パニック性不安うつ病

不安-抑うつ発作を主徴とするうつ病

医療法人 和楽会 パニック障害研究センタ−

貝谷 久宣

心療内科 12(1):30-37,2008


はじめに

  不安障害の主要な病態であるパニック障害とうつ病の関係は以下の三つの点から密接なつながりがあると考えられてきた。まず、第一に、パニック障害と気分障害が併発する頻度はきわめて高い。最近の疫学研究で、パニック障害と気分障害が高い頻度で併発する割合が報じられている(Kesslerら,2006)。それによると、広場恐怖を伴うパニック障害と何らかの気分障害の併発は73.3%、大うつ病とは38.5%、気分変調性障害とは14.6%、 双極性障害とは33.0%であった。生涯罹病率を調べた疫学調査ではなく、臨床場面での断面的な調査研究の総説によれば、一次性−うつ病が初発−5〜91%(平均45.1%)、二次性−パニック障害が初発−6〜53%(平均34.1%)と報告されている(Lydiard,1991)。 第二に、選択的セロトニン再取り込み阻害薬、三環型抗うつ薬、およびモノアミン酸化酵素阻害薬はパニック障害に対してもうつ病においても効果のある共通した治療薬である。第三に、クロニジンに対する成長ホルモン反応異常といったような共通した生物学的マーカーがあることである。(Uhdeら,1986) 。
  パニック障害に合併するうつ状態は種々な病型がある。度重なるパニック発作や広場恐怖の苦痛に対して気力が低下した状態をdemoralization(意気消沈)とKlein(1981)は呼んだ。Kleinはこの意気消沈うつ病を次のように記載している:“患者はうつにも見えないし、そのようにも行動しない。不安の少ないときは、元気が良いし、いろいろなことに興味を持つし、性欲も食欲も落ちていない。さらに、何人かの患者は電気ショック治療を受けたが良くなっていない。彼らは時々意気消沈の感覚を示す。自分が弱虫で役立たずだと思うが、自殺念慮、罪業念慮、抑うつ的な考えは全くといって良いほど無い”。Klerman(1990)は、意気消沈うつ病を反応性とは認めず,内因性として適切な治療をするべきだと批判している。Breierら(1984)は、パニック障害に先立つまたはそれに引き続く大うつ病の85%は内因性であるとしている。広瀬(1979)は不安発作の後長い間欠期をおいて抑制主体のうつ病相が出現するタイプ
を指摘し、「不安発作・抑制型うつ病」と名付け、内因性うつ病としている。パニック障害に合併するうつ病の第3のタイプとして非定型うつ病がある。気分反応性、過眠、過食、鉛様麻痺、拒絶に対する過敏性を主徴とする非定型うつ病の半数にパニック発作がみられた(Liebowitz et al, 1988)。さらにまた、冬季うつ病の24%にパニック障害が認められている(Halle & Dilsaver, 1993)。以上をまとめると、パニック障害に併発するうつ状態は、少なくとも、意気消沈うつ病、内因性うつ病(不安発作・抑制型うつ病を含む)、非定型うつ病、季節性感情障害があり、異種性であると考えられる。
  さて、筆者は、この15年間、多数のパニック障害患者をみているうちに、まだ十分には記述されていないパニック障害に引き続くうつ状態があることに気づいた(貝谷、宮前、2000、貝谷、2003)。そのうつ状態を発症から経過を追って観察をしていくと、その起源はパニック障害によく見られる発作性の不安-抑うつ状態で、それが繰り返し起り、遷延してうつ状態に発展するものと推定した。本稿ではこの不安−抑うつ発作(Anxiety−Depressive Fit )が頻発し,ついには非定型うつ病を呈したパニック障害の症例を呈示し、パニック障害に続発するうつ病 −パニック性不安うつ病− という新しい臨床型を提出する。

