医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 3月11日に東日本大震災が起こりました。被災された方・避難中の方に心よりのお見舞いを申し上げます。一方、ちょうど地震と津波、さらに原発事故と続いているときが、私にとっては病床の父を見送るときと重なりました。私は、子どもも含めて大勢の人が亡くなったというニュースを聞きながら、78歳の老人1人の死を悼むことになりました。矛盾した気持ちになったものです。

 父の思い出の中で印象に残っていることを今回、1つ取り上げることにします。日本酒の酒造りのことです。

 父は大学で醸造工学を修めた後、京都市伏見区の小さな日本酒メーカーに就職し、定年後も製造担当の役員として残り67歳まで勤めました。昭和一桁世代の1人、日本の高度成長期の中小企業のサラリーマンの1人ということになります。子どもの頃、父と一緒に風呂に入ると、仕事のことを聞かされていました。

 1992年まで日本酒級別制度というものがありました。全ての日本酒は二級、一級、特級に分類されていたのです。一級、特級については国税庁が専門家に利き酒を依頼し、審査を行います。審査を通過した酒は、一級・特級と国から認定されると同時に、酒税もランクに合わせて高くなり、値段も高くなっていました。父は大阪国税局での新酒鑑評会審査員でした。父は、新酒ができると、それを自宅に持ち帰り、当時、小中学生だった私に"利き酒"をさせていたのです。私も火落菌(ひおちきん)や生老(なまひ)ね香(か)、三増酒(さんぞうしゅ)などの名前も覚えていきました。

 新酒鑑評会では、鑑定対象の酒についてブランド名など一切ブラインドにして行います。利き酒をする順番も変えて全てが平等になるようにします。審査員に対するテストもあります。数種類の酒を二つの杯に分けて入れ、それを2列に並べ、どれとどれが同じ酒かを当てるクイズです。父によれば、新酒鑑評会審査員というプロでも外してしまうことの方が多く、結局、人間の五感は曖昧なのだということでした。一般消費者にとっては、"特級酒"とか"高価"というようなラベルの方が酒そのものの味よりも"おいしい"という主観に影響します。不味いものでもテレビなどで宣伝が上手ければ売れるのです。酒米を安価なものに変え、醸造工程で手をてん抜き、アル添(サトウキビなどから作った醸造アルコールを足すこと)をしたとしても、ラベルが一緒ならば、消費者にはばれないのです。しかし、長い目でみると、コストダウンを続けるうちに消費者が離れていってしまいます。一度、信頼を失うと、それから品質を良くしたとしても簡単には元には戻れない、それが父の主張でした。

 酒の味が分かるということについて驚いたことがあります。父はまだ現役で、私が佐賀の国立病院にいた頃、父の会社の最高級の吟醸酒を同僚に毎年、譲っていました。そのうちの1人の同僚がある時、今年の酒の味が去年と違うと言い出したのです。その酒の原料米は1993年産です。夏の冷害と台風のために全国平均作況指数が74までに落ち込み、米不足を補うためタイ米を輸入したという記録的不作の年です。父に味の違いのことを伝えたら、「それは、天候のせいで、米の中のカリウム分が少なかったからだ」と説明してくれました。私には違いは全く分かりませんでした。1年前に飲んだ酒の味を覚えていて、今、飲んだ酒の味と比べることができる人がいること、そしてその違いを天候とカリウムという科学的概念で説明できる専門家がいる、という2つのことに驚いたのです。

 父が後継者として会社に引き入れた人物がいます。東京農大の発酵学・醸造学を卒業した後、別の会社を経て、1991年から父の会社に転職した、藤本さんです。彼が吟醸酒を担当するようになった翌年から、全国新酒艦評会で金賞を受賞し、それからずっと平成23年(2011年)までの20年間に16回の金賞を受賞しています。その内、平成23年までの14年連続金賞受賞は日本タイ記録です。ここまで来ると藤本さんは当然、有名になり、各地の酒蔵から技術を教えてくれと言う要請がひっきりなしです。でも、父はこんな風に言います。

 真似しようと思って、酒の作り方を聞いても、見学しても、結局あかんのや。藤本君の酒が旨いのは、彼の舌がええからなんや。美味しい酒を選ぶのが上手なんや。作り方だけやない。

 父は自分のことを自慢しませんでした。しかし、葬儀のとき、藤本氏は父にとても感謝していました。父が今の会社に引き入れてくれなければ、連続金賞受賞もありえないのです。最初の蔵元(くらもと)を退職した後、酒造りから足を洗うことも考えていた人です。その藤本さんに父は自分の知る酒作りの技術を惜しみなく教えていたようです。藤本さんは今も、吟醸酒の原料として最も優れた山田錦ではなく、父が発掘した京都の地場の酒米である"祝"という米を使い続けています。

 技術は伝えることができます。技術は説明し、見せることができます。酒米の中のカリウムのように数字にして毎年のデータを比較することもできます。一方、どのように技術を究めたとしても、味を見る舌がなければ、良い酒は生み出せません。両方を持ち合わせるというのは大変なことなのでしょう。

 ところで、私は素人よりは日本酒の味がわかります。「新潟はどう、灘はどう」などと酒について知ったかぶりをして、あれこれ講釈を垂れることもできます。でも、先ほどの同僚や藤本さんほどには味は分かりません。今後訓練したとしても、とても追いつけるとも思えません。私には味を見分ける舌はないけれど、本当に味が分かる人がいることを知っている、それが私の幸運なのだと思っています。

 父は広島大学文書館のお力でオーラルヒストリーを残しました。父の形見となります。酒造りのことがもっと詳しく書いてあります。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/news/110120harai_oral.html

Que Sera Sera VOL.65 2011 SUMMER