ため息と深呼吸 遠藤 朋子(仮名)

 さあて、困った!小淵沢(山梨県)に行かなくてはならない。何しろ、パニック障害歴18年の輝かしい(?)過去をしっかり身につけたこの私。一年前からの治療効果には目覚ましいものがあるとはいえ、やはり一大事には違いない。目的は姪の結婚式。一年前の私なら即座に、丁重に欠席の連絡をしていた筈なのだが、そこが大きな違い、今の私は迷いもなく出席の葉書を出してあった。

 しかしである。現実に行くべき日が近づくにつれ、「小淵沢」「特急あずさ」「2時間」というフレーズが、常に頭の中に浮かんでは、消え、またまた浮かんで来てと気分が重ーく沈んでくる。思わず深ーいため息をつく。・・・・・そのため息だが、以前、友人に「ため息をつくと、それだけ気力が抜けちゃうのよ。だからだめよ、ぐっと飲み込んで前向きに進まなきゃ」と言われ、素直な(?)私はなるべく「気」が抜けないように、ため息は飲み込んで来た(そのお陰か、だいぶ腹膨れる思いが・・・ではなく、単に太ってきただけだが)。ところが別の友人から新説浮上。「思いきりため息をつくと、いいのよ。体から余計な力が抜けて、気分も軽くなるもの。そこでゆっくり深呼吸をすると新しいファイトも湧くってものよ」うーむ。一理ある。と言う訳で以来、この後説に従ってため息は当たりかまわずつくようにして来た。(しかし痩せはしないが、)

 そして当日、予期不安と二人三脚で新宿駅に着く。久しぶりに再会した親戚一同とにぎやかに、ひたすらしゃべりまくりながら胸の一点から広がり出しそうになる説明しがたい恐怖感を振り切るようにして、すぐに乗車した。肩の力を抜いて、そう、心行くまでおなかの底から「ため息」をついて、冷たい飲み物をクッとひと飲み。

 幸いにして、この一年間の治療成果のお陰か、はたまた、あまりにおしゃべりに夢中になっていたせいか、無事二時間を乗り切り、小淵沢駅のホームに降り立った時に、「ああ、空気っておいしいんだ」と、人知れず感無量の思いで今度は、深呼吸。山の強い日差しも、頬をすーっと通る風も何もかも心地よく、幸せ気分。

☆ちょっとした大冒険

 と、ここまではなかなか順調な時が流れていた。ところが、用意周到な義兄が用意したマイクロバスが駅前で、我々の到着を待っていたのである。旅は終わっていなかった!

 そこから日本名水百選にも選ばれている「三分一湧水(さんぶいちゆうすい)」へと、新緑のまぶしい木立を抜けて到着。これ、まさに”南アルプス天然水”そのものが、木漏れ日の差す林の一画からこんこんと湧き出ている。常時水温10度の湧水は一日8500トンにも及ぶとのこと。すくって口に含むと冷たくさわやかな喉ごし。うーん、これは水で深呼吸の心地よさとでも言ったところ。ペットボトルに何本も入れている人もいる。

 肝心の「三分一」とは、その昔、湧水の利用を巡って長年続いた水争いを治める為に、三角形の石を置いて流れを分け、三本の用水路を三方の村へと設け、平等に水を分け合っているとのこと。先人の知恵にしばし感心すると同時に、いかに水が人々の生活に必要不可欠なものであり、大切に守られているかを再認識した。

 さて、少々賢くなったかと思ったら、次なる行き先は「白州渓谷」。そう、その名の通り、岩の間や河原の水底は真っ白な砂なので、水の透明度がよくわかる。河原に降りて水をすくってみたい、渓谷からの眺めを満喫したいと思うのが人情というもの。ところが、宝物はそう易々と手に入らないから価値がある訳で、眼前には長さ30メートルはあろうかという「吊り橋」がゆらゆら。幅は人が行き交うのがやっと。

 さあどうしようと内心躊躇していたのは私一人だったらしく、同行の面々は、一応「わー恐い」とか「きゃー」とか言いながらも渡って行くではありませんか。取り残されてはそれこそ一大事と、「えい、真っすぐ前を見て、消して見下ろさない、振り返らない、立ち止まらない」と心に決め渡り始めた。ゆうらり、ゆうらり揺れる。半分辺りに差しかかった時が正直怖かったが、前の人から離れまいと必死について行ったら、渡り切ってしまった。「なあんだ、大したことないじゃん」などと強がりを行ってみたりしたけれど、帰りがあるんだった。油断禁物。

 白砂は不思議な色。川の中の砂は緑がかって見え、とっても神秘的。少しクリーム色がかった河原の白砂は陽光にきらめいている。

 「これが、遠山の金さんで有名な”お白州”の砂かしら」などとくだらない事がふと頭をよぎる。折り重なるように渓谷を彩る新緑の中で、ゆっくりと何回も深呼吸。これで少しは人間としてもクリーンになったかなー?!

 瞬く間に一泊二日の結婚式付きリフレッシュタイムは終わりを告げ、ほっと小さなため息をつく。このため息は、過ぎた「時」を惜しむ気持ちと、帰路への不安感がないまぜになったもの。でも現実生活にワープするには、やっぱり深呼吸が必要らしい。