症例呈示 

症例A 初診時 18歳 女性
(主訴)パニック発作
(家庭の状況)父は現在55歳、造り酒屋に生まれ育ち、地元の国立大学経済学部を卒業後、家業をついていた。しかし、時代の流れについていけず、15年前に酒造業を廃業し今は中学生を相手にした塾を経営している。父には2人の姉と弟が一人いるが、これらの叔父、伯母はすべて健在で平凡な家庭生活を営んでいる。父は几帳面で、親切、責任感が強く竹を割ったような人。母は53歳で、カトリック系大学の英文科を卒業しており、父の塾で英語を教えている。母はどちらかといえば神経質でクヨクヨするたちで、母の姉が40歳過ぎに一時うつ病にかかり、3ヶ月ほど入院したことがある。患者Aには27歳の兄が一人いる。彼は国立大学工学部を卒業し、自動車会社の研究室に勤務しており、患者Aには保護者的に接する優しい兄である。患者Aの家庭は、ごく平凡な善良な人たちの集う中流家庭といえる。
(生活歴)患者Aは兄と9年も歳が違う末っ子で、両親が大変可愛がって育てた娘で、小さい頃から頭が良く、よく気がつく子であった。しかし、大変な臆病で、小学校に上がる前後は暗いところを嫌い、夜はいつも電灯をつけて母がそばにいないと眠れない子だった。小、中学校では勉強はさほどしなくても成績は常にトップクラスであった。発病時は県内随一の県立高校3年に在学していた。患者Aは、多少優柔不断なところはあるが、男性的な性格だと自己分析を行っている。このように、患者Aは大きな心的外傷もなく、恵まれた環境に育ってきた。
(現病歴)高校の卒業を間近に控えて、医学部を目指しセンタ−試験に臨んだが、失敗してしまい意気消沈状態だった。志望大学のランクを少し落として、X年2月14日、K大学理工学部を受験した。試験を終え、駅のプラットホ−ムに立っているとき、いきなり、腹の底から突き上げられるような感覚に引き続いて息を吸うのが困難になり、それと同時に心臓の動きがおかしいのに気がついた。鼓動はあっという間に激しくなり、患者Aの全意識を完全に占拠してしまい、体全体に拡がった。同時に、頭に冷たいものが走り、膝ががくがくふるえ出し、冷や汗が吹き出した。 ”これはいったい何事だろう? 病気? 心臓が爆発しそう! このまま死んでいく?” といった思いが頭の隅をかすめ、おもわず叫び声をあげた。病院に運ばれ、一通りの検査の結果は特別な異常はなく、入学試験の疲れだろうということで帰宅させられた。2回目の発作は卒業式が終わり、大学入試はすべて失敗し、来年に期すつもりで予備校の入学手続きを終え、気分転換にと京都旅行に出発するときに起こった。駅まで送ってくれた父と別れ改札に向かう途中で、急に息苦しくなり、1ヶ月前の発作以上に激しい状態に見舞われた。救急車で近くの総合病院に運ばれ、今度は ”過呼吸症候群” と診断された。その翌日から、体中の力が抜け、毎日のように動悸の発作におそわれ、一日中体全体が心臓のような感じがして、気分が重く、何もする気がなくなってしまった。
X年3月24日、発症40日後。初診時所見:身長164cm、体重は51kg、最高血圧94mmHg.、最低血圧58mmHg.で、尿・血液の一般検査では特記すべき異常は認めず。患者Aは、発作時の状況を適切に話すも、語気は弱く、表情に生気がない。初診前、数日間、終日ほとんど臥床状態だということだった。発作に対する予期不安が激しく、またいつくるのか気が気でないと語った。母が家から離れ一人になると不安が増すとも述べた。東大式エゴグラムは、他者従属的なワ−クホ−リックの傾向がみられた。自記式うつ病評価尺度(SDS)は43点であったが、著明な抑うつ状態ではなかった。病気の説明がなされ、次の与薬がなされた:エチール・ロフラゼペート(1mg)2錠、スルピリド 50mg 2錠を一日2回に分服。不眠時、ロルメタゼパム1mg1錠頓用。1週間後には激しい発作はほとんど消失した。しかし、病的症状はなお残り、友人とランチを食べに行った後には動悸を主とする小発作が出現、昼寝中に金縛りがあったし、それに、深夜覚醒が数回あった。その後、処方の調整で発作はかなりすみやかに消失していった。それに替わり発作性のうつ状態が挿間的に出現するようになった。三環型抗うつ薬の追加を始め、投与量を増やしていったが、不安感や憂うつ感がなお発作的に出現した。次に、患者Aの日記からその様子をみる。
