医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 前々回は父のことを書きました。私は父の息子ですが、同時に二児の父でもあります。子供たちは大きくなり、私は仕事が忙しくなり、今まで、私は自分の家族を省みることがあまりありませんでした。生活費を稼ぐこと以外には父親らしいことはしていませんでした。しかし、この1年はそんな私にとって特別な一年でした。志望大学に合格できず、浪人することになった息子が名古屋の予備校に通うことになったのです。マンションで私は息子と二人暮らしを始めました。毎朝、息子を起こし、朝食を作り、日によっては弁当も作って、一緒に名古屋駅まで出勤・通学することになったのです。

 人には人生のそれぞれの段階でさまざまな役割があります。自分がどういう人であるのか、どんなことが好きで、どんなことが嫌なのかは自分に与えられた役割を果たす中で気づいていくことのようです。やってみるまでは自分がどういう人なのかを知らないのです。今回は浪人生の息子の父としての私について書いてみます。

この父は身勝手です

 3年前から彼は志望校をある国立大学文学部史学科にすると決めていました。息子の高校は九州にあり、寮生活を送っているときも、夏休み・冬休みは予備校の講習を受けるため、名古屋の私のマンションに来ていました。その間は親子の会話は英語で、さらにメールを使って私が英作文指導をしていました。息子も大変でしょうが、これは私にもストレスでした。こんなことも知らないのかということがあると、私もたびたび苛立っていました。

 一年前、センター試験の成績が振るわず、浪人決定となりました。九州の予備校には彼の志望校のコースはありません。志望校に近い名古屋で浪人することは当然の選択でした。

 一方、私は困ったな、と思いました。自分の生活のペース、仕事のペースを彼に邪魔されるのが嫌だったのです。実際、夏休み・冬休みの間に彼が来ていた時、私の研究ペースか落ちました。彼がいると食事や掃除・洗濯など家事仕事か増えます。そして、彼はよくしゃべります。九州からきた息子には予備校に知り合いがいません。大教室での一方的な講義で黙って聞いているだけの彼は、マンションに帰ってくると、あれこれ私を捕まえてしゃべり始めます。テレビも見ます。私はもともとテレビを見ないたちです。しかし、テレビがついているとつい、私もつられて見てしまい、夕食後に仕事をしようと思っても、後回しになります。

 予備校の寮に入るのはどうだろう、どうせ高校では寮生活だったし、と考えたこともありますが、息子から「親父、俺と住むのが嫌なのか?」と言われると、さすがに「嫌だ、寮に入れ」とは言えません。一生のうち、息子と二人きりで過ごせるのはこの1年だけの貴重な時間なのだと思うようにしました。彼の部屋を用意し、予備校の申し込みも済ませました。

この父は心配性です

 いざ、予備校が始まってみるといろいろ不都合なことが出てきます。最初は予備校のクラスのことでした。難関国立大学文系のクラスに入ろうとしたら、申し込みが遅くて満員でした。次のクラスに入らざるを得ず、そしてそのクラス百数十名の中から彼の志望校に入れるのは数名程度なのでした。予備校の勉強だけで自然に合格できるとはとても思えませんでした。それでも予備校の中に入れば受験生同士からの刺激もあるだろうし、少なくとも日常生活が規則正しく送れるようになるだろうと思っていました。

 6月になっても息子には予備校での話し相手ができませんでした。同じ大学を志望している予備校生もいるはずです。予備校のチューターに尋ねると、誰がどこを志望しているかは教えられない、個人情報保護法に違反するから、ということでした。結局、最後まで予備校でできた友達は一人もいませんでした。高校の同級生とたまに会うぐらいが彼にとっての家族以外の人間関係ということになりました。

 夏になったある日、いつもの予定より早く帰ってきました。理由を聞くと、予備校の授業中、自分で確保した席に座っていたら、他の学生から「そこをどけ、そのとなりが俺の知り合いだから」と言われた、態度が強かったので、席を譲った、でも、他には空いている席が見つからず、つらくなってきて授業の途中で帰ってきた、というのです。こんなことでこの先大丈夫だろうか、と不安になりました。

 9月には気分転換にと、東京につれていきました。息子にとっては東京の博物館巡りとある立食パーティーが主な目的です。パーティーでは存分に食べているだろうと思っていて、ふと息子に目をやると、めそめそ隅で泣いています。「ここで浪人していると自己紹介したら、全然相手にしてもらえない。博物館では高校生や大学生ならば特別な料金が設定されているのに、自分は普通の大人料金。このパーティーの中でも博物館でも自分の居場所がない。惨めだ。」と訴えるのです。どうしようか、どう声をかけたらよいのか、私は私の知り合いの目も気にしながら、おろおろしていました。

 なごやメンタルクリニックの職員同士の飲み会に連れて行くことがありました。こういう日は夕食の用意ができないからです。でも途中で帰ってしまうことがありました。「結局、俺は親父の付け足し、自分を相手してくれる人はいないから」と言うのです。職員の目もありますから、息子は一人で帰らせます。本人の好きにさせる他ありません。でも、私は職員と飲食を共にしながらも、家で息子がどうしているのか気になって仕方ありません。

