ってきました。妻にどのように説得されてきたのか気になるところです。彼を見た瞬間、このカップルの人間関係が何となく感じ取れました。まだ学生気分がどこかに残っているようで純朴で、挨拶も十分出来ないこの男性が浮気をしているとはとっても考えられません。彼は私の問いに素直に答えてくれました。彼の趣味はビデオ編集で、帰宅後、自室に閉じこもって夜遅くまでビデオのつぎはぎに熱中していると言うことでした。ところが、その素材はすべてアダルトビデオで、自分の好きなように編集し、その合間に自家発電してしまうそうです。妻よりもこの方がずっとよいとも述べました。この分裂気質の男性は機械文明社会の落とし子と言ってもよいでしょう。わたしは夫婦の交わりの意義を強調しEさんのご主人との話を終えました。

  それから1ヶ月して、Eさんは明るい表情でやってきました。

名医  平成9年7月

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