「今日は、なるべく明るくしていた。気分を軽くしていた。しかし、夕暮れになったら、急に自分が自分でなくなるような不安と、寂しさがどこからともなく湧いてきた。Bさんからの電話の中の”みんな心配していたよ”の一言で、”自分は一人ではないのだ、たくさんの人の心に私は存在しているんだ”と実感したら、急に気分が楽になってきた。」(離人感、孤独感)
「朝から突然気分が落ち込み、考えれば考えるほど不安がつきまとう。いったいこれから自分はどうなっていくのか。いつまでかかるのか? 涙がとめどもなくあふれた。」(不安感、悲観、絶望感)
「真夜中に突然目が覚め、自分の深いところにあった何かがこみ上げてくる。突然自分がわからなくなる。自分はいったい何者なのか?今の自分が本当の自分の姿なのか?孤独で寂しくてたまらない。自分をわかる人が誰もいなくて世の中でひとりぼっちになった気がしてくる。」(孤独感)
「今日は母と話していたら理由もなく急に腹が立ってきて、どうしようもなく外に飛び出し、必要もない文房具を買い込んできてしまった。どうして自分はこんな馬鹿な病気になったのかとクヨクヨ同じことばかり考える...”挫折”という言葉が頭から離れない。今の自分は卒業前に思い描いていた自分とはかけ離れている。家族に心配や迷惑をかけていることが辛いし悔しい。おまけにやり場のない苦しさ、フラストレーション不安のはけ口に八つ当たりしたり、卑屈な態度をとったりする。私は弱い人間である」(焦燥・アクティング・アウト、困惑、絶望、自責感)
  患者Aには、その後も、不安・抑うつ発作が繰り返して出現し、食欲が低下し、体が重く、昼も夜も眠気が激しいといった状態がずるずる続いた。そして、些細なことに激しく感情が昂ぶった。たとえば、母が兄の大学受験の模様を話すと、自分の状況をなじられたように思い込み、母に激しく反抗し、3日間も口を利かない状態が見られた(拒絶に対する過敏性)。長期的に発作が終息していても、ある日突然心悸亢進を主とする激しいパニック発作がぶり返し、救急車を呼ばなければならないような事態がなお生じた。パニック発作とは別に激しい胃痙攣様の腹痛発作で何度も時間外受診をした。もちろん、これは医学的所見を全く欠くものであった。このような、パニック発作症状を主とする身体症状が前景にあるときは不安・抑うつ気分は比較的おさまっており、その反対に、身体症状が少なくなると、不安−抑うつ発作が優勢となった。それは、突然、発作的に、明らかな理由なしで生じ、多くは落涙で始まり、間もなく、焦りやいらだちとやるせない気分が襲ってくる。陰性の情動が出現する前に涙が出てきて、患者Aは何故涙が出るのか理解できないと語った。患者自身も家族もなぜそのような状態−不安−抑うつ発作が出現するのか全く了解できず、ますます不安が高じた。一方、このような激しい不安−抑うつ発作は、些細な状況的な要因によって誘発されることもしばしばあった。たとえば、友人がディズニ−ランドで遊んできたと聞いた瞬間、病気に悩む自分の立場が急に哀れになり、孤独感にさいなまれ、激しい絶望状態に陥った。そして、手当たり次第に物を投げたり、唐突に母にしがみついて泣いた。患者は些細のことに過大に反応し、このような状況に置かれた家族は途方に暮れ、それがあたかも状況反応性に生じた出来事のように思ってしまう。もちろん、患者Aは予備校にはほとんど出席できず、無理に出席した日は頭痛が生じたり、夜間に目が覚め興奮したり、悪夢ばかり見るという状態であった。朝の目覚めが悪く、過眠状態が続いた。また、激しい起立性低血圧症状が出現した。
  一年後、これらの状態は軽くはなってきていたが、完全には消失していなかった。予備校には通っているが、朝の目覚めが悪く、夕方近くまで眠気が取れなかった。予備校での模擬テストの成績が期待したほどではないと、急激に体が重くなり、3日間はベットから離れられない状態が続いた。予備校にいけなかった日に、母が説教めいたことを言うと、激怒し、派手なスーツや帽子を買い込んできた。父母は患者Aの顔色を見て、腫れ物を触るように付き合っていた。患者Aは、眠気と異様に激しい疲労感(鉛様麻痺)に悩み、自分の状態はどう見ても怠けではないと担当医に訴えた。勉強して、ぜひとも精神科医になりたいから何とか治療してほしいと切願した。担当医は患者Aの眠気と激しい疲労感に対して考えられる治療法をすべて行ったが、効果はなかった。患者Aは自分の病気をなおす治療法が必ずあると考え、パニック障害が専門といわれている遠くの大学付属病院まで受診したこともあった。4年後、ついに患者Aは通院を放棄した。(プライバシーを考え論旨に問題の無い部分は適宜変更してある)

