医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 今年は名古屋に来て初めての夏でした。「名古屋は暑いでしょう?」と人によく聞かれます。確かにそうです。しかも、私は暑いのが嫌いです。痺れるような寒さが好きなのです。祖先は凍てつくシベリアでマンモスを狩っていたに違いない、と思うぐらいです。でも、去年の熊本のように11月に真夏日というのは名古屋ではなさそうです。暑さと無関係ですが、今年の夏はいくつか面白い経験がありました。英語がからんでいます。それを今回はご紹介しましょう。

ミッシェル・クラスケ先生の通訳

 和楽会の貝谷理事長は毎年、八ヶ岳シンポジウムという研究会を開催しています。今年の目玉は米国UCLAの臨床心理学の教授である、ミッシェル・クラスケ先生でした。パニック障害と認知行動療法を専門にしておられます。私は通訳の役割をいただき、身近でいろいろ話を伺うことができました。私の専門は行動療法です。クラスケ先生は北米の著名な行動療法家の下で働いてこられました。文献でしか知らないそうした大家の話を聞かせていただくのはとても面白いことでした。このときの通訳の様子から、早稲田大学の野村忍先生に次の通訳を依頼されることになりました。

第10回 国際行動医学会開会式の通訳

8月27日から東京で開かれたこの学会に、厚生労働省の鴨下副大臣と立正大学の高村学長の挨拶を通訳することになりました。あらかじめ日本語と英語の原稿をもらっていて、それを読み上げるだけで良い、ということでした。型どおりの挨拶です。クラスケ先生の通訳のような学術的内容はなく、質問を受け付ける必要もなく、楽な仕事であったはずです。そして、私は通訳の仕事を嘗めてしまっていました。本番では、棒読みになってしまいました。書き言葉と話し言葉が全く違う、翻訳された英語は長すぎて、呼吸が続かないということをその場になるまで気がつきませんでした。それだけならそれだけのことですが、副大臣がまだ話していないことを、先に読んでしまいました。アガったのです。恥ずかしかったです。申し訳なかったです。1週間後の福田首相の退陣の引き金になったのかもしれない、と思っています。

私の通訳の経験

 精神科医になったときから、私は自分の英語力のおかげでいろいろな経験をしています。今回は一番最初の経験を書くことにします。神戸大学の精神科で研修医をしていたときの最初の大仕事はハワイのホノルルからJAL機で大阪国際空港に降り立った白人女性の相手でした。彼女はパスポートも航空券も持っていませんでした。入国審査のところでは、自分はフランス人外交官だ、などと訴え、話が誇大的でまとまりがない、おそらく精神病だろうということで神戸大学精神科病棟に入院となりました。英語力を買われた私が主治医になりました。

 最初は、自分はフランス人だ、ハワイには帰らない、パリに送還しろと言い出したり、何語かわからない名前を書いていました。挨拶程度のフランス語なら私もわかるので、相手がフランス人ではないことぐらいはわかります。一週目ぐらいから、次第に自分の話をするようになりました。ようやく本名を聞きだし、ハワイ州立精神病院の担当医に電話し、本人確認し、治療歴がわかりました。ハワイで飲んでいたものと同じ抗精神病薬を投与し、二週目からは落ち着いてきました。本人によれば、ホノルル空港のトイレを貸してくれと言って、空港内に入れてもらってそのまま一晩そこに隠れていた、翌日何食わぬ顔をして飛行機に乗り込んだ、ということでした。今までにも同じ手口であちこち旅行し、フランスにも行った、そこで入院もさせられた、神戸大学病院の病院食が一番うまい、ということでした。

 三週目には本人をハワイに強制送還することになりました。先輩や指導医は英語は苦手だ、忙しいと逃げてしまい、私が一人で本人に随行することになりました。私は研修医1年目でした。相手の体重は私の1.5倍ぐらいありました。私の手にはセレネースなどの注射剤は持っていましたが、飛行機の中で暴れられたら、抑える自信はとてもありません。今でも当時の心細さを思い出します。英語ができるせいで損な役回りを押しつけられたと飛行機の中で、ぼやいていました。付け加えると、ハワイへは年休で行け、というのが医局長の命令でした。大学事務局の見解として、研修医には海外出張はあり得ないから、ということでした。「飛行機の中で患者にどつかれても、公務災害にもならへんやんか」と腹立ちました(当時は神戸弁が私の標準語でした)。

 ホノルル空港では警察から本人と私も事情聴取を受けました。空港警察では顔なじみで、以前に空港の立ち入り禁止区域をうろうろしていて捕まったことがあるということでした。事情聴取が終わったら、本人はそのまま通りをスタスタ歩いて外に行ってしまいました。州立精神病院には電話しておいたのですが、迎えなどありません。警察官も止める気はありません。今では、考えられないような23年前の話です。

その他の経験

 通訳の経験は他にも、故ハンス・アイゼンクやアイザック・マークス、そしてイギリスの精神分析家ジョセフ・バークに対しても経験があります。講演自体の内容は文献からも想像がつくようなことです。通訳のおもしろさは、講演が終わった後の懇親会です。そこでのやりとりを通訳し、雑談するとき、文献からは想像できないような面白いやりとりがあります。いつか、そういう経験もいつか機会があれば書くことにしましょう。

Que Sera Sera VOL.54 2008 AUTUMN