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現代医療 Vol.33 No.11;158-159

[ 最新国際学会情報 ]

米国精神医学会2001年総会

2001年5月5日〜10日
ニューオリンズ

貝谷久宣

心療内科・神経科赤坂クリニック(理事長)

 総会の全体テーマは mind meets brain であった。筆者は,このテーマに沿った二つのレクチャーに参加したので概要を述べる。

 NIMH 所長 Steven E. Hyman がアドルフ・マイヤー賞受賞記念講演「精神科診断学:新世紀に向かっての準備」を行った。 Hyman は現在,広く普及している diagnostic and statistical manual of mental disorders (DSM)診断についての長所と欠点についてまず総括した。結論的にいうと, DSM診断は,大部分が病因不明である精神疾患に対し共通する臨床症状を集めて一つの障害としてまとめることに終始してきた。これは診断者間の一致率が高まることには有用であったが,治療に結びつく診断とまでには及ばなかった。すなわち医学的診断は,病因・病態生理についての知識をもとにしてなされ,個別的な治療に結びついていくのが基本である。病因遺伝子の情報が得られているナルコレプシー,レット症候群,およびアルツハイマー病は,この点に沿って診断がなされうる精神医学においては数少ない疾病である。Hyman は精神障害を神経回路の機能異常と理解している。神経回路の確立には,ニューロンにおける蛋白合成,シナプスの変化が必要である。蛋白合成には遺伝子発現が大きな役割を担う。それゆえ,将来の精神科診断学には遺伝子性および非遺伝子性のリスクを同時に理解しなければならない。自閉症,躁うつ病,分裂病,うつ病の順に一卵性双生児における発症一致率が高く,これらは遺伝子性リスクの高い障害と考えられる。これら疾病の病因に寄与するのは遺伝子の mutation ではなく variation である。非遺伝子性,すなわち環境因の背景には適応と学習が介在する。これには,ブローカの中枢,体性・感覚野および視覚中枢を中心にした大脳皮質が関与し,ここにも遺伝子性の要因が絡む。Hyman は,分子遺伝学,疫学および脳内の病態生理学が新しい精神科診断学の基礎となり, Robins と Guze が挙げた精神科診断学の complexity からの別離を可能にすると述べた。

 二つ目のレクチャーは,スタンフォード大学神経科学教授 Robert Sapolsky による「遺伝子治療の精神医学への応用」である。遺伝子治療は,病的組織に正常な遺伝子やアンチセンス・シークエンスを移入して病因となる遺伝子発現を阻止する手法である。中枢神経系における遺伝子治療は,脳の異種性,脳内への接近の困難さ,大部分の神経細胞が細胞分裂を起こさないという事実から非常に困難な課題となっている。向神経性ウイルスをベクターとして使用することは,これら問題の突破口の一つとなっている。精神疾患の大部分は単一遺伝子病であるというよりは多遺伝子性疾患と考えられる。それゆえ,病因遺伝子の組み換えとは異なった方法を採らなければならない。多遺伝子性疾患に対する遺伝子治療の方法の一つとして,病因遺伝子の操作ではなく,病態生理にかかわる遺伝子に介入する方法がある。当該遺伝子のプロモータを制御することにより遺伝子発見を増減するのである。それにより,病態生理現象が軽減したり消失することを期待するものである。たとえば,分裂病においてはドパミンの生成や受容体に関係する遺伝子発現を制御することがまず考えられる。不安障害においては,ベンゾジアゼピン受容体に関係する遺伝子発現を増加させることにより症状の軽減をはかることが可能となる。グルタミン酸受容体に関係する病態や乏酸素血症に対しては,グルタミン酸受容体およびグルコース・トランスポーター遺伝子発現の減少または増加を,そしてストレス関連疾患においては,グルココルチコイド遺伝子発現の減少を起こさせることができる。このような遺伝子の操作により臨床的に治療効果が現れるためには,遺伝子発現の制御による作用が広範かつ強力でなければならない。また,神経細胞の可遡性に影響がない方法を選ばなければならない。

 ここに述べたように,21世紀の精神医学の診断と治療は遺伝子の検索と操作によってなされるようになり,精神医学もやっと正式に医学の仲間に入ることができるようになるのである。