症例のまとめ

  18歳時、大学入学試験直後にパニック障害を発症し、パニック障害症状が軽減してくるとともに、不安−抑うつ発作が頻発するようになり、やがて非定型うつ病状態となった。非定型うつ病の逆自律神経症状(眠気)と激しい疲労感は治療抵抗性であった。家族が最も苦労した症状は、拒絶に対する過敏性で、時に、激しくはないがアクティング アウトが見られた。4年後、治療に落胆し、通院しなくなった。これは10年近く前の症例で、SSRIや非定型抗精神病薬の使用できる現在は飛躍的に薬物療法は進歩している。

考察

  まず、パニック障害に引き続くうつ病だけに限りその臨床特徴について文献展望を試みる。
  Clancyら(1978)は不安神経症に引き続くうつ病(全体の44%)の特徴を報告した。それによると、不安神経症の二次性うつ病は、パニック発作の発症も治療開始も早く、入院することが多かった。症状の特徴は、焦燥感や離人症で慢性化の傾向が強かった。家族歴にはアルコール中毒が多いことも含めて、彼らはこの一群をWinokurのdepression spectrum diseaseに対応すると考えた。
  Van Valkenburg ら(1986)は、パニック障害とパニック障害に引き続くうつ病、うつ病が先行したパニック障害の症状を比較した。それによると、パニック障害に引き続くうつ病はパニック障害と比べると、パニック発作の発症が早く、焦燥感を持つ症例が多かったが、治療反応と社会的障害の程度、および家族歴は両者では変わりはなかった。また、パニック障害に引き続くうつ病はパニック障害のないうつ病と比べると、精神運動退化が少なく、焦燥、心気症、および、離人症が多かったが、自殺念慮は少なかった。そして、慢性化の傾向が強く、治療反応も社会的予後も悪く、不安障害の家族歴が多かった。パニック障害に引き続くうつ病は、パニック障害が後から出現してくるうつ病に比べて、パニック発作の発症は早いが、うつ病の発症年齢には変わりはなかった。そして、日常の出来事やセックスに関する関心の低下や妄想性思考は著明ではなかった。家族歴には両者間に違いはなかった.
  Coryellら(1988)はパニック発作を持つうつ病とパニック障害に引き続くうつ病を区別している。それによると、91名のパニック発作をうつ病期にのみ持つうつ病は、417名のパニック発作のないうつ病と比べるとうつ症状がより重篤で、2年後の快復率は悪かった。15名のパニック障害と続発性うつ病をもつ患者は家族歴にうつ病が少なく不安障害が多かった。そして、他の2群に比べ、うつ症状ももパニック発作も寛解率が悪く、社会的障害度が高かった。
  Lesserら(1988)はうつ病の既往がない広場恐怖を伴うパニック障害481名の抑うつ状態について調査した。これら患者はアルプラゾラム治検を受けていた.その中で31%の患者に続発性うつ病が確認された。うつ病を発症した患者はパニック障害の病期の長いものに多かった。研究時うつ病の有った群では無い群と比較して不安、抑うつ症状は高度であったが1週間のパニック発作の回数に変化はなかった。アルプラゾラムは両群でパニック発作にもうつ病症状にも効果があった。うつ病があってもなくてもアルプラゾラムの効果は変わりなかった。
  筆者ら(貝谷、林、2003)はパニック障害に引き続く大うつ病において62.5%に非定型うつ病を診断したので、原著(West ED, Dally、1959)から非定型うつ病についての記載を抜粋して記す。“これら患者は一口に言って非定型、ヒステリー性の患者であった。これら患者はうつ状態が明らかになる前は恐怖―不安症状が前景にある人が多かった。これら患者は、いわゆる“うつ”というよりは“すっきりしない”という印象のほうが強かった。そして、彼らは不安げで過剰反応を示し、ヒステリーが第一次診断で、うつは二次診断となった。身体的過敏は、振戦と循環器症状として出現した。疲労は著名な症状であった。入眠障害も見られた。典型的なうつ病の早朝覚醒はあまり見られなかった。彼らは、典型的な内因性うつ病で見られる著名な自責感や朝の状態が悪く時間とともに良くなっていくことを示すことはまれで、むしろ、夕方に調子が悪い傾向にあった。体重減少は恒常的は所見ではない。これら患者を治療した精神科医は、患者は意識的にしろ無意識にしろ向かい合うことの出来ない特別な問題を抱えていると、はじめはみなしていた。しかし、用心深い詳細な病歴を調べると、彼らは病気を発症する前にはそれらの問題を解決することが出来たと考えられた。そして、発病前の性格はむしろ良いことが多かった。追跡調査では、患者がこの治療により回復すると、それらの困難な問題も非常に簡単に解決されていた。“

