映画『Ray/レイ』をみて

― 母の愛はすべてを癒す ―

 ソウルの神様と言われた偉大な音楽家レイ・チャールズの伝記映画をみました。筆者が封切り映画を千円で見られるようになって初めて見た映画です。大変良い映画だったので、今回はこの映画について書きます。映画は、レイ・チャールズの17歳から40歳前後までの時代をその時々のヒット音楽と共に展開していくので、初めは娯楽映画だと思って見ていました。ところが、途中で精神科医の目で診なくてはならなくなってきました。レイ・チャールズは四重苦を背負って生きました。黒人への差別が激しい南部の生まれ、夫のいない洗濯女を母とする貧困、そして、7歳時の眼疾患のための盲目です。さらに盲目になる少し前、弟が自分の目の前で溺死してしまうという自責的トラウマを負ってしまったのでした。

 映画の最初のシーンは17歳のレイ・チャールズがバスでシアトルに向かうところから始まります。盲目の黒人と侮った運転手をレイ・チャールズはたくみな話術で自分の味方につけ無事目的地に到着します。はじめからしたたかに成長した明るい青年レイ・チャールズを描いています。レイ・チャールズのアーチストとしての成功の物語と音楽を軸として、子供時代のシーンが画面の明るさを一段と増して時々フラッシュバックされます。弟がふざけていて水の入った大きな洗濯桶に尻から転がり込んで足をばたつかせやがて動かなくなってしまうのをあぜんと見守るレイのフリージングした姿。眼が見えなくなっていく過程でレイが母親から諭される場面。老いた黒人音楽家ウィリー・ピットマンと連弾しピアノの手ほどきを受ける無邪気なレイの横顔。どのフラッシュバック場面も大変感動的なものばかりでした。そして物語の本番では、2005年のアカデミー男優賞の栄誉に輝くジェイミー・フォックスは体も心もレイ・チャールズになりきった名演技を見せてくれました。

 レイ・チャールズは母アレサに厳しく育てられました。盲目になったレイが家の中でつまずき転んでも、「盲目でもバカではない自分の足で立て」と、じっと見守る忍耐心をもった母でした。アレサはこれからずっと眼の見えないままで生きていかなければならないレイに「誰にも盲目だなんていわせないで」とお涙頂戴の態度を厳しくいましめました。レイの友人クインシーは、「杖や盲導犬の世話にならずにたった一人で道路を渡り、車が来ればすばやく身をかわし、縁石も決して踏み外さず、すり足で歩く」なんでも一人で出来る男としてレイに憧れました。元来の音楽的才能に加え、失明は彼の聴覚をはじめとする視覚以外の感受性をさらに高めました。妻となる女性デラ・ビーを家まで送ったレイは別れ際彼女の手と腕を念入りにまさぐりました。彼はこの動作により女性の美しさを見極める能力を持っていたのです。恋人メアリーとデートをしてお茶をしているときに、窓の外に美しい花があることを告げ彼女を驚かせます。彼は花を求めてきているハチドリの羽ばたきを聞いていたのです。レイは視覚以外の感覚で"見る"ことが出来たのです。このレイの世界を感受する能力が音楽の世界に満開の花を咲かせたのです。

 レイ・チャールズは20歳の頃からヘロインに耽溺し始めました。この恐ろしい麻薬に手を出す前に、彼にはすでに精神医学的兆候が見られました。旅行の準備をするためにボストンバックに手を入れた瞬間、かばんの中が水でいっぱいになっている感覚に襲われ、旅立ち前の心の平衡を失います。彼はこのような水にまつわる錯覚を何度も経験します。この精神病理学的現象の根底には、幼児期に水に溺れた弟を失った体験、そして、それに対して助力の手をさしのべることができなかったという罪悪感が感じ取られます。誰にも口外しないこの出来事は彼の心の奥深く侵食していたのでしょう。心的外傷後ストレス障害(PTSD)とはっきり診断できるほどの症状を映画から読み取ることは出来ません。しかし、レイは15年以上に及ぶヘロイン依存がありました。長期間精神的に苦しんでいたことは間違いないでしょう。当時米国では、ヘロイン中毒は主要な物質使用障害のひとつで社会問題化されていました。レイはヘロイン中毒の大きな症状を示しませんでしたが、後になって手が震えて思い通りに演奏できないという禁断症状を少し見せます。

 レイ・チャールズはデラ・ビーと結婚した後に、二人の女性を恋人に持ちます。バックボーカルの一人メアリーとの愛の歌が「メアリー・アン」でした。レイはその恋が終わると、ボーカル・トリオ、レイレッツの一員マーシーを新しい恋人にします。「ザ・ライト・タイム」においてマーシーと激しく掛け合いで歌うレイは真剣に彼女を愛していたことがわかります。レイはマーシーへの熱が冷めると「アンチェイン・マイ・ハート」を作ります。レイとの間に子供までなした恋人マーシーは彼との恋に苦しみ酒に溺れ、ついにはヘロインにも手を出し中毒に陥っていきました。レイが32歳、『愛さずにはいられない』が大ヒットして順風満帆の時、マーシーは中毒死してしまいます。この出来事は彼にとって大きなショックとなります。その数年後、レイは麻薬の密輸で逮捕され、妻ビーに責められ、自分を見つめ直し、ヘロイン中毒から立ち直るために更正施設に自ら足を向けました。禁断症状を軽くするための処置を断り、独力でヘロインから離脱する決心をしたレイは激しい断薬症状で苦しみます。その激烈な苦しみの中に母アレサが出てきます。母は優しくレイを抱擁します。弟も出てきます。「お兄ちゃんのせいではないよ」と兄に話しかけます。この体験は彼の人生を一変させます。レイ・チャールズの本当の人生がよみがえりました。麻薬中毒から立ち直ったレイ・チャールズはその後再びヘロインに手を出すことはなく、、40年余音楽の世界の頂点を極め続け、さらにまた多くの社会貢献にも励みました。ジョージア州はヒット曲『我が心のジョージア』を彼の功績をたたえて州歌にしました。

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