医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 私にはいくつか趣味があります。中でも一番手間暇を掛けているのがコンピューターです。2007年12月に熊本から名古屋に転居するとき、デスクトップコンピューターが5台、モニターは7台ありました。引っ越し屋の担当者がうんざりしていました。5台は全て私が自分で組み立てたものです。プロセッサーやメモリなどの部品を買ったり、古い部品を再利用したり、調整してみたりが好きなのです。あれこれいじった結果、実用にも役だったとなれば、なお嬉しいです。診察室にはモニターが3台とワイヤレスキーボード、マウスがあります。今、自宅でこの原稿を書いているのですが、目の前にも17インチの3画面が並んでいます。今回はコンピューターの話をしましよう。

PC9801のころ

 私が始めてパソコンを買ったのは、1986年に国立肥前療養所に就職したときです。このころ、すでに原稿を手書きする人は少なく、医局のほぼ全員がワープロ専用機かパソコン上のワープロソフトを使っていました。私はMacintoshにも心引かれましたが、値段の点でPC9801VM21にしました。タッチタイピングも覚え、一太郎で文章を書くようになりました。90年にRA21に買い換えました。この頃から、パソコンの中身をいじるようになり、プロセッサーをCyrixCx486DLCに載せ替えて使っていました。OSもWindows/386 2.11から最新のWindows7まで全部、買っています。ここまでは普通のパソコン歴でしょう。

DOS/Vマシンと自作へ

 英語の勉強も兼ねて、PC Magazineを定期購読するようになりました。この頃は日本のパソコンと米国のパソコンとの間には大きな能力と価格の差がありました。DOS/V,Windows5が出たのをきっかけに、米国から直接個人輸入することにしました。そうして買ったのがGateway 2000 4DX2-66Vです。福岡空港の税関まで取りに行き、通関手続きをしました。このマシンから、私の自作歴が始まります。2年ほど使った後、拡張力ードを入れるときにしくじってマザーボードを破損してしまい、Micronicsのマザーボードを買って自分で交換したのです。この後、自分が使うデスクトップパソコンについて、メーカーの完成品を買うことは無くなりました。自作仲間もできました。治験で知り合った薬品会社の開発担当者と一緒に秋葉原をうろうろするのが趣味になり、彼の指導の元、マザーボードのクリスタルを交換して、クロックアップをしたりしていました。開発担当者の自宅にお邪魔したとき、彼のマシンはルームエアコンを分解した自作水冷装置で冷却されていました。お互いにお互いを「PC廃人」と呼んでいましたが、彼と比べれば、私はまだ、まともだと確信していました。

何が楽しいか

 私はルームエアコンをおしゃかにすることまではしませんでしたが、大型フィンをつけたり、ファンを大型に取り替えたりはよくやっていました。時間もお金もかかりますが、場所も使います。新しい部品を買っても、古い部品は捨てません。どんな使い道が将来あるかわかりません。捻子一つも無駄にしません。インチネジ・ミリネジなどに分類してしまっていました。押し入れ一つパソコン部品の倉庫でした。いつ使うか分からないジャンク部品に占領されていたわけです。夜、眠る前には押し入れの中の部品のことを思い浮かべながら、次は何をどう組むかを考えていたものです。どう使うかあれこれ考え、工夫して、何かに役立てることが好きだったのです。パソコンを使う理由は研究発表や原稿書きです。仕事が効率的にできるようにするために、パソコンの処理速度を上げたり、多機能にしたりしていたのです。それを金を掛けずにするために、いろいろネットを調べ、分かったことと自分の試行錯誤を元にして、パソコンいじりをしていたことになります。そして、いつの間にか、原稿書きのことはそっちのけになっていたのでした。だって、原稿書きとパソコン弄りを比べたら、後者が楽しいに決まっています。