本症例の検討

パニック障害と広場恐怖について
  不安−抑うつ発作があり抑うつ気分が強い時期は多くの場合パニック発作は影を潜めている。しかし、完全にコントロールできていると思われていても、ある日突然明らかな誘因を認めることなく再燃して来ることがしばしばある。この再燃の仕方は、”思い出したように”とか”ゲリラ的に”と形容されうる。うつ状態を伴わないパニック障害に比べ、頑固で油断することができないパニック発作が出現してくる。そしてパニック発作及び非発作性不定愁訴(残遺症状)の主症状は循環器症状と神経耳科的症状が多く、呼吸器症状は少ない。ここに呈示した症例は、激しいパニック発作や抑うつ状態があったにもかかわらず、広場恐怖を示すことは全くなかった。パニック性不安うつ病では重度の広場恐怖を示す症例もあるが、本症例のように全くないという患者も結構多い。筆者らは以前、広場恐怖のある患者群は広場恐怖のない患者群に比べZungの自記式うつ病尺度の得点が有意に高いことをアメリカ精神医学会で報告した(Kaiya ら、1998)。 しかし、その逆は必ずしも真ではない。 筆者の印象では、パニック性不安うつ病では広場恐怖を全く認めない症例にしばしば遭遇する。

抑うつ状態について
  ここに示した様なうつ状態を示すパニック障害患者は、さほど稀ではない。このパニック性不安うつ病について考察を進める。このタイプのうつ状態が、いわゆる本来の内因性うつ病と大きく異なる点がある。それは、このうつ状態の根底にはパニック障害本来の内因性不安があることである。すなわち、パニック障害の主軸症状であるパニック発作の身体症状が前景から退き、不安を根底にもつ種々な情動が前景にたった不安−抑うつ発作が反復して出現している状態である。不安−抑うつ発作はパニック発作の代替症状とみなすことができる。この考え方は、臨床上しばしば経験するシ−ソ−現象、すなわち、パニック発作の出現が著明な時期には抑うつが少なく、パニック発作が軽減・消腿すると抑うつが出現するという事態からも了解されうる。また、パニック障害に引き続くうつ状態に抗不安薬が効果を示したとする報告もこれを支持する(Lesserら、1988)。従って、パニック障害に引き続いて出現するうつ状態の初期から中期は、不安−抑うつ発作が繰り返し出現する状態像と考えられる。そのため、この時期においては、いわゆる気分反応性は保たれているし、DSM-WTRが規定する“抑うつ気分または興味や喜びの喪失がほとんど一日中、ほとんど毎日存在する”という大うつ病の条件を満たすことは少ない。 しかし、不安-抑うつ発作が頻発し、長期間持続すれば、不安-抑うつ発作のない状態にも反応性の抑うつが生じ、ほとんど一日中という条件を満たすことになっていく。また、この抑うつ状態が著しく強くなれば、当然、気分反応性も失われていく。 このようなことから筆者は不安−抑うつ発作がパニック性不安うつ病の中核症状であると考える。
  次に、筆者が数多くの患者で観察してきた不安−抑うつ発作の詳細について述べよう(Kaiya)。 まず、発症時間であるが大部分が夕暮れから夜半にかけてである。それは多くの場合自室に一人でいるときである。 誘引がある場合もあるが半数以上は特別のきっかけがなく、不意に気分変調が現れる。 理由なくまず涙が出てくると訴えられることが多い。そしてその前後に以下のような気分に襲われる:不安・焦燥感、悲哀感、自己嫌悪感、絶望感、孤独感、無力感、抑うつ感、自己憐憫、自責感、羨望、空虚感、現実感喪失・離人症、発狂恐怖、死の恐怖。