医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 なごやメンタルクリニックで働き出して1年が経ちました。節目の年だということになります。節目はこれだけではありません。私の小学校のクラス同窓会がありました。卒業後36年ぶりのことです。もっとも、学会や研修会講師、そして原稿執筆の仕事とかち合ってしまい、出席できませんでした。どうやら小学校のころから、今に至るまで、私は原稿書きにとりつかれているようです。今回は、小学校のころの作文の思い出を書くことにします。

 小学生のころから、私は作文が苦手でした。この頃から、将来は理系に進むと考えていました。それから40年経ちましたが、今でも私は自分を理系だと思っています。

 小学3〜4年の担任は、作文指導が大好きな女先生でした。画用紙30ページぐらいの特製の作文用のノートを児童一人一人に与えました。絵物語でもなんでも良いから自分の思ったことを自由に書くというのが毎日の宿題でした。書いたノートは毎朝、登校したらすぐに先生の机の上に置くことが決まりでした。終業時には、先生が全部のノートに丁寧に評価つけてくれていました。良い文章には丸が、もっと良い文章には二重丸が、全体によくできた作文には「よくできました」のゴム印、そして先生の感想が2、3行いつも書き添えてありました。1冊が終わるたびに、先生が皆の前で新しいノートを手渡します。同級生の中には年間で30冊ぐらいになる子もいました。当然、クラスで賞賛の的です。平均的な児童で1年間に10冊ぐらい書いていました。

 私は2冊が精一杯でした。誉められるように私も頑張ろうと思うのですが、書けません。何か書きたいと思うことを「思おう」、「思いつこう」と努力しても、書けそうなことは思いつきませんでした。そして、なんとか書いても、とても30冊の子にはもちろん、平均にも及びません。単純に言えば、30冊書く同級生と比べると、私は15分のー、同級生の平均は10冊ですから、平均と比べても5分のーの回数、私は誉められていたことになります。これだけで、十分、悲しい、曲げられない事実でした。

 ある知り合いは、私と対照的です。小中では作文コンクールの常連で、夏休みの宿題の作文に14枚書いたら、先生が涙しながらクラスで読み上げてくれたそうです。修学旅行の紀行文には26枚書き、やはり先生に受けたそうです。高校では、新聞報道に関する考察を書いて新聞社に投稿し、掲載され、わざわざ記者が学校まで取材に来てくれたそうです。高2のとき、家庭科のテストでミシンの使い方が出題されました。彼女はミシンがけの実習を完全にサボっていて、ボビンが何か?糸の付け方は?にまるで答えられず白紙状態だったそうです。そこで、裏面に「結婚制度について」という文章をびっしり書いたところ、教員室で回覧され、赤点を免れたそうです。一度、せっかくの力作を教師が評価しなかったときに教師の理解力不足だと読み手の方を疑うことがあったそうです。大学はもちろん文系で、現在はプロの編集者です。

 一方、私が作文で誉められた経験で覚えているのは1回ぐらいです。家で飼っていたアゲハチョウの青虫の成育記録を書いたときでした。原稿用紙で10枚以上書いたものは、小学校6年間でこれぐらいです。毎日、淡々と、幼虫が山椒の葉を食べ、大きくなっていく様子を書いただけのものです。そして、この頃から、医者になるまで、あるいは昨日まで、自分は理系人間だ、口べたで、文章が苦手だ、と思い続けてきました。ちなみに小学生の私は家庭科の授業が好きでした。料理やボタン付けは今でも日常的にしています。言葉を使わず、黙々と手作業をすることが私の趣味に合っているのです。中高では家庭科の授業がないのを知ったとき、悲しかったことを覚えています。男子校です。ミシンは置いてありませんでした。

 今の私は動機づけ面接というカウンセリング技法について『Be!』という雑誌に連載を書いています。同誌の担当編集者は私の連載を面白いと誉めてくれます。編集者の意見に対して私がコメントしたら、「編集者が今さら文章の勉強です」と返してこられることがありました。他の医師や心理士が書いた行動療法関連の作文を書き直すことも今の私の仕事です。書き直された医師から、「引き締まり、わかりやすくなり、ああこう書けばよかったのかと勉強になりました」という感想をいただきました。私は小学校のころから文章が苦手だ、作文上手なわけがない、と言っても彼らは冗談にしか受け取ってくれません。

 幼い頃からレゴブロックが好きで、理系で、大学受験での第一志望は建築科だった私が、今は、精神科医になり、動機づけ面接のデモンストレーションを行い、そして連載を書いています。こうなったのは、作文が苦手だったからだ、だから、知り合いのプロ編集者のように読み手の方を疑うことをしなかった、いつも自分が言葉足らずで作文下手だと思っていた、だから、文章を誉められるようになったのだ、と今は考えるようになりました。「自分の作文は良いのだ」と考え自分に自信を持つことは、かえって仇となるのでしょう。私は、これからも作文下手だと思い続けるようにしようと思います。

 最後に一つ不平不満。最近の作文の宿題はちょっと多すぎます。なんか、小学生のときに、作文をサボった崇りが、40年たって、今の私に降りかかっている気がしてきました。この1年書いた原稿やメール、掲示板への回答、クリニックの案内文、英語の説明、を全部まとめたら、小学生の作文集の30冊は、はるかに越えているでしょう。

Que Sera Sera VOL.56 2009 SPRING