パニック障害

貝谷 久宣 医療法人 和楽会 理事長

アニムス 第4巻 第3号 1999;38-41

パニック障害は新しい病気か?

 このコラムのタイトルとは裏腹に、実は、パニック障害は決して新しい病気であるとは言えません。日本では既に萬延元年(1860年)、今泉玄祐が現在のパニック障害の状態を「心気病」と呼び、移精変気の法にて効果を得たと記しています。アメリカでは1863年「陸軍における心臓病について」と題して、Cohn, A. E.が報告しています。ドイツでは1871年、Westphal,C.によりパニック障害の7〜8割の患者に認められる「広場恐怖」について記述されています。

 パニック障害は、私が精神科医のスタートをきったころは不安神経症と呼ばれていました。30年前の日本の精神医学界は伝統的ドイツ精神医学にアメリカの新進の精神分析学が入り込み、不安神経症はもっぱら精神療法的にアプローチするものだという気風が強い時代でした。ですから、私のような人文科学的素養の欠けた新米の精神科医が真っ正面から治療できるような生やさしい病気ではなく、フロイトはもちろんのこと、ハイデッカーやヤスパースを代表する哲学、心理学および精神病理学を身につけた末に、やっと対峙できる手強い病気だと思い、敬遠していました。1979年、ドイツ留学から帰国して、これからの臨床はますますアメリカ精神医学が主流になると感じていた私は、テーマだけでも見られるように代表的なアメリカの精神医学関係の2誌を購入するようになりました。その中で、不安神経症がイミプラミンという抗うつ薬によく反応するという論文を、しばしば目にするようになりました。自分にはとても手が届かないと思っていた病気が薬で治るのだと言うことを知ってから、この病気に大変興味を持つようになりました。ですから、パニック障害という病気が「新しい領域」として取り上げられるのは、むしろこの病気に対する疾病概念の変化により、病気が新しく異なった視点から見直されたからです。「不安神経症」から「パニック障害」への変遷は、この病気の心理学的・精神病理学的な解釈から医学的・精神薬理学的な理解への推移を意味しています。

パニック障害患者は、ほとんどの診療科を訪問する

 パニック障害はたいへんに頻度の高い病気です。現在までの疫学研究データによれば、有病率は1〜3%で、欧米諸国では女性が男性の2倍ほどの割合で多いのですが、日本ではこのような顕著な差は報告されていません。パニック障害の発症年齢は、 に示すように男性では25歳から30歳に、女性では30歳から35歳にピークがあります。
 パニック障害患者は種々な自覚症状を持ち、いろいろな診療科を訪れます。心悸亢進、胸痛、胃腸障害などを訴え内科を、めまいや耳鳴りで耳鼻科や脳神経外科を、ほてりで婦人科を、しびれや発汗で神経内科を、激しい胃痛で外科を、視野の震えで眼科を、筋肉痛や知覚異常で整形外科を訪れます。パニック障害の患者が呈する症状に見合った客観的な所見はありませんから、原因不明でますます不安になり、「自分にはまだどこかに重大な病気が隠れているのではないか?」と考え、ドクターショッピングを繰り返し、血液一般検査はもちろんのこと、MRI、CT、脳波、内分泌検査、心電図、心エコー、時には心臓カテーテル検査まで受けることがあります。健康保険の医療費削減が叫ばれている現在、当局はパニック障害についての卒後教育にもっと努力してもよいのではないかと考えるところです。

パニック障害の診断は難しくない

 パニック発作は、 に示したような13症状のうち4症状以上が、同時に10分前後の短時間のうちに誘因なく不意に生じる状態です。

 パニック発作症状のうち最も頻度の高いベスト3は、動悸、呼吸困難、死の恐怖です。診断的に大切なことは、予期しない状況でパニック発作が起きることです。人前であがってしまった状況でパニック発作が起こっても、パニック障害とは言いません。全く緊張していないときに不意にやってくる発作をリラックスパニックと呼んでいます。