 10月からは次第に、朝に起こしても起きてこず、予備校の時間を伝えても、生返事が帰ってくるようになり、予備校に行けない日が増えてきました。頭痛がするからとか、予備校の暖房が効きすぎて気持ち悪いからとか、一人で勉強したほうが記憶中心の科目には良いんだとか、いろいろ理由も増えてきました。スケジュール管理を本人任せにするわけにはいかない、模擬試験などの大事なスケジュールは私が控えるようになりました。それでも次第に生活は乱れてきて、最後のセンター模試のとき、朝が起きられず、結局受けられなかったときには、これはもう本番も受けられないかもと心配になりました。

この父でも楽しいです

 前期試験を終えて帰ってきた息子を見ると親はいろいろ問いただしたくなります。彼の答えは「二浪する」でした。しかし、一つ具体的に教えてくれました。英語の自由英作文の課題は次のようなものでした。

 「子供は親の背中を見て育つ」という言葉があります。それでは、親というものは子供にどのような「背中」を見せるべきではないと思いますか。また、それはなぜですか。具体的な例を挙げながら70語程度の英語で説明しなさい。

 息子の感想は「一緒に住んでいる親父のことを思い浮かべたが、この部分を俺に見せてくれるな、というのが親父については思いつかない。何を書いたら良いのか思いつかなくて困った。しょうがないので親父がタバコを吸っているということにして、タバコをやめてくれ、という内容にした」という話をしてくれました。

 自由英作でチェックされるものは英語表現の正誤であり、内容の正誤ではありません。作文の中で私が愛煙家ということになってもそれはかまいません。それよりも、息子が父親について見せて欲しくない背中というものが思いつかない、と言うのはとてもうれしいことでした。1年間一緒に生活をともにしていて、相手の中に見たくないものがあった、と言う方が当然です。それがない、と自分の息子が言ってくれたのです。こんなにうれしいことは他にはありません。

 今、こうやって原稿を書きながら、振り返ってみるといろいろ楽しかったことにも気がつきます。苛立ちや不安はその場ですぐ気がつきますが、楽しいことには後から気がつくのでしょう。最初の頃、私の本棚をみた息子は「どの本のタイトルにも行動かBehaviorがついている。うんざり」といった調子でした。興味の範囲も違います。彼は園芸が好きで、歩きながら道々に咲く花の名前を全部言い当てます。私は青紫色の花は全部アジサイだ、それで何が悪い?というような園芸音痴です。そんな彼も秋になると、私が講読している英語雑誌に興味を示すようになりました。英語の勉強になるなどの理由もありますが、私が興味を持つものに興味を示してくれるようになったのです。そして冬になると私が行っているOCDの会の月例会にも見学にくるようになりました。私の仕事そのものにも興味を持ってくれるようになったのです。不安や恐れ、恥などの嫌な感情を回避することがどういう結果を生むのか、嫌な感情に振りまわされず目的を持って生活を続けることが大事なことなど、彼なりに自分に役立ててくれているようでした。

この父は寂しいです

 こんな話を私にしてくれた息子も目的を貫徹し、4月から現役時代から志望していた大学のそばで一人暮らしをすることになりました。私はまた一人で名古屋駅前まで通うことになります。こうやってこの1年間を振り返るといろいろな心配・気苦労の経験も楽しい思い出に変わります。それも3月で終わりになるのでした。これからまた4年間、仕送りや授業料で脛をかじられますが、少なくとも朝ご飯を二人分作り、本人を起こして準備させ、予備校に行かせるという日はもうやってきません。

 私たちは日常生活の中で何かに強化されて生きています。ある行動は強化を受けずに消えていき、ある行動は強化されて増えていきます。強化するもの、すなわち強化子は試験結果のような事物であることもありますが、多くの場合は行動そのものです。普段しょっちゅうやっている行動自体が強化子になるのです。息子が合格した結果、「子供のことを心配し、面倒を見る」という行動が最初、自分自身が自分について思っていたよりも私にとって強い強化子であることを思い知らされたのでした。心配やお節介は楽しくはありませんが、自分からはやめられず、無理にやめさせられると寂しいのです。

 息子は自分が立てた目的に向かって生活しています。寂しさを感じることよりも、先の目標のことでわくわくしているでしょう。親の行動はそもそも無目的です。身勝手で心配性、そして勝手に楽しみ、寂しがっているのですから。

「原井先生も普通のお父さん」

 息子は予備校の終了時間によっては、クリニックにやってきては私の仕事が終るのを待っていました。職員たちは親子のやり取りをよく見ています。「原井先生も普通のお父さんだったんですね。いや、普通より心配性で優しすぎる。患者に厳しい行動療法をやらせるあの原井はどこに消えたのだ?」というのが職員達の感想でした。身勝手で心配性な父親とその息子を見守って下さった職員にも感謝しています。

最後に

 私が息子を生んだのではありません。妻がお腹を痛めて産んだ子供です。子育て行動という親にとっては美味しく大変な強化子を与えてくれた妻に感謝をしています。さて、寂しがっている暇はありません。もっと私は仕事をすることにしましょう。私が育てるべき対象はわが子だけではありません。

Que Sera Sera VOL.60 2010 SPRING