不登校とひきこもり−父親が主役に−

 先日岐阜市の青山中学で不登校の親御さん達と語り合う機会がありました。平日ということもあってか出席された6人中、父親はお一人だけでした。

 私はこのシリーズで、度々父親としての、あるいは夫としての在り方について触れてきたつもりです。父親は子育てに、夫は家事にもっと積極的に関わる必要がある、と強調してまいりました。その日の集談会でも不登校問題の解決は父親が主役にならなければと話しました。全国で50万とも100万ともいわれ社会問題化しているひきこもりになってしまわないためにも、不登校の初期にまず父親が毅然とした態度で登校させることが大事と説きました。精神科医斉藤環氏は著書「社会的ひきこもり」(PHP新書)で、ひきこもりのきっかけとして不登校の長期化を第一に挙げております。斉藤氏は最近のNHKの教育特集番組『ひきこもり、扉のむこうからのSOS』(平成15年2月22日)でも、豊富な臨床経験から分りやすいコメントをされておりました。

 原因究明よりも問題行動の改善を優先する認知行動療法的立場から、父親に不退転の覚悟で不登校に取り組ませることで、劇的効果を挙げ注目されている川崎医療福祉大の石川瞭子氏は、子供の気持ちにやさしく添い過ぎる余り、不登校を長期化させているのは、そのような対応を良しとする人達による“やさしさの虐待”ではないかと述べています。(石川瞭子「不登校と父親の役割」)

 また、最近文部科学省も、1992年設置した協力者会議の『「不登校はどの子にも起こりうる」、「強引な登校刺激は状況を悪化させる」危険がある、必要なのは「心の居場所作り」である』とした当時の見解が、教師や親の不登校に対する復学への働きかけを鈍らせる要因ともなったとして、学校復帰にもっと結び付くような施策強化(適応指導教室の整備等)を打ち出すなど、どうやら軌道修正に踏み切ったようです(NHK平成15年2月25日)。

 確かに「不登校はどの子にも起こりうる」は「不登校は子どもの一つの権利である」とする誤った認識を生み出しました。平成十三年度の文部科学省の追跡調査に依れば、不登校児童・生徒のうち、男子の11.2%、女子の5.4%は自ら不登校になったのだそうです。仮に自ら不登校になる権利が認められたとしても、不登校からひきこもりを続け、特に心身の障害があるわけでもないのに、成人後も働かず無為に過ごすことまで許されたわけではありません。不就労の権利は存在しないのです。わが国には、パラサイド・シングル現象にもみられるように、親がいつまでも生活の面倒をみてくれるからひきこもれるという状況があるのかもしれません。日本はひきこもっていても生きていける程、物質的に恵まれているということなのかもしれません。しかしそのような依存対象の親や家族の援助・支えが無くなってしまったらどうなるのでしょう。そうなる前に、ひきこもりからの脱出を果たしてしまわなければなりません。成人即自立を意味する欧米や、子どもの頃から食べるために働かざるをえない国々では、ひきこもりは極めて起こりにくい現象と思われます。一方日本ではひきこもりが、家族や周りの人達のやさしさの中で強化持続させられているところがあり、そういった点では不登校も同様だと思います。だからといって不登校がそのままひきこもりになってしまうとか、不登校とひきこもりに直接因果関係があると考えているわけではありません。とはいうものの、上記斉藤医師の調査でも明らかにされたように、ひきこもり事例の90%の人が不登校の経験をもつということ、彼等の、少なくとも70%近くの人が不登校をひきこもりの初期症状として表しやすく、それがそのまま慢性化することで社会参加を困難にさせてしまっている、この実態から目を背けることがあってはならないと思うのです。不登校が長期のひきこもりのきっかけになりやすいのは否定できない事実であると厳しく受け止め、親が、教師が、そして勿論一番悩んでいる子ども自身が、不登校からの早期脱出をまず目指すべきなのです。特に親は不登校の我が子と真っ正面に向き合い、教師との連携を密にしながら学校復帰をかなえさせてやれたとき、親としての子どもへの責任を果たせた気持ちになれるのではないでしょうか。子どもを自立させてやること、それが親の子育て最大課題なのですから。

 その子育てが、母親任せになっています。不登校を始めとする子どもの問題で父親の姿が見えてこない場合が多い、よく指摘される話です。私も同じ印象を持ちました。それでこのシリーズでも取り上げました。(シリーズ 16「父親が見えない」他)

 今回は、不登校への父親の関わりかたについて、その大胆な提言で大きな反響を呼んでいる前記石川氏の著書から、その基本的考えと具体的方略の要旨を紹介して終わりたいと思います。

 氏は、「不登校などの子どもの問題の核心は子供の自立に対する大人の役割不全にある」とし、子どもの問題は、基本的にはあくまでも両親が主体的に解決にあたらなければならない、なかでも不登校問題は、家庭において父親が主導的役割を果たすことで解決されると述べております。さらには援助者はあくまでも援助者として側面援助に徹するべきで、親以上に頑張ったりせず、親が自ら解決に望めるような状況設定を行うことが肝要であるとしているのです。

 以下は、氏が“父親による第二の出産”と名付ける不登校脱出のための父親の具体的行動方略の要約です。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.32 2003 SPRING
岩館憲幸