パニック障害の患者さんに道しるべを

新しい精神医学の啓発活動に力をそそぐ

FUTURE 1999;1:P4-5

東京都港区・心療内科・神経科赤坂クリニック〈なごやメンタルクリニック〉
1943年,名古屋生まれ。名古屋市立大学医学部卒業。ミュンヘン・マックスプランク精神医学研究所留学,岐阜大学神経精神医学科講師,助教授を経て,自衛隊中央病院神経科部長を務め,1993年なごやメンタルクリニック開院。1997年心療内科・神経科赤坂クリニック開院。同年不安・抑うつ臨床研究会設立,代表を務める。米国精神医学会海外特別会員。国際学術雑誌「CNS/Drugs」編集委員。医療法人和楽会理事長。日本筋ジストロフィー協会理事長。編著書に「新しい精神医学」「不安・恐怖症,パニック障害の克服」「脳内不安物質」などがある


 「パニック障害
」という疾患名が,米国精神医学会・精神障害の分類に登場したのは1980年のことであり,まだ一般の人にはほとんど知られていない。パニック障害は,来院する不安症患者の9割を占め,不安や恐怖とともにパニック発作が起こり,自分自身の制御ができなくなる深刻な病気であるが,国内外でこの病気をもつ人は,実に100人中3人と驚くほど多い。

 貝谷先生は,これまで誰にも相談できずに一人で悩んでいた,数多くのパニック障害などの不安症の患者さんに救いの手をさしのべるべく,1993年に名古屋に,1997年に東京に不安症専門のクリニックを開設した。さらに,不安・抑うつ症の医療水準を高めるために,1997年に有志とともに不安・抑うつ臨床研究会を設立する。

 「不安・抑うつ臨床研究会のメンバーは,パニック障害国際シンポジウムで意気投合した仲間です。研究会といっても堅苦しいものではなく,講演会やセミナーを開いたり,皆で本を作ったり,食事をしたりしながら,情報交換をする場です。そして,じっくり腰を落ち着けて診てくれる開業の先生に,パニック障害というものをもっと理解していただいて,パニック障害の専門医を養成していこうというのが目的です」と貝谷先生。

 また同じ年に「日本パニック障害の会」という患者会ができ,貝谷先生はこの会の設立にも努力を傾けた。

 「100人のうち3人もパニック障害の患者さんがいるわけですから,患者さんの職種もいろいろで,それも社会で非常に活躍している人が多いのです。そこで,1つのソサエティができるのではないかと思うのです。発作のことを考えると不安で不安で椅子にじっとしていることができないので,美容院にも行けない。歯医者にも行けない…。しかし,ここには美容師さんも歯医者さんも何人か来ているわけです。同じ病気の人なら患者さんも安心して行けるでしょう?“あそこへ行けば楽にできるよ”と紹介できる。私は,最終的にはそういうソサエティをつくることをもくろんでいるんですよ。」

 貝谷先生は,アメリカ精神医学会に毎年参加するたびに,日本の精神医学の遅れを痛感するという。

 アメリ力では不安症患者の大患者会などもあり,年間の電話相談を含め全相談数が数万件,パンフレット,書籍の類は膨大の数があるという。これに対して日本は,不安症の研究者がまだまだ少なく,啓発的な運動も貧弱である。専門家による一般の人が読む書物もほとんどなく,不安症は,“精神的なもの”“気のせい”だということが大部分の考え方である。

 「私は,患者さんに対してこの病気を絶対に“精神的なもの”と片づけることはしません。PETスキャンにも,発作時にも安静時にも激しい,はっきりした異常が現れるのです。これはれっきとした病気です。決して気の持ち方でなるものではありません。患者さんにはきちんと脳の病気と説明し,薬の治療を行います。」

 病気のレベルでとらえると,それだけで患者さんは救われるのだという。

 先生は,患者さんの、立場に立った,新しい,アカデミックな精神医学をやっていきたいと語る。

 不安・抑うつ臨床研究会では,たくさんの出版物を発行しており,『パニック障害』『不安症の時代』などがある。そして広報誌『ケ・セラ・セラ』が季刊で発行されている。“ケ・セラ・セラ”は日本ではペギー葉山が歌っていたが,1956年に封切られたアルフレット・ヒッチコック監督の映画「知りすぎていた男」でドリス・ディが歌ったものである。

 この一節からもおわかりのように,“先のことなど誰にもわからないのだから,病気のことをあれこれ心配してもしょうがない。なるようにしかならないよ”という意味を込めた温かく,センスのあるネーミングである。患者さんの心境が“ケ・セラ・セラ”になったら,治ったようなものである。

 そして先生ご自身もケ・セラ・セラ的,大人物とお見受けする。

 「お金をたくさん儲けようとは考えませんし,患者さんがたくさん来たら,その分を私にできることで返せばいい。ここのクリニックも“半年して患者さんが来なかったら,恥も外聞も捨ててすぐにたたみなさいよ”と会計士に言われてたんですが,おかげさまで患者さんがきてくれるから,たたまなくても済みそうです。(笑)」

 赤坂クリニックの3回以上の再診率は6〜7割と非常に高い。現在では2〜3か月先でないと新患が診られないという。「患者さんがまた来るということが大切なんです。いらっしゃいと言われたって,良くなってなければ来ないでしょう。」


 赤坂クリニックではホームページを開設ており(http://www.fuanclinic.com/),丁寧な病気の説明や患者さんの体験記が紹介されている。それを覗いてみると,ある患者さんの不安解消法の中に「不安になったら,貝谷先生の笑顔を思い出して,自分に“大丈夫よ”と言い聞かせる」というものがあった。

 「僕はどちらかというと怖い顔をしてるんだけど…」と照れくさそうに貝谷先生。

 「先日,アメリカヘ出張へ行かなければならず,怖くてしょうがない,という患者さんに,“薬もやるけど,俺のこの腕輪をはめていきなさい”と腕輪を貸してあげました。まあ,ちょっと神がかり的ではありますけど,効果はあるんです。精神的なところで可能な部分はカバーしてあげることが大事なんです」と貝谷先生はいう。

 前述の『不安症の時代』の中に,「人体は複雑で精緻なひとつの小宇宙である。そして不安とは雨降りのような一種の自然現象であり,パニックは雷雨や台風のようなものだ」とある。貝谷先生は,毎日の患者さんの天気の変化をみながら,時にはふわりと傘をさしかけ,路頭に迷ったら安心できる場所へ導びいている。

 診療所には美しく花が飾られ,やわらかな色のインテリア,絵画―――。少しでも患者さんの不安を取り除こうという,貝谷先生のご配慮が随所に感じられる。

 あとは貝谷先生の優しい笑顔と言葉,そしてケ・セラ・セラと口ずさめば,不安は一気に吹き飛ぶに違いない。

パニック障害の顕著な症状は,突然激しい不安にかられ,自分自身のコントロールが不可能になり,動悸や震えなどの発作が起こり,死の恐怖に襲われる。その原因は,幼児期の過剰なストレスなどの環境要因と,遺伝が考えられ,大人になってから突然不意にパニック発作が起こってくる。早期発見,早期治療を行えばコントロールできる病気である。