医療法人 和楽会  なごやメンタルクリニック院長

原井 宏明

 2011年7月、なごやメンタルクリニックで事務・受付をしてくれていた職員Nさんが寿退職しました。彼女は2008年3月に大学を卒業してすぐ、なごやメンタルクリニックに就職しました。私は同じ年に就職しました。だから、私と彼女はいわば同級生です。同級生という意味では、もう1人の事務職員と岡嶋心理士が2008年4月になごやメンタルクリニックに就職していますから、この4人が同級生でした。

 結婚式は、なごやメンタルクリニックがある井門名古屋ビルの2つ隣にある会場で行われました。披露宴で新婦側の主賓として私が一言挨拶することになりました。一足先に卒業する同級生に対してクラスの代表として挨拶をする感じでした。今回は、その時の挨拶を元にして書いています。

 最初の数ケ月、彼女がよく口にしていたことがあります。実習に来ていた時に比べて責任も増し、夏まで続けられるだろうか、患者さんの応対が慣れない、そんなことをよく話していました。

 私は強迫性障害治療の専門家です。強迫性障害の患者さんには、なにかにつけてこだわりが生じます。靴をスリッパに履き替えてください、と言われれば、スリッパに何かついていないか、にこだわります。100%絶対安全な清潔スリッパという保証がなければ、クリニックに入ってきません。こだわる対象はスリッパのような実体のあるものだけではありません。会話にもこだわります。クリニックに電話をかけると、説明に100%納得できなければ、電話を切ることもしてくれません。“納得できるまで、きちんと説明するのが当たり前、当たり前のことだから私が分かるまで説明して、何分でも何回でも、だって不安なんです”。こんな風に言う強迫性障害の患者さんもおられます。一度、クリニックに受診して、原井から行動療法の説明を受けたとしましょう。“実生活をする上で避けられないリスクと曖昧さを受け入れ、なんだかわからない、すっきりしない、そんなもやもやした気持ちを抱えたままで生活するようになること、それが行動療法で強迫性障害から回復すること”ということが言葉では分かったとしても、診察室から出ればまた元のこだわりがでてきます。会計もそう、次の診察予約もそう。差し出した紙幣が間違ってなかったか、確実に予約できたかどうか、と不安材料を探してきます。全部済ませて、一度、外に出た患者さんでも確認のためにまた受付に戻ってくることがあります。家族がついていれば、家族が納得させようとしますが、その家族にも荒々しい態度をとって、自分の要求を通そうとする患者さんもおられます。他の人が見ている待合室の中で親子・夫婦喧嘩になることもまれではありません。

 患者さんがクリニックと最初にかかわりをもつのは、電話で初診の予約をとるときで事務職員です。患者さんがクリニックに来られたとき、最初に目を合わせて話す相手は受付に座っている事務職員です。診察を終え、クリニックから出る前、最後に話をする相手も事務職員です。事務職員はこだわりのある相手と事務的なお話を事務的に進めなければならないのです。原井はずっと診察室に籠もっていますから、1人で対応しなければなりません。

 “あなたそれ変ですよ、こだわりすぎ、普通はこうでしょう、次の患者さんが待ってますから、もう1回だけにしてください、なんべん言ったら分かるんですか!”では患者さんは動きません。逆に、もっとこだわるようになります。“事務員の態度が悪い、院長を出せ、理由を説明して”と言い出す時だってあります。しかし、こだわりに流されるまま、患者さんの望むままにしていたら、ひとことの行き違いで長い時間がかかってしまいます。事務作業が進められません。

 最初の頃、Nさんも戸惑っていました。相手に合わせながら、相手に巻き込まれない、なんて大変なことです。電話でこだわる患者さん、部屋から出てくれない患者さん、なかなか会計が終わらない患者さん、いろんな人がいます。最初の数ヶ月は私や岡嶋心理士によるお手伝いが必要でした。いろんな質問の仕方をされても、事務的なペースで同じことを同じ言い方で答える(壊れたレコード法)、相手が不安に思っていることを確認するような言葉にして返す(共感をもった聞き返し)、相手のペースにはまらず、問を置いて答える(遅延返し)を教えました。そして、「もっと説明してください」「院長を出してください」のような要求に服従しないこと、「時間がないから急いで下さい」「これだけ言ったんだから理解して下さい」のようなお願い命令をしないことも伝えました。聞き返しが上手になれば、要求服従やお願い命令をしなくてすみます。

 こうやって二坪ほどの受付スペースの中でこだわる人たちとの対応を続ける内に、突き放しはしないでドライに対応することを事務職員さんたちは身につけていきました。患者さんが診察と行動療法カウンセリングを2、3ヵ月間続けることをサポートできるようになったのです。その結果として、毎月20人程度の強迫性障害の新患さんが行動療法カウンセリングや集中集団行動療法プログラムを受け、とらわれから自由になっていくことを手伝ってくれました。

 そうこうするうち、3年半がたってしまいました。最初は続けられるかどうか心配していたNさんは1日も休まずに勤めてくれました。感謝するばかりです。ところで、こだわる患者さん相手にドライだけれど、だからこそ役に立つ対応をしてくれるNさんは他の場面でも上手に対応してくれます。彼女の退職予定が決まり、新しい事務職員さんが来てくれるようになりました。彼女の最初の仕事が私にお茶をだすことでした。

 新人さんが「先生、どのお湯飲みが良いですか?」と訊いてくれたので、「“湯”のみ入る湯飲みね。“湯”だけよ。“水”は入らないやつにしてください」と言うと、Nさんがすかさず、「これは却下。もっと上手になるまで相手にしたらダメよ。」強化の原理を使っています。さすが、3年半。

Que Sera Sera VOL.66 2011 AUTUMN