パニック障害患者の心性B

 わたしの親しい友人で喘息もちの人がいます。彼はゼイゼイしてくるとマイクロアプリケーターで吸入します。ある朝、ヒュウヒュウの発作が起き二吹きも吸入したそうです。呼吸困難はすぐ楽になりましたが、それから20〜30分過ぎた頃から、胸元がヒヤァとして、ソワソワして、何となく気分が落ち着かなくなったということです。そうこうしているうちに、無性に腹が立ち、些細なことで奥さんに怒鳴ってしまったといいます。「何故こんな気分になるのかな?不安になる理由は何もないのに…。」と元来性格円満なその友人は自己嫌悪に陥ってしまいました。それはそのはずです。彼が吸入した薬は自律神経に働きノルアドレナリン活性を高め、気管支を拡張させる作用があります。それが脳内に移行すれば不安を喚起することがあるのです。そのためにソワソワしたり、イライラしたりしたに違いありません。もちろん、パニック障害患者が大量に使えばパニック発作を誘発する可能性が強い薬です。「患者さんはきっとあんなように不安になるのだナ」と私はパニック障害患者の心持ちが少しわかったような気分になりました。

 パニックの患者さんは”切れる”ことがしばしばあります。待合室で熱くなってしまって受付の事務員を泣かせてしまった患者さんが、昔いました。パニック障害を診察し始めた当初は、このような患者さんはごく稀な例外と思っていました。しかし、長い間多くのパニックの患者さんを診ているうちに大部分の患者さんは多かれ少なかれ、このような傾向のあることがわかりました。診察室では紳士淑女の患者さんも家に帰ると遠慮がなくなってしまって、切れる人が結構多いようです。患者さんから「わたし家でいつも切れています」とはなかなか教えてくれませんが、私の方から聞くとそんなことがしばしばあります。先日若いカップルが診察を受けにきました。彼は結婚を控えてうれしいはずなのですがパニック発作が頻発しています。フィアンセの彼女に聞くと彼の切れようはすごいそうです。ほとんど毎日ポカンポカンとやられるということです。「結婚前からそんなでもいいのですか?」とわたしはひどいことを思わず聞いてしまいました。「彼は苦しんでいる時そうなるのです。普段の彼はとても優しくていい人です」と彼女は答えてくれました。

 パニック障害の患者さんが切れるのは病気のせいであり、切れる性格のせいではないことを彼女は体験的に理解していたのです。パニック障害による不安・恐怖は並大抵のものではありません。それも何度も繰り返し発作がくるわけですからほっとする暇がほとんどありません。このような状況に人間が置かれたら、穏やかな心境でおられるはずがありません。”不安、恐怖”状態が続いた結果、”怒り、攻撃”が生じてくると心因的に理解できます。しかし、わたしはこのような心因的な理解以上のことを考えています。脳機能から考えを推し進めると、不安・恐怖と怒り・攻撃性は表裏一体の関係であると思うのです。その証拠は冒頭にわたしの友人が経験したように、ある種の物質が脳内で作用したときに不安も怒りもともに生じるのだと考えているのです。パニック障害を不安神経症と診断していた頃の精神科医はどちらかといえばこの切れる状態を性格によるものだと考えていたのではないでしょうか。しかし、パニック障害患者の病前の性格を詳しく調べてみると、むしろ他人配慮的で、努力家、円満で、他人から信頼されることが多く、切れるなどということは想像もつかなかった人が多いことがわかりました。また、初診以来1年半の32歳になるイラストレーターの男性は、「先生のところにきた頃は、よく夫婦喧嘩をしました。妻はわたしの暴力で傷が絶えることがありませんでした。しかし、先生、今はとても仲がよいですよ」と言っていました。病気がおさまり、時間がたって、またもとの穏やかな性格に戻ったことを教えてくれています。切れるのはやはり性格のせいではなく、パニック障害という病気のなせる業であることがよくわかります。パニック障害の患者さんを取り巻く人々はこのようなことを十分に理解して、患者さんが切れてしまったら、同じ土俵の上にのっかって相撲をとらずに、土俵の外から冷静に対処することが必要であるのではないでしょうか。

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