医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 私がなごやメンタルクリニックに来て、そろそろ3年が経ちます。この間に私が上手になったことは“採血”です。今回は採血のことを取り上げましょう。

「やらないからできない」から「できないからやらない」へ

 前の勤務先、菊池病院では検査技師が採血をすることになっていて医師がする機会がありませんでした。最初から私に採血ができなかったわけはありません。肥前療養所では動脈血や留置針を入れることを良くしていました。しかし、定期的に実地に繰り返し行っていないことは、時間がたつと下手になります。下手を自覚すると、苦手だと思います。苦手を避けるようになり、そのうち自分は「できない」と思うようになります。次に「できない」から「下手」なのだと思うようになります。さらに「下手」だから上手な他の人にしてもらおう、と人頼みになります。なごやメンタルクリニックに検査技師の資格も持っている岡嶋心理士が来てからは、頼りになる「他人」が実際にいたのです。「下手」で「できない」でも大丈夫です。

 しかし、次第に岡嶋心理士が担当する行動療法カウンセリングが増え、彼女に採血をお願いすることが難しくなってきました。2010年に入ってからは、一日のほとんど時間がカウセリングで埋まってしまい、採血は前から予定されていたものだけしてくれるようになったのです。当日、採血の必要が生じたとき、私が「下手でできない、だからしない」と言い出しても、誰も代わってくれません

 「できないからしたくない、だけどしょうがない、するしかない、嫌だなぁ、なんで岡嶋さんのカウンセリングはこんなに増えたのだろう?」と思いながらやっていると、本物の「下手になります。「下手」を人に見せよう証明しようとしていたかもしれまん。ある20代の女性患者さんは、私の採血の様子をみて後から、「先生が緊張していて、おかしかった。冬なのに汗を一杯かいていて、キョドっていた(挙動不審)」と言ってくれました。本当にそうだったと思います。この患者自身は自傷の経験もあり、傷ができるとか、血が出るとか、は気にしていませんでした。私が緊張する様子を面白がり、私が失敗して両手や手の甲などあちこちの血管を傷つけることになるのを期待しているようでした。

 もちろん、傷や血を見るのが好きな方は少数です。たいていの患者さんには謝ってばかりでした。もたつくうちに血が固まってしまったり、採血方法を変えてもうまく行かず、結局、カウンセリング中の患者さんに無理をお願いして、岡嶋さんに代わってもらうことが良くありました。

ちょっとは勉強しよう

 やっぱりこれではダメだ、なんとかしようとネットで採血のコツを探してみました。ぞろぞろでてきます。「採血がうまくなるコツがあったら教えてください」という質問は新米看護師・医師ならば誰でも一度はする質問なのでしょう。

 私にとって一番参考になった答えは、YAHOO知恵袋で見つけた答えでした。要約すると、

  • 見えている血管ではなく、指先で触れる(弾力のある)血管を探す。

  • 針を持つのと逆の手で、適度に血管を伸ばしたりして固定する。針で刺そうとすると血管は必ず逃げるから。そして、決め手は「感覚は文章で言ってもしょうがない。とりあえず数をこなす。」
     この質問の答えを書いていた方の最後の言葉は「2〜3年前までは研修医相手によく教えていましたが、結局は自分で感覚を磨くしかないと分かり、今は要点だけ教えて放り出してます。あとは実地練習。100人くらい刺せば誰でも上手くなります」でした。

 要は、「下手」でも「できない」でも何でも、やってみて体で覚えるしかないのです。

「できないからやらない」から「やってみたらできた」へ

 今までは浮き出て見えている血管に刺そうとしては失敗していました。 YAHOO知恵袋を読んだときから、見える血管に刺すことを止め、左手の指で血管らしきものに触れるようにして、その血管をそのまま指で押さえたり、引っ張ってみたり、人差し指と親指で挟んでみたりして、その状態のまま右手にもった針で刺してみるようにしてみました。

 入りました!そして、なんどか繰り返すうちに、表面からは見えない血管にも入れられるようになりました。表面に青く見える細い血管よりも、見えない血管の方が太くて入れやすいことも分かってきました。「私の血管は取りにくいのです、前、看護師さんが苦労していました」と仰る患者さんからも採血できるようになりました。電子カルテに採血をしたことを記録に残すのですが、そこに「神業!」と自分でコメントしていました。それぐらい嬉しかったのです。今は全部とは言いませんが、9割方は1回目で採血ができるようになりました。採血の最中に趣味の話など雑談もできるようになりました。

