夫婦 〜いつまでも一緒に?〜

 ”夫は妻を慕いつつ妻は夫を遠ざける”………夫婦の定年後の付き合い方について民間企業が行った意識調査結果を報ずる今朝の朝刊の見出しであlります。

 調査は昨年10月に実施され、首都圏の40、50代の夫婦約190組
が回答、その結果、「定年後なるべく一緒に」という夫は51.3%だったのに対し、妻は27.4%にとどまり、逆に「夫婦別々の時間を作りたい」という「けじめ派」は、夫が45.5%、妻62.6%だったのだそうです。(3月9日付け朝日新聞朝刊)

 この記事で身につまされる人は少なくなかったのではないでしょうか。

 それとも、そうではなくてやはり夫婦間の、このような意識の落差に気付かなかったり気付こうとしない人達のほうが多いということなんでしょうか。そしてその結果が、妻からの突然の離婚宣言に、なす術もなく哀れを極める夫の姿だったりするのでしょうか。そういえば厚生省の1997年人口動態統計で同居25年以上の熟年夫婦の対前年離婚増加率が、15.1%と過去最高に達していたことを思い出します。

 こうしてみると夫婦という男女の絆は、夫婦だからといって格別強いものでは決してない、夫婦の関わり方や相互理解の在り方で、いつ切れてしまっても不思議ではない程のもろさも、実は併せ持っていると考えるべきなのかもしれません。

 そしてそのもろさとは、人なら誰しもが多かれ少なかれ抱えている心の弱さや傷つきやすさと決して無縁のものではないと思われるのです。

 相手に対する願いや、してほしいこと、あるいは逆にしてほしくないこと、そして今この自分がどんな気持、どんな状態でいるのかなどについて、その相手から不当に無視されたり、全く関心を払ってもらえなかったとしたら、たいがいの人は失望し心傷つくに違いない。しかもそれが同じ人との間で毎日のようにいつまでも繰り返されるとしたならば、その辛さや悩みを感じまいとして、その相手から少しでも心理的距離を置こうとするか、もっと別のもので心の憂さを晴らそうとするに違いない。そして更にはそのような心の手立もままならなかったがために、ついには心身の不調を来してしまうことだってある。これが今まで私が見聞きしてきたわが国の多くの夫婦の姿でありました。

 ”結婚するまではわかり合え支え合えるいい人だと思っていたのに、結婚後彼はすっかり変わってしまった””結婚する前は全てが気に入っていたのに、一緒になってみたら嫌なところだけがいろいろ目につきだした”。よくいわれる言葉であります。このように、結婚前は相手の気に入る自分を演じ続け、結婚してしまうと気ままな振る舞いが多くなってくるのはごく当たり前の話で、それだけ嘘いつわりのない本当の自分をさらけだせるほど親密度が深まったのだというのであれば問題はないわけです。

 問題なのは気ままな振る舞いや要求は往々にして相手に犠牲を強いることになるということです。しかもこの自由で気ままな振る舞いや要求はしばしば暴力を伴うのです。カナダのバンクーバーの総領事が妻を殴ってケガを負わせ、警察に逮捕された時「妻を殴るのは日本の文化だ」と居直った、というニュースが話題になったのはついこの間のことでした。残念ながら、自分の言い分が通らなくて一方的に暴力を振るい、無理やり自分の思いどうりにすることで、相手に犠牲を強いてしまっているのは、圧倒的に我々男性・つまり夫側に多いのであります。

 自分の言い分になかなか耳を傾けてくれない夫への不満や怒りを内向させ、心身の不調をきたしたり、うつ状態に陥ったりする妻は少なくありません。

 夫とは「定年後なるべく一緒に」という妻が三分の一に満たないという調査結果のあることを夫たちは真剣に受け止めるべきであります。

 次回も夫婦関係について考えてみたいと思っております。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.16 1999 SPRING
岩館憲幸