パニック障害患者の心性@

 先般、日本評論社より出版された「パニック障害」の中で偉大な博物学者ダーウィンがパニック障害であった可能性を病歴と伝記に述べられている行動パターンから推測しました。ここでは、それに引き続き、一人のパニック障害患者にスポットを当てるのではなく、私が診させていただいた多くの患者さんから得られたパニック障害患者にかなり共通する行動様式すなわちその基をなす心性について記したいと思います。

 S氏は37才になる新進の会計士です。10年前にスキー場のリフトに乗っている時にパニック発作を起こして以来、パニック障害とつき合っています。彼の顧客は宗教法人の社寺が多く、しばしば遠方まで出張に出かけます。S氏は今でこそパニック発作を起こすことは全くないのですが、それでも自宅から遠く離れると、何となく不安になってきます。そんな時、彼は胸の内ポケットからそっと小型のアルバム帳をとり出し、数枚の写真を時間をかけてながめます。そうしているといつの間にか心が安まってきて、あのいわれのない不安感は霧が晴れるように消えていきます。彼のアルバム帳には、自宅にある物ー筆記用具が置かれた書斎机、壁にかかった油絵、庭のみえる窓、タバコ盆とライター、食堂の椅子とテーブルが撮影された写真が入っています。

 27才になるOLのN子さんはパニック発作がおさまり自宅近くには少しずつ外出できるようになりました。彼女は外出する時にいつも大きな紙袋を持ち歩きます。その中には普段着のカーディガンが入っています。裾がほころびる程よく使い込んだしろものです。

 S氏もN子さんも日常慣れ親しんだ物を見ることや 持ち歩くことによって心を落ちつかせています。パニック障害の患者さんたちは身近な物に強い愛着心を持つことがよくあります。このような行動で日常性を確認することにより、非日常性−危険の感覚を遠ざけ、安心感を得ていると解釈できます。

 愛着心をまた違った別の行動で示す患者さんもいます。Oさんは外科医の奥さんです。35才を過ぎても子供がいないのでピアノを教えたり、ボランティア活動をしたりしています。パニック発作は1年以上経験していませんが、まだ外出には不安を感じます。彼女は菅原洋一の大ファンです。この歌手がほのぼのとした曲をやさしく歌い上げる太い声はOさんにとってはたまらないようです。この歌手のやさしさに惹かれて、彼女は札幌、東京、福岡とどこで公演があっても出かけて行きます。この時ばかりは、Oさんの愛着心は新幹線の密室や高空を飛ぶJALの恐怖感を凌いでしまいます。おっかけをしている患者さんは他にもいます。Kさんは、帝国ホテルで開催された小林旭のディナーショウ見たさに大阪から東京まで新幹線に乗れてしまった患者さんです。彼女たちを行動に駆り立てているのは異常に強い愛着心です。

 パニック障害の患者さん達によくみられるこの愛着心はいったいどこからくるのでしょうか?私は治療的観点からは精神分析学は殆ど重要視していません。しかし、患者さんの心を理解しようとするときに役立つことがあります。パニック障害に関する最近の精神分析学はこの「愛着心」を大きな問題としてとり上げています。それによれば、パニック障害患者は幼児期に親との「分離」が円滑に行われずに、依存できる対象に異常に強い愛着心が生じてしまうというのです。その良い例として、パニック障害患者は小さい時、親から離されると過度に不安を示すことがしばしばあると言われています。……この状態は専門的には「分離不安障害」と呼ばれています。……過保護に育てられたり、反対に親と死別したりした子供は分離不安を生じ易く、異常に強い愛着心が形成されるとしています。私自身はこの異常に強い愛着心は必ずしも親子関係から生じる後天的なものとは思っていません。幼児虐待を受けた人やアダルトチルドレンとはっきりいえるような患者さんは全体の1割前後のように思います。大部分の患者さんは問題のない幼少児期を送っています。このような親子関係に何ら問題のない患者さん達は、生来的な憶病・小心であって、それが何かのきっかけでパニック障害に後年発展してきたのだと私は考えています。私は、パニック障害はつきつめれば死の恐怖を敏感に常時感じる病気だ、と思っています。ですからパニック障害の患者さんには、純粋で素直な人が多いのでしょう。

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