 こうやって自分のやったことを振り返ると、乗り物恐怖や不潔恐怖の方が行動療法で治っていく過程と良く似ていることがわかります。「できないからやらない」と言っているうちは、できないのです。おそらく一生。「苦手」でも「できない」でも何でも、やってみて体で覚えるしかないのです。「できる」条件を見つけ、実際にやってみて、「できる」を繰り返すと、上手になるのです。

採血で気を失わないコツ

 さらに調べると採血には他にも面白いことがあります。私の勉強の結果をご披露しましょう。

 血液外傷恐怖

 体質的に採血をされると気持ちが悪くなる方があります。ひどい場合は失神してしまう方もあります。この体質は遺伝的なもので、原因は「血管迷走反射」(血管運動性失神反応、VVR)のためです。人は大きな血管などに傷がつくと、出血します。大量出血すると命を失うかもしれません。出血しないためには血圧を下げれば良いのです。人間の体にはそのようにして大きな怪我をしたときに血圧を下げる仕組みが備わっています。それが「血管迷走反射」です。一方、人によってはこの反射が強く出過ぎる方があります。血管に針がささった途端、血圧がガクンと下がってしまうのです。ひどい場合は、「注射」「採血」という言葉を聞いたり、テレビで手術場面を見たりしただけで反射が生じ、気持ち悪くなってしまいます。この状態は「血液外傷恐怖」と呼ばれ、不安障害の一種類になります。人間ドックで採血検査を勧められた体格の良い男性が「注射するくらいなら死ぬ!」と採血を断固拒否したり、医学生が授業で手術場面を見学するたびに、バタンバタンと倒れ込んだりするようなことが実際にあります。

 血液外傷恐怖の主な症状は次のようなものです。

  • 血の気がひいてきて気分が悪くなる。吐き気と頭痛が生じる。

  • 目の前が真っ暗になり、音も聞こえなくなり、声も出なくなり、意識が遠のき、動けなくなる。

  • 顔が真っ白になる。

  • 足に力が入らなくなり、床に倒れ込む。

 応用緊張:緊張して血圧を保つ

 1987年にスウェーデンの行動療法家、オスト教授が“応用緊張”という行動療法の技法を発表しました。これは採血に使う以外の手足やお腹に精一杯力を入れることで、血液を体の中に止め、血圧低下を防止する方法です。血圧が下がらなければ、採血も怖くありません。

 具体的なやり方

 これは自分で血圧を保つ訓練ですから、予め練習しておく必要があります。

  1. 椅子に座り、手足やお腹の筋肉に力を入れて10〜15秒間緊張させて下さい。両手の手のひらを合わせて押したり、膝と膝を合わせて押さえたりするのです。頭がぼーとのぼせてくるまで続けて下さい。これが血圧が上がってきた証拠です。血圧計で計りながらやればもっと確実です。

  2. 手足やお腹の筋肉をゆるめて、20〜30秒間ほどリラックスしてください。完全にリラックスするのではなく、すぐ立ち上がれるぐらいに止めてください。

  3. また力を入れて、1と2を5回ほど繰り返して下さい。

 この方法で思うがままに血圧を上げられるようになれば、採血も大丈夫です。針が血管に入ってくる瞬間から緊張するようにすれば、気持ち悪くなったり、失神したりすることを予防できます。

 血液外傷恐怖の方にとって、大事なことは、リラックスしないことです。不安や恐怖の方にはリラックスを勧めることが多いようです。血液外傷恐怖の場合には、リラックスすることがかえって失神を引き起こす原因になり、それが恐怖の理由になります。

参考 血液外傷恐怖の患者さんに応用緊張と行動療法を用いて治療したケースについて、岡嶋心理士が報告しています。
岡嶋美代 & 原井宏明(2007)注射恐怖の重症例に対するエクスポージャーとApplied Tension. 行動療法研究、33(2),171-183。

Que Sera Sera VOL.62 2010 AUTUMN