このような情動の嵐とともに、落涙をはじめとする以下の身体症状も出現することがある:流涙、動悸・心悸亢進・心拍数の増加、発汗、身震いまたは震え、息切れ感または息苦しさ、窒息感、胸痛または胸部の不快感、嘔気または腹部の不快感、めまい感、異常感覚、冷感または熱感である。そして、この不安−抑うつ発作に対し、多かれ少なかれアクティング・アウト的行動 − 感情の爆発、自傷、大量服薬、攻撃行動、浪費、物質依存、賭博行為、遁走など −がしばしば観察される。不安−抑うつ発作にきっかけがあるとき、それが心因反応的症状としてとりあげられ、周囲の人たちが引きずりまわされることもまれではない。しかし、心因反応的症状であっても、根底は内因性不安であることを見過ごしてはならない。
  パニック性不安うつ病の行動異常は上記の不安−抑うつ発作に対する対処行動とは別にもう一つあると考えられる。筆者らのグループはパニック障害患者の脳機能を近赤外線スペクトロメトリーで検討した。その結果、前頭葉機能の低下がほとんどすべての患者にあることが判明し、これは抑うつを伴う患者により著明であった(西村ら2007)。筆者の臨床観察とこのような結果を考え合わせ、パニック性不安うつ病で見られる異常行動、または性格変化の一因はパニック障害により引き起こされた前頭葉機能低下に帰せられると推定している。最後に筆者が観察してきたパニック性不安うつ病の臨床特徴をまとめて表に示す。

まとめ

  パニック性不安うつ病−パニック障害に引き続く抑うつ状態の1症例を記載し、その中軸症状は不安−抑うつ発作であり、これが遷延したり、不安−抑うつ発作に対する二次的反応性うつ状態が最終的にパニック性不安うつ病の病像を成立させるものと考えた。パニック性不安うつ病の臨床特徴を表にして掲げた。

文献

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貝谷久宣:パニック障害における性格変化.貝谷久宣、不安・抑うつ臨床研究会編「パニック障害の精神病理学」p41-74 日本評論社 2002 東京
貝谷久宣、林恵美:パニック障害と非定型うつ病 樋口輝彦、久保木富房、貝谷久宣、不安・抑うつ臨床研究会編「うつ病の亜型分類」p41-59 日本評論社 2003 東京
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表 パニック性不安うつ病の臨床特性
    Ver 18 (平成19年8月)

(A)DSM−WTRにおける広場恐怖を伴うまたは伴わないパニック障害およびその不全型の病期中にみられるか、またはそれに引き続く、大うつ病エピソード、気分変調性障害、双極性障害、気分循環性障害の診断に対応するうつ状態がある。但し、この診断基準に含まれる“ほとんど毎日、ほとんど一日中”という条件を満たさないことがある。
(B)これらの抑うつ状態は、都合の良いことがあれば軽減・消滅し、些細な都合の悪いことにより著しく悪化する、気分反応性があるが、病状が極度に進行すればこの気分反応性は消失する。
(C)抑うつ状態は、初期には、不安・抑うつ発作として認められることが多い。不安・抑うつ発作が頻発し慢性化すると、それに引き続き反応性抑うつが生じ、いわゆる抑うつ状態が形成される。
(D) 不安・抑うつ発作は誘引なく、夕方から夜間にかけて出現することが多いが、例外もある。
  不安・抑うつ発作の特徴:強い不安または抑うつを感じるはっきり他と区別できる期間で、その時、以下の精神症状のうち2つ以上と身体症状の1つ以上が突然または短時間のうちに発現し、30分以内でその頂点に達する。

