一日作さざれば一日食らわず

百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という禅僧は修行のための労働を重視しました。高齢になっても、草取りや掃除をやめなかったので、弟子たちが掃除道具などを隠してしまいました。すると、働くことが出来なくなって、部屋に閉じこもり、食事にも出てこなくなりました。その時に語られた言葉です。「一日作(な)さざれば一日食らわず」は「働かざる者食うべからず」とは少しニュアンスが異なっています。それは労働の対価として食べられるということではなく、仏によって生かされたものは、仏の悟りを確かめられず人のために働けなかった日は食べることが出来ない、といっているのです。実践によって全身全霊が充足するからです。実践を大切にして無心になることの大切さを説いています。

(中野東禅著 凡人のための禅語入門 幻冬社 より)

Que Sera Sera VOL.52 2008 SPRING