父親が見えない

 私はこれまで約4年間、小・中学校でスクールカウンセラーとして、主に不登校生(児)の親との関わりをもってきましたが、そこで強く感じたことの一つに、不登校生の父親の、父親としての存在感の薄さがあります。先日O市の”E中学”における「スクールカウンセリング年度末報告」ではそのことにもふれて述べさせてもらいました。

 今回はその一部を、誰とは特定できないように書き改めたうえで引用しながら、話を進めていこうと思います。

 小学校時代から中学1年3学期まで不登校を続けているA君の父親は、慢性の疾患を抱え体力の無さを理由に、子どものしつけを全て母親任せにしておりました。会社から帰って食事や入浴を済ませると、9時頃にはもう早々と寝室に引っ込んでしまい、家族との対話があまりみられませんでした。自分の好きなビデオをA君と一緒に見る時間はあっても、A君の話をじっくり聞いてやったり、教えさとしたりする時間は取れませんでした。逆にA君が何か欲するものがあれば簡単に応じてしまい(普段相手をしてやれてないという思いもあってか)、我慢やこらえの力を育てようとする父親らしい厳しさは見受けられませんでした。一方、総合病院の婦長さんとして夜勤もある多忙な母親には、子どもたち(A君には高1の兄がいる)に対して十分なことができていないもどかしさがありました。しかしだからといってその埋め合わせに物を与えたり甘やかすようなことはしませんでした。相談室を訪れるのはいつもその母親だけでした。小さい頃から人見知りの傾向が強く、小学校低学年に、皆の前で発表できなかったことがきっかけで不登校が始まったというA君を、あせらずクールにとらえる余裕を感じさせる人でした。A君は教室にはあらわれなくても部活の卓球には熱心に参加しておりました。理科や電気工作が得意なのと、読書好きで、わからない字があればすぐ辞書で調べる習慣を身につけておりました。母親はこのような特性を伸ばせればと考えており、必ずしも登校にはこだわっていませんでした。ただAくんは父親似で、人との感情交流の乏しさが心配、父親にもっと子どもへの積極的な働きかけがあったならと、訴えることがありました。その父親的な役割を、多忙で活動的なこの母親が担っていたのかもしれません。

 中学2年の2学期から不登校を続けた男子生徒Bくんについては、両親が揃って訪れたのは初回面接の時だけ、母親にはカウンセリングヘの根強い抵抗があるらしく(以前心身の不調から一度だけ隣市の某クリニックを訪れ投薬を受けたことがあるが、家族には、二度と行きたくないといっているそうです)、その後相談室を訪れるのは父親だけでした。

 不登校のきっかけは、当初担任の先生に部活の人間関係にあると知らされていましたが、父親の話から、母親の心身の状態が、Bくんの生活行動面に少なからず影響を及ぼしていること、そして父親自身は、かかる母親と息子の両者に対して真っ正面から向き合い、話し合っていないらしいことがわかってきました。

 登校刺激はしばらく禁忌とし、今は何より昼夜逆転になってしまっている生活リズムの立て直しが先と、父親と二人で相談し合いながら、さしあたってBくんにとって実行可能と思われる課題について簡単な日課表を作ってみたりしたのですが、うまくいきませんでした。母親が万事につけ悲観的になっていて、かかるBくんへの私どもの働きかけにも懐疑的で、協力してもらえなかったようなのです。もともとBくんは母親とはよく話すのですが、父親とは話したがりませんでした。父親との対話が少ないのは中学生ならよくあることです。でも今回だけは父親としての、そしてまた夫としての父性やリーダーシップを示すことで、母親とBくんへの関わり方を変え、深めてほしかったのです。

 もともとこの家族は母親が中心で、子育てを始めとする家の中の主要なことがらは母親が取り仕切っていたと考えられます。父親は父親として、妻や子供に対し父性を表わすことはあまりなかったのではないでしょうか。母親が元気がなくなってしまうと家族機能はたちまち停滞してしまったに違いありません。Bくんの不登校もそういった家族病理によってもたらされた可能性があります。

 父親と面接を続けながら、目の前にいるその父親に、Bくんの父親としての父親像が一向に見えてこなくて、一〜二度会っただけでそこには実在しない母親に、母親としての存在感を感じてしまうのでした。

 B君が登校を再開するようになったのは、10月半ばの親子・担任等による三者進路相談がきっかけでした。その時の母親の極めて強い口調の高揚した姿がとても印象的だったと、同席の先生から後で知らされました。

 次回も父性について取り上げてみたいと考えておリます。

 

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.20 2000 SPRING
岩館憲幸