外来苦労話
「診療拒否だとのこわい手紙」を受けとった話

貝谷 久宣

なごやメンタルクリニック

 私は平成5年4月に開院して間もなく、どういうことかパニック障害の専門医になってしまった。元来は精神分裂病(統合失調症といわれてからは旧来の患者だけしかほとんどみていないのでこの言葉を敢えて使用する)の神経生物学研究を目指していた輩が開業とともに変身したのである。パニック障害は精神分裂病に比べればユニフォームで面白味の少ない病気であるとはじめのうちは思っていたが、10年以上この病気ばかり見ているとやはり底の深さを感じ、後半生はこの病気の診療と研究に身を投じたいと考えている。

 パニック障害患者の人間像は、総論的には良心的で人がよく執念深さが少なく、付き合って行くのには大きな苦労を感じることは少ない。マイナス面から見ると、人間性の厚みが少なく、ミーハー的な人が多い。一時的には激昂することがしばしばあるが(アンガーアタック)、すぐさま醒めて、逆に自己嫌悪感に襲われる患者が多い。

 ここで述べるのは、パニック障害専門医の有名税と考えて多少の気苦労はさせられたが、大過なく処理できた事例である。マスコミなどに1度パニック障害専門医として認知されるといろいろな患者が集まってくる。広場恐怖が強く、家から何年間も1人では離れられない30代半ばの女性患者が東京近郊からやっとの思いで赤坂クリニックを受診した。当時の赤坂クリニックの院長は、前医の治療内容、その医療機関が患家から近距離にあること、さらにまた前医が不安障害治療の分野では指導的立場にある専門医であることから、そのまま担当医を変えずに治療を続ける指示を出し、処方は一切しなかった。それから数週間後、私宛に1通の仰々しい手紙が届いた。広場恐怖が強いのに苦労してクリニックまで行かせたこと、今までの治療では改善の兆しがなかなか見られなかったことが書かれ、それにもかかわらず私どものクリニックは治療を拒否したという文面であった。これは重大な医師法違反であり、出方次第では即座に行動を起こすという趣旨が書かれていた。送り主は、その女性患者の友人である「大日本○△党党首 ○×□△太郎」と記してあった。この文面を見て、言葉の背後にある多少とも脅迫的な文脈に私は少なからず寒気を感じた。どのような対処法が最も穏便にことを運べるか思いをめぐらせた。そこで思い浮かんだのが、高校時代の同級生で、医療紛争と暴力団関係を得意とする弁護士のT君のことであった。彼に早速電話をして事情を話した。この話は全面的に引き受けてくれるという快諾を得て事件は半分解決したと思った。診療拒否ではない、総合的に考えて現在の治療を受けることがよいと判断したのだが、継続してこちらの医療を受ける気があればいつでも治療は引き受ける、という旨を記して、私の代理人弁護士Tで返書を作り送った。それから現在まで3年以上平穏に過ぎている。

外来精神医療 第4巻 第2号 P62, 2005