医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 前回は,やさしい精神医療の選び方 その1 相談掲示板,というタイトルで書かせていただきました。最後に,掲示板での相談に対する対応の仕方について次回以降のコラムで解説すると書いたところです。しかし,貝谷久宣理事長から,専門的なことは避け,日々の生活や診察,ふれあい・出来事などを通じて発見したこと,感じたことを書くようにという指示がありました。「野に下ったのですから,当分は娑婆の勉強をしてください」というありがたい言葉もいただきました。私は,前回の記事が難しすぎたことで理事長にまでご迷惑をおかけしてしまったようです。従って,前回の続きを書くことは慎みたいと思います。

 「野に下る」という言葉はとても含蓄のある言葉です。ここから,いくつか感じたことを今回は書かせていただきます。おそらく理事長は,国立病院という「官」から,個人経営のクリニックという「民」に移ったことをおっしゃっているのでしょう。私は21年間,牧場に囲まれた国立精神療養所におりました。地名も菊池郡合志町大字福原です。風景としては国立精神療養所の方が野原にあり,私個人は何もない野原から,大都会のビルに上った気分です。また,出身地がもともと京都ですから,九州に行くときには,「都落ち」という感覚もありました。場所という意味では,菊池郡合志町(平成の大合併で今は合志市)から名古屋市へというのは,“野に下る”というよりも,野から里に下りてきたという感じです。

 「野に下る」は別の意味で考えることもできます。菊池郡合志町は交通不便の極致のようなところでした。周りは牧場と唐黍畑です。薬物依存の患者さんからは,「ここだったら,絶対ブツは手に入らない」,パニック障害の患者さんからは,「そこにいけるようになったら,もう治っている」,社会不安の患者さんからは,「誰にも顔を合わさない」。待合室も広く,社会不安の方にとっては視線を避けられる場所,不潔恐怖の患者さんにとってはすれ違う人を避けられる場所がいくらでもあったのです。使われなくなった部屋や場所,診察室がいくらでもありました。医者もあまりいません。広い研究室を一人占めすることもできました。空いている研究室でギターを奏でている先生や,愛犬を飼っている先生もいました。院長はいますが,人事権はもっていません。医者はそれぞれ好き勝手をしても良かったのでした。そんな場所でした。私は何ヶ月も前から予約を入れて飛行機で遠くから来られる患者さんを私のやり方で診ていたのです。いかにも牧歌的という感じでしょう(注)

 もうひとつ,私にとって“野”には意味があります。私は病院の官舎に9年間住んでいました。自分の住処の目の前が唐黍畑だったのです。窓を開けると遙か遠くまで人影はなく,見える建物は病院の建物だけでした。朝に車の音はなく,鳥の声で目をさましていました。名古屋ではビルの7階に住んでいます。窓を開けると前は別のマンション,朝は列車か車の音で目が覚めます。“野”に住んでいた野人が都会に迷い込んだ,という感じがします。

 ときどき,たまに,高齢の患者さんが「えらくなるのが怖い」「名古屋まで遠いでー」とおっしゃいます。“野”の匂いのする方言がとても好きです。こういうとき,つい私は“野”モードに帰りたくなり,「そぎゃんあるとですか?まだ,発作が起きよっとですね。前,薬ば変えたケンね。他に変えた方がヨカですか?」と答えてしまいます。患者さんも,「はい,そうです。」といぶからずに答えてくれるので不思議です。

 
脚注1
こんな風に書くと菊池病院は大赤字に見えるでしょうが,実は国立精神病院では唯一の黒字病院でした。老年期への特化と重心病棟,治験で持っていたのです。

前回の続きに興味がある方は,原井のブログをご覧ください。

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Que Sera Sera VOL.53 2008 SUMMER