 パニック障害の診断でもう1つの重要なことは2種類の不安の存在です。パニック発作には常に、破滅的な身の置き所のない一種特有の不安が伴います。この不安には何の理由も誘因もなく、体の内側から沸き上がるように生じるため、内因性不安または原発性不安と言っています。一方、生命の危機を感じさせるようなパニック発作を経験すると、「またあの発作がくるのではないか」といつもビクビクする状態となります。これを予期不安と言っています。予期不安は心理学的に了解可能であり、二次性不安とも呼びます。パニック障害の診断にはこれら2種類の不安、すなわち、内因性不安と予期不安の存在が必須です。パニック発作が1回だけで後は予期不安だけというケースもまれにはありますが、多くの場合、パニック発作はある時点から頻発します。 に示すように、初診患者の40%以上の人は週に2回以上の発作があります。 に米国精神医学会の診断基準を示します。

パニック発作に引き続く広場恐怖

 広場恐怖は、パニック発作が起きたときにすぐ助けを求めることが出来ないか、逃げることが困難な状況にいることを極度に不快に感じたり、そのような状況を避けることです。よく広場恐怖を生じやすい状況は、バス、地下鉄、飛行機などでの移動、高速道路の運転、家に1人でいること、人混み、橋の上などです。広場恐怖の患者は束縛されることを非常に嫌います。例えば、美容室や歯科治療の椅子に座る、重要な会議に出席する、フルコースの会食をする、行列を作るといった状況です。広場恐怖はパニック障害患者の約70%〜80%の人が多かれ少なかれ経験します。そうでなくとも、広場恐怖は生活機能にいろいろな面で支障を来します。 に示すように約1割の患者は重症の広場恐怖を示し、社会生活上重大な障害が現れます。広場恐怖は軽度であっても、もし存在すればパニック障害の診断を確実なものにしてくれます。

パニック障害とうつ病は兄弟分

 私のクリニックに初めて来訪したパニック障害患者において、ある一定期間連続的にうつ状態の有無を調べました。その結果、116人中31%の患者に初診時にうつ状態があることがわかりました。パニック障害とうつ病の合併は多くの報告があり、縦断的に観察すれば当然その割合は増加します。文献的には5〜95%と非常に幅の広い合併率が報告されています。私が観察したうつ状態の大部分は、いわゆるメランコリー型と言われる内因性うつ病の特徴を持ったものは少なく、不安−抑うつ混合状態または非定型うつ病像が圧倒的に多くみられました。私が観察したパニック障害患者のうつ病像の特徴を にまとめて示します。パニック障害にみられるこのようなうつ状態を、私はパニック障害と一体になった1つの疾病単位と考えています。それは、病初期の観察では、パニック障害の発作症状に引き続いてうつ状態に移行していくということと、パニック発作とこれらうつ状態の出没は1日のうちでみても、また、もっと長いスパンでみても交代性の傾向がはっきり見て取れるからです。世間では、パニック障害とうつ病のcomorbidityなどという言葉を使って2つの病気の合併であるように言われていますが、多くは1つの病気であると考えられます。

パニック障害の薬物療法

 パニック障害の治療は十分な量で長い期間行うことが肝要です。不十分な治療で不安が残っていれば、患者の苦痛はとれません。ファーストチョイスは効果の立ち上がりの早いベンゾジアゼピン系抗不安薬です。そして、パニック発作が減少してきたところで三環系抗うつ薬を追加します。それは、広場恐怖やうつ病に対して、ベンゾジアゼピン系抗不安薬では不十分な部分を補完してくれます。また同種薬の中で1種類の薬を十分量使うことが大切です。ベンゾジアゼピンなら作用効果の長い薬を1種、三環系抗うつ薬はイミプラミンかクロミプラミンです。クロミプラミンは強迫傾向のある患者には副作用が出にくいようです。

おわりに

 パニック障害は米国でおいてさえ、まだunderdiagnosed、undertreatedの病気であると言われています。自律神経失調症の診断を受け10年間も効果不十分な治療されていた患者で、11年前にパニック発作がただ1回あったという既往を聞き、パニック障害の治療開始後3ヶ月もしないで症状がまったくなくなってしまった例もあります。また長い間パニック障害の診断を受け治療をされ、激しいパニック発作はないものの、内因性発作性の不安感だけがなお残り、患者の苦痛が取り除かれていないケースもときどき見ます。非常に頻度の高い病気ですから、この小文を読まれている読者のところに1人や2人はパニック障害の患者が訪れていると思います。広場恐怖やうつ状態が著明でない患者であれば、その気になればそれほど治療の難しい病気ではありません。どうぞよろしくご理解ください。