孤独についての考察

― 不安障害患者の孤独感 ―

 パニック障害を診ていると、“先生!この病気になってから寂しいと感ずることが良くあります”と言う患者さんにしばしば遭遇します。このようなことから、今回は「孤独」について考えてみました。

 「人はだれしも、自分自身の生涯を一人で生き、自分自身の死を一人で死ぬものです」(ヤコブセン)。だから、「生き物は全て孤独である。そして人間は自らが孤独であることを最も良く知る者である。」(E.アラン)。孤独を感じたことのない人間はいないと思います。孤独は人間に与えられた正常な心理の一つだと考えられます。孤独に相対する行動−群れると言う行動は動物本能の一つです。ところが、人々の中には、孤独に親しんだり、孤独を望んだりする人がいます。たとえば、「孤独とは、港を離れ、海を漂うような寂しさではない。本当の自己を知り、この美しい地球上に存在している間に、自分たちが何をしようとしているのか、どこに向かおうとしているのを知るためのよい機会なのだ」(アン・シャノン・モンロー)。モンローに従えば、孤独は自己をよりよく見つめさせ、人生をより深めさせるということになるのでしょうか。「寂しい」という語を辞書で調べてみますと、“人の気配がなく、ひっそり”、“しずか”、“荒れ果てて”、“何もすることがない”、“奥深く物静か”、というように意味が広がっていきます。この“奥深く物静か”は“幽玄”につながり、“奥深く深遠ではかりしれないこと”、“あじわいが深いこと”、“情趣に富んで、おもむきがあること”などに通じ、さらには日本固有の“わび、さび”にも連なります。このように「寂しい」ことは、文化の担い手となる心的状況であると考えることができます。「孤独の生活の目的とは、もっとゆうゆうと、もっと気ままに暮らすというただ一つであると私は信ずる」(モンテーニュ)と、孤独の楽しみを説く人もいます。「孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである」(バルザック)。孤独を深く味わうことにより友人とのおしゃべりがより楽しく貴重なものとなるのでしょうか。ところが、「孤独は厚い外套である。しかし、心はその下で凍えている」(コルベンハイヤー)という言葉や、「孤独はこの世で一番恐ろしい苦しみだ。どんなに激しい恐怖も、みんながいっしょなら絶えれるが、孤独は死に等しい」(ゲオルギウ)という言葉からは、孤独が忌み嫌われた心的状況ということができます。「孤独が恐ろしいのは孤独そのもののためでなく、むしろ孤独の条件によってである」と述べた三木清の言葉が彼らの孤独に対する消極的思考を説明できるかもしれません。或る若い女性が言いました。“寂しいのは、必要とされない、幸福を与えられない、愛されている実感がないからです”と。ここまで述べてきた孤独感や寂しさは正常心理におけるものです。次に精神病理学的な意味における孤独について述べましょう。

 昔、私が懇意にしていただいていたある私立医大の精神科教授が、“うつ病の憂うつ感ややる気のなさは抗うつ薬によく反応するが、孤独感は薬ではどうにもならないよ”と言われていたことを思い出しました。うつ病は精神エネルギーが低下した状態です。気分が滅入るのもやる気がないのもそのためだと考えられます。孤独感が抗うつ薬で救われないのはこの心的状況は精神エネルギーの低下によるのではなく、心の方向がどちらを向いているかという問題と関係しているではと考えてみました。そして、パニック障害を診ていて、不安障害の患者さんにみられる孤独感は不安の裏返しであると考えるようになりました。理由のない不安、または理由があってもその理由に見合わない大きな不安、すなわち病的不安を持つ病気が不安障害です。ですから不安障害の患者さんが口にする寂しさは、普通の人が味わうのとは質的に異なった“病的な孤独感”であるということができます。

 パニック障害の患者さんが“うつ”になるといろいろな症状がみられます。私はパニック障害に見られるうつ病は、パニック障害のないうつ病とは異なった病像を呈することからパニック性不安うつ病と呼んで、その特徴を研究してきました。図にパニック性不安うつ病でみられる症状の頻度を示しました。パニック性不安うつ病の中でも際だった症状は、日没前後に多く現れる不安・抑うつ発作です。不安・抑うつ発作では、落ち着かない感じ、対処の仕様のない焦燥感、孤独感、他人に対する羨望、自己憐憫(じこれんびん)、そして絶望感、また、時に離人感がみられます。この不安・抑うつ発作はかなり急激に襲って来る大変つらい状態です。ところが、発作的にではなく、不安・抑うつ発作の症状がジワーと持続的に見られることがあります。孤独感もそのようかたちでみられることがあります。冒頭に述べたように、“寂しい!”と訴える患者さんがたくさんいます。次に深い病的な孤独感があったある男性患者について記します。

