鎌倉行動療法体験記

Aさん

 今から1年半程前の平成10年10月16日、私はいつもの様に仕事場へ向う為に車を走らせていました。そして渋滞にはまっている内に突然体と心と頭の中に、竜巻の様なものが襲って来て、何が自分の中に起きたのか、心と行動が一致せず、気が狂って死んでしまいそうな不安と恐怖で、事故でも起こし兼ねない状態の中、必死の思いでなんとか安全な場所に車を止めて、婚約者に携帯電話で連結する事が精一杯でした。何度も救急車を呼ぼうと思い、携帯電話を冷たく汗ばんだ手で握り締め、ひたすら車の中で恐怖と戦っていました。もう駄目だと思った時に彼が駆け付けて来てくれて、心療内科のある病院に到着した時は、全身の力が抜け、車イスで診察室に行き、診断名は過呼吸症候群でした。帰りに出口まで、付き添って下さった看護婦さんから、不安神経症かもしれませんと、助言を項きました。この日から、乗り物や外出等が困難になり、新しく出発した楽しい生活に、暗い霧が立ち込め、あの恐怖に対して恐怖の毎日でした。見知らぬ土地に越して来て数週間だった私は、電話帳で近くのKクリニックを見付け、通院してみる事にしました。初診の日の診断名は、心的外傷後ストレス障害によるパニック障害、及び、アダルトチルドレン(AC)でした。ACは病気では無いにしても、2週間の間に病名が5つ付き混乱しましたが、「PDは2週間で艮くなります。」という先生の言葉に安心していました。

 初診の日から「悲しみの再体験」という、本当の自分らしく生きて来れず、心に傷を負ったもう一人の自分と会話し、傷を癒して行く作業が始まりました。当時の私は遡る事3年間、精神的にも肉体的にも深い傷を負い、その傷も癒えぬ内に、今度は、家族の問題で、更に心に大きな傷を抱え、深く絶望していた時期でしたので、後に述べます、ミーティングでそれを吐き出せた事は、当時の私には良い機会だったのかもしれません。しかし、肝心なPDに関する情報が少なく、個人的に専門書を読みあさっていたため、先生からあまり読まない様にと注意を受け、そして、婚約者との別居や生き甲斐として来た音楽の仕事を変える様に勧められました。仕事は以前から寿退職する予定でしたが、とても複雑な気持ちで一杯でした。通院して3ヵ月経った頃に、前々から勧められていた、その「ACミーティング」に数回参加し、5回目位の時には、先生から卒業の言葉を頂きました。私は家族に対して恨んでいた訳では無かったので、憤りは癒しつつありました。しかし、そこではいくつかの約束事があり、「AC同志仲艮くしない」「話したくない事はパスしていい」「ここでの事は家族や誰にも話してはならない」等でしたが、話せない人を責めたり、親に対し理解を示す発言をすると反論されたりと、先生の言動に矛盾もあり、普段の診察内容も、話してはいけないと言われていました。疑問を感じつつ孤独な日々を送っていました。そして体調に変化が現れると、新しい病名と訳の解らない薬が増えて行き、またACの問題に戻ってしまうという状況で、心身共に疲れ果て、この先どうなってしまうのか、悪い方へ考えが浮かんで来る様になり、死と背中合わせの毎日でした。それでも、前向きに頑張っていましたが、その矢先に、今度は解離性多重人格障害の疑いがある様だと診断され、魂が抜けて行きそうで言葉が出ませんでした。またAC作業のやり直しと、幼い頃の嫌な記憶をもっと想い出し、ノート一冊分書いて来る様にと宿題を出されましたが、先生に「もう催眠術でも架けて頂かないと想い出せません。」と虫の声で訴えました。実父は幼い頃の私に対しては、優しかった想い出が多く、両親がいなく寂しい思いはして来ましたが、亡き祖母や祖父に大切に育てられ、幸せだったと感謝して生きて来ました。自分なりに悲しみは浄化しつつありました。作業を10カ月間続けて来ましたが、もうボロボロで死んでしまいたいと思いましたが、どうせ死ぬ位なら、もう一度別の病院で頑張ってみようと思い、持っていた本で調べて、アゴラ会のHさんに、相談に乗って項き、熱くAクリニックを勧められて、昨年の9月10日に初めて、Aクリニックの扉を開けてみたら、病名も何もかもが別世界でした。2回目の診察の日は、1年ぶりに一人で何駅も電車に乗る事が出来、クリニックのある駅に辿り着いた時は、涙が止まりませんでした。外出する時は友人から教わった「コモエスタ赤坂」と「365歩のマーチ」の詩で励まされ、自ら、PDの本に目を通し理解してくれる友人や、パソコンで情報を調べてくれた友人に出会いました。PDの事を告白して、辛い思いをした事もありましたが、逆に素敵な友人達や世界が広がり、K先生や、婚約者に支えられ、色々な方々から励ましを項き、今年4月7日の鎌倉に行く、行動療法に参加する勇気を持てるまでになりました。そして、いよいよ当日、少し不安を抱えながらも、ニガ手な電車(しかも急行)も、楽しくお喋りしている間に藤沢駅に着き、江の電に乗り換え、海沿いを眺めながら、無事鎌倉に到着し、海と山が一望出来る、レストランのテラスで潮風に吹かれながら、楽しく昼食タイム。湘南の海の様に、皆さんの笑顔が輝いていました。ティ−タイムの時に、先生方のお話と、患者さん一人一人のお話を生の声で聞かせて頂き、独りでは無いのだと、改めて勇気付けられました。そして次は、桜の花を見ながら鎌倉山登山、30分程汗を流し、息を切らせながら、それぞれお話をしたり、楽しみながら登り切りました。先に到着していたK先生は、人の家の庭の中を覗いて、皆さんから注意されたりして(笑)行動療法という事を忘れてしまいそうな位、遠足の様に楽しい一日でした。K先生やカウンセラーの先生も、私達と同じ目の高さで接して下さいました。私は心の中に花が咲いた様な気持ちになりました。帰りも無事に帰宅する事が出来ました。後日「POCO A POCO」のCDを聴き、感動と同時に、心が切なくなるほど暖かいものを感じました。自分を信じ人を愛し、許し合い支え合い、感謝し、ゆっくりと、自然体で生きる事の大切さを、パニック障害が教えてくれました。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Vol.21 2000 SUMMER