不安・抑うつ発作の精神症状
1. 不安・焦燥感、2.悲哀感、3.自己嫌悪感、4.絶望感、5.孤独感、6.無力感、7.抑うつ感、8.自己憐憫感、9.自責感、10.羨望、11.空虚感 12.現実感喪失・離人症 13.発狂恐怖 14.死の恐怖 15.フラッシュバック

不安−抑うつ発作の身体症状
1.流涙、2.動悸、心悸亢進、ないし心拍数の増加、3.発汗、4.身震いまたは震え、5.息切れ感または息苦しさ、6.窒息感、7.胸痛または胸部の不快感、8.嘔気または腹部の不快感、9.めまい感、ふらつく感じ、頭が軽くなる感じ、または気が遠くなる感じ、10.異常感覚(感覚麻痺またはうずき感)、11.冷感または熱感

不安・抑うつ発作に対する対処行動
1. 感情の爆発(泣く、叫ぶ、など)、2.攻撃、器物破損、3.自傷行為、4、過剰服薬 5. 浪費(多買)、6.過食、7.物質依存(タバコ、アルコール)、8.尋常でない性行為、9.メールまたは電話、10.遁走、11.賭博行為

(E)自然経過中に抑うつ状態とパニック障害症状(パニック発作・予期不安・広場恐怖)は交替性の消長を示す
(F)人間関係における過敏性が認められ、社会的障害度を助長する。これは幼小児期から存在する対人緊張、社会不安が、うつ病の発症によりより鮮鋭化したものと考えられる。
(G)病状の進行とともに、行動・性格変化が出現する。これは後かつ前掲の不安−抑うつ発作への対処行動と病状の進行による前頭葉機能低下によるものとが含まれる。下記の前頭葉機能低下症状は病状の改善とともに多少とも軽減する。
1.感情移入過多、客観性の喪失 − はまりやすい/熱中しやすい/耽溺 
2.自他の境界不明瞭 − 気分が感染しやすい/感応性亢進
3.直情的自己中心的思考 − 待てない/許せない/我慢できない/勝手がよい/お節介
4.短絡的思考 − 早とちり/熟慮がない/おっちょこちょい 
5.過敏性/感受性亢進 − 激しい嫌悪感, ハ−ム・アボイダンス行動、回避性人格障害
6.怒り発作とその後の激しい自己嫌悪感
7.依存性亢進−依存性人格障害 
8.過剰関与 − おせっかい、不和雷同
(H)以下の身体症状が出現する。
1.睡眠覚醒リズムの障害(過眠、入眠障害、夜間過覚醒)
2.過食または著明な体重増加
3.発作性疲労感(肩こりを含む)−鉛様麻痺
4.起立性低血圧
5.下痢
6.胃痙攣発作、特に夜間

付帯事項:
1. 不安障害、感情障害およびアルコ−ル中毒の家族歴が
あることが多い。
2. 男性よりも女性に圧倒的に多い。
3. 若年発症ほど経過が長い傾向にある。
4. パニック障害の病状が安定してからもパニック発作が散発的に出現する。
5. 激しい不安・焦燥に対して感情調整薬(バルプロ酸ナトリウム、カルバマゼピン)や非定型抗精神病薬(クエチアピン、オランザピン、アルピプラゾール)を必要とすることがしばしばある。
6. 長期の社会的機能(就労、通学、主婦の役割)の障害を示すことが多い。家族の負担が重く、カウセリングを希望し、入院が必要となるケースが時にある
7. 3割前後のケースは経過中に軽躁状態を示す(ソフトバイポーラー)。障害による性格変化が顕著な例は、依存性、回避性、自己愛性、境界性の人格障害の診断が時になされる。

Depression following Panic Disorder – A case with Anxiety−Depressive Fit as a core symptom
Hisanobu Kaiya, M.D., Ph.D.
Panic Disorer Research Center Warakukai Med.Corp.
Summary
A typical case which is seen in depression following panic disorder was described. The author assumed the main component of the condition is anxiety−depressive fit which is a modified form of panic attacks. The prolonged anxiety−depressive fit and reactive mood changes against the fit complete the depressive features. A table summarizing the clinical characteristics was given.
Key words: panic disorder(パニック障害)、 depression(うつ病)、comorbidity(併発), Anxiety−Depressive Fit (不安−抑うつ発作)