 Aさんは37歳になる雑誌記者です。パニック障害になる前は海外へもよく取材に出かけていましたが、最近は国内の取材さえもやっとこなしているというと状態です。奥さんは挿絵画家で、小説や女性週刊誌で人気が上昇中の売れっ子です。二人の間に子供はいません。Aさんは34歳の時、出張が重なったある夕方、同僚と仕事の打ち合わせをしているときに心悸亢進を主とする激しいパニック発作が起こし、救急車で入院しました。パニック発作が落ち着いて半年位経ってから典型的なパニック性不安うつ病となりました。不安・抑うつ発作が無くなってからも、やる気が出ず1日中ゴロゴロする日が続き、結局、1年半休職してしまいました。Aさんは、病気によりどんどん気が弱くなっていきました。どんな些細なことも奥さんに相談しなければ決めることができなくなりました。男らしくテキパキとした病前の性格をまったく失ってしまい、女々しく情けない男になってしまいました。収入も奥さんはドンドン増えているのに、Aさんのは休職により半減してしまいました。Aさんは奥さんに引け目を感じ、何事にも気を使うようになりました。このパニック性不安うつ病になってから二人の夫婦関係は急激に醒めていきました。奥さんはAさんの女々しさに辟易としてしまったのです。しかし、治療に専念し、医師の生活指導にもよく従いAさんのパニック性不安うつ病は徐々に改善し、復職にまでこぎつけることができました。それから、仕事にも慣れ、半年間ぐらいは順調にいっていました。ところがある日、Aさんが憔悴した表情でクリニックを訪れました。今にも泣き出しそうな顔をして診察室に座ったAさんはぼつりぼつりと話し始めました。Aさんは2ヶ月ほど前からクラブにはまっていました。10歳年下の女性を贔屓(ひいき)にするようになりました。ある日、何か充たされない気分で繁華街を歩いていて誘われるままに、店に入りました。そこで、アルコールは禁じられていましたが、一番軽いカシスオレンジを取り、その女性と話し込みました。話の途中で、Aさんがあまりにも寂しそうな顔をしているのでその女性は思わず両手でAさんの手を握りました。そのとき、Aさんの表情にかすかな安堵感がにじみ出ました。Aさんは黙って目をつぶりジーと満足そうにしていたと思ったら、Aさんは目を開けその女性に突然哀願しました。“君を抱擁させてください”と。その女性は一瞬怪訝そうな顔をしましたが、Aさんの純朴で一途な目を見て“いいわよ”と微笑んで目を閉じてAさんの思うとおりにさせました。Aさんはそっとその女性を抱いて、そのまま、また目を閉じかなりの時間じっとしていました。その間、Aさんは3年ぶりに生き返ったと思いました。こころが温かくなり、ほっとしました。充たされて、生きているという証を体全体で感じました。Aさんは長い間夫婦生活はありませんでしたが、その女性に性的な情を感じてこのような行為をしたわけではないと断言しました。彼女を抱擁することで寂しい気持ちが氷解していくのだと言明しました。Aさんはそれから足繁くそのクラブに通いました。そして、酒をたくさん飲むわけではなく、毎度同じようにその女性を静かに抱擁するだけでした。そのクラブで、どうしても癒されなかったAさんの孤独感が解消できたのです。しかし、ある日の訪問で、彼女が休んでいることがわかりました。Aさんのこころは絶望の淵に落とされました。不安になりました。いても立ってもおられないほど動揺しました。店長にやっとのことでその女性の本名だけは聞くことができました。Aさんはその足で興信所へ出向きました。うろたえたAさんは、身元調査の経費100万円の契約書に簡単にサインしてしまいました。そして、消費者金融で奥さんに内緒で借金をしてしまったというのです。

 Aさんの孤独感は明らかに病的なものです。パニック障害の患者さんはこのような孤独感を癒すためにいろいろな逸脱行動を引き起こすことがあります。パチンコの玉が出るときの音が孤独感を救ってくれるといって、月に数十万円パチンコをしてしまう女性患者がいます。自分の好きな人形に囲まれているのが一番幸せだといって一体10数万もする人形を10体以上自宅に飾っている女性もいます。着もしない華やかな服を次々に買うことにうつつを抜かす人もいます。ディズニーランドの定期券をもって暇さえあればミッキーに会いにいく人もいます。これらはすべて病的な不安の裏に潜む孤独感がなせる業です。パニック障害の病的な孤独感を卒業して、“孤独感をじっくり味わい、人生を深める“という余裕のある心境にまで患者さんに回復して頂くのが私の夢です。

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