笑った日のことも忘れないで

高橋 陽子(仮名)

 今年の暮れ、私は30歳になる。そのせいか、それとも今年結婚を控えているせいか、このごろ「私の20代は何だったのだろう」と考えることが多くなった。約10年という貴重な時間を、病気のせいにして、ただ無駄に費やしてしまったのだろうか。発症してから私の行動は自ずと制限されるようになり、臆病な性格に拍車がかかった。たとえばふつうの20代の人が行動する時間を10だとする。すると私は3ぐらいしか行動していない気がするのだ。

 初めてパニック発作を起こしたのが20歳。立て続けに発作を繰り返し、乗り物恐怖や広場恐怖に陥るまで時間はかからなかった。テキストをそのまま再現したかのような模範的な進行具合だ。

 パニック障害の患者さんの中で、たくさんの病院をまわり、納得できない病名を告げられ「何だか違う、ここもダメか、2度と行くまい」と肩を落として家路につかれた経験をお持ちの方は多いのではないだろうか。目をつけておいた店で、マネキンが着ていた魅力的な服を試着したものの、「何だか違う」と思いながらも引っ込みがつかなくなって似合いもしない服を買ってしまい、「2度とこの店には来るまい」と固く心に決めて家路につくのと似ている。しかし服の場合、箪笥の肥しとなるだけで害はないし、馬鹿馬鹿しい出費をしたこともコロッと忘れるものだ。だが病院を訪れて持ちかえるのは薬である。私を含め患者さんは「何か違う」と感じながらも、良くなりたい一心で大量に出されたわけのわからない薬を一応は指示どおり服用する。それでも患者さんが次々に病院を探して彷徨うのは、正しく診断してもらえなかったことがわかるからだ。ことパニック障害にかんしては、かなりの自覚症状がある病気だから当然である。いつごろからだったか、私も自分の病気は「パニック障害」ではないかと考えるようになった。新聞や雑誌の記事には、WHOの定めるパニック障害の診断基準が掲載されており、そのチェック項目が、まるで私に取材して記事を作ったのかと思うほどだったからだ。

 パニック発作は私が苦手とする場所はもちろん、基本的に時と場所を選ばず気儘にやってきた。長引くにつれて、恐れていた強い鬱の症状が出るようになった。何をする気も起こらない。誰とも会いたくない。とにかくイライラする。キレる。わけもわからず泣き叫ぶ。パニック発作や鬱状態に翻弄されるがままの日々に20歳からつきあってきたが、もう限界だと思った。

 K先生に診ていただくようになって1年弱になる。初めて診察室でお顔を拝見したとき、「この先生には嘘はつけないな」と感じた。私は「いい患者」ぶることをせず「自分の情けない症状や弱みをさらけ出した。おかげさまでたとえ発作が起きても軽い状態で済んでいるが、鬱の症状はあまり良くない。だがこの鬱はパニック障害から来るものだと先生はおっしゃった。私もそう思う。病気になる前の元気な自分を覚えているからだ。なにしろ私がK先生にたどりつくまで9年もかかったのだ。症状がこじれて鬱状態に陥るのも当然かもしれない。

 その症状のひとつに、「人を信じられない」というのがある。人の心の裏を読むようになってしまう。でもあるとき、それが相手に伝わってしまい、傷つけ怒らせてしまった。私はそのとき初めて、人を信じないことがこんなにも人を傷つけるものなのだと知り、当事者以外には理解不能の苦しみを抱えるこの病気を、少しでも理解しようとしてくれる人がいることを知った。

 病気だとつい、わがままになる。物事を悪い方へしか考えられず、人の心の裏を読み、卑屈な態度に出てみたりする。自分でコントロールできないのだ。私はそんなことで大切な人を失うのは嫌だった。私はパニック障害はもちろん、それに伴う鬱の治療にも本格的に取り組むことに決めた。

 10年のうち、仕事につかなかった期間が約2年。ふと気がついたが、その期間ふつうのOLさんやサラリーマンの方が忙しさに追われてなかなかできないことを私はしていた。読書である。もともと好きだったせいもあり、今を逃すともう2度とゆっくり読書をする機会は作れない(そうたびたび作れても困るが)、今がチャンス!とばかりに、1日2〜3冊のペースで読みまくった。選ぶ本は娯楽時代小説や江戸文化物、歌舞伎関連の物に傾倒した。現実や現代がいやだったからかもしれない。

 絶望していたつもりでも、私は心のどこかで読書を小さな楽しみにしていたのだろう。

 たしかに私は人の半分も行動してこなかった。しかし読書によって、さまぎまな人々の人生を疑似体験した。その行為に意味はなくとも、想像力と感性をフルに活用した日々を無駄とは考えたくない。

 私の20代は、今は渦中にいるため、苦しんで悩んだ暗い部分ばかりが目立っている。しかし人生にはいろいろな側面がある。悩んでばかりではなく、楽しんだり笑ったりしていたこともあったはずなのだ。片方を見て、幸、不幸を判断する必要もない。だから「私の20代はなんだったのだろう」などという意味づけは、愚かなことなのかもしれない。いくつになっても私は私で、何者でもないのだから。