役立ったとわかると楽しい

 これだけのパソコン歴があると、なごやメンタルクリニックで私を院長職にとどめて置くのはもったいない、というものです。専任IT係もします。正式に言えば、CIO(Chief Information Officer' 最高情報責任者)と呼ぶべきでしょう。でも、残念ながら辞令がないのです。辞令がないから手当も出ません。でも、辞令も手当もなくても、部品とパソコントラブルがあれば、私の血が騒ぎます。先日、クリニックのスタッフが私にSOSをしてきました。クリニック内のパソコンからインターネットにつながらなくなり、再診予約に支障を来したのです。パソコン自体は正常です。私はケーブルからハブ、IP設定をひとつずつチェックしながら、原因がルーターの故障にあることを突き止めました。古い部品には嗅覚の働く私です。クリニックの倉庫に別のルーターがあったことを思い出し、それを探し出して、壊れたルーターから設定をコピーし、交換しました。SOSから20分後には、元通り、インターネットが使えるようになりました。普通なら、業者を呼び、原因を調べ、交換品を発注し、再設定するはずで、短くても2、3日かかるでしょう。薬品会社の開発担当者から見たら私は“PC廃人”ですが、クリニックのスタッフから見たら“神”に見えるはずです。

役立ちなさいでは楽しくない

 こうやってIT係が神業を発揮しているうちに副作用がでてきました。クリニックのスタッフが“神頼み”をするようになったのです。あるとき「先生、このパソコンがネットにつながらないので暇なときに直してください」と依頼されました。さて、神の出番と、診察の合間に見てみると、スタッフが自宅で使っているノートパソコンでした。依頼者の自宅でのネット環境さえ分かれば直ぐに解決がつきそうなことでした。私が自宅訪問するか依頼者が自宅から電話してくれれば、すぐ解決できるだろう、と考えているうちに、もやもやしてきました。「私はパソコントラブルの無償サポートセンターか?。ネット接続の契約を受けた業者がやるべきことだろう。」誰かが途方に暮れていると知ったときに、誰にも命じられていないときに、自分の発案と工夫、スキルでトラブルを解決するのが楽しいのです。同じ行動をする場合でも、誰かに頼まれたり、命じられたりするのでは楽しくありません。自発的に自分で発案し、工夫することで“楽しい”と感じるのです。同じことでも命令されてからするのでは“煩わしい”と感じてしまいます。

価格破壊も楽しくない

 こうやって自分のパソコン歴を振り返ると、もうひとつ失った楽しみに気づきます。Gateway 2000を個人輸入で買ったころ、パソコンは高かったのでした。システムクロック66メガでハードディスク300メガのパソコンが昔の私の初任給ぐらいしていたのです。壊してしまったときに買ったマザーボードは2万円ぐらいしました。それでも自作の方が新品を買うよりはるかに安かったのでした。今は、電気店でネット契約込みなら100円でシステムクロック2ギガ、ハードディスク1テラのパソコンを売っている時代です。容量300倍のパソコンが300分の1以下の価格。完成品のパソコンが安く手に入るようになったということは、昔の楽しみはなくなったということになります。

楽しむためには

 手元にBFスキナーが書いた“Enjoy old age”という本があります。序文にこんなことが書いてあります。
 生きる喜びとは、毎日の生活で何か行動する結果生じた副産物である。自分の行いの結果を味わうためには自分で何かをしなければならないし、自分の行いの結果こそが日々の生活を楽しいものにしてくれる。自分の日々の生活の必要を満たすために、他人や社会に頼るようになれば、自分の行いの結果を味わう機会を失ってしまう。生きる喜びを他人に譲ってしまうことになる。コーヒーを一杯淹れるにしろ、庭仕事にしろ、あるいは政治活動にしろ、外の世界に自ら行動し働きかけることによって、私たちは自分の人生を楽しむことができるのである。
 もう昔のようにパソコンを組み立てることはないかもしれません。あまりに安くなりすぎました。でも、まだまだ、私が日々の生活のなかで、誰かに命じられることなく、自分の発案と工夫で何か行動し、結果を出せることがあるでしょう。
 さすがにGatewayのATケースは捨ててしまいました。しっかりとした電磁シールドのついた重たいケースだったんですけれど。でも押し入れのジャンク部品を捨てるのはまだ惜しいです。SASIカードとMOドライブの使い道は何かないかしら?

Que Sera Sera VOL.61 2010 SUMMER