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  精神療法

 藤沢周平がなくなり書店に追悼フェアーのコーナーがあった。私は今までこの作家の小説を一度も読んだことがなかったので、山と積まれた彼の作品の中から一つを手に取った。それは「春秋山伏記」という題であった。山伏という少し神秘めいた言葉に惹かれ、そして、東北出身のこの作家の持ち味を味わえるかも知れないというかすかな期待を胸に秘め、他の本を手に取るまでもなくこの本を買った。私はこのような文庫本は電車の中で読むことが多い。この本を読み始めたらわずかの区間にもすぐ本を取りだしあっという間に読了してしまった。それは、特に最初の章の「験試し」が、精神科医の私にとって”目から鱗”だったからである。

 これは、羽黒山のお墨付をもってある村にやってきた山伏大鷲坊がその村の神社に住み着いていたもぐりの別当月心坊とどちらが法力があるか試されるという話である。既に月心坊がさじを投げた、足が立たなくなってから半年になる一六の娘を治したら神社の主にしようと村の長人が大鷲坊に難問を投げかけた。若い大鷲坊はこのヒステリー性失立症を患うおきくの精神療法を始めるのである。その過程はまさに専門家ががじっくりと味わうべき内容であった。

 おきくはこの二ケ月ばかり奥座敷に敷いた床に寝たきりになり、茶の間まで連れだそうとしてもいやがった。食は細り、青白い顔をして天井を眺めていた。家のものは手の打ちようがなく心配をするばかりであった。若い寡婦のおとしを看護婦代わりに伴った大鷲坊が訪れたときのおきくは、夏だというのに戸を閉めっぱなして薄暗い部屋に寝ていた。頬が青白くこけ、眼が美しかった。大鷲坊はまず、おきくの動かなくなった脚の浴衣を払いのけ恥じらうのもかまわずじっと下肢を観察した。まず機能欠損部の視診である。次は脚の触診である。脚の指を握り、内側に曲げたり上にそりくり返らせたりした。足首を丹念ににさわり、骨や筋をさぐった。次に白いふくらはぎを静かに揉んだ。おきくは羞恥とも恐怖ともいえない表情になっていたが、おきくの脚は死んだ魚のごとくぴくりともしなかった。その脚が不意に跳ねた。大鷲坊の手が不意におきくの内股に滑り込んだのである。大鷲坊は決して好色でこうしたのではなく、これにより、器質性の障害を否定したのである。彼の綿密な”神経学的検査”は、おきくの障害が心因性であることを暴露した。大鷲坊は山伏らしく、これは病気ではなくおきくが自分から呼び寄せた死霊に誘われ、自分自身を十方闇の中に閉じこめているのだと、おとしに説明した。そして次にその死霊の詮索が始まった。おきくが歩けなくなった直前に幼ななじみの弥作が奉公先で突然病死したことが判明した。弥作を思いつめて自分も死にたいと考え死霊にとりついたのであろうという心因が推定された。

 山伏大鷲坊はこのような手はずで”診断”を終え”治療”を開始した。大鷲坊は天気の良い日は必ずおきくを背負って人や馬、駕籠が通る様子、子供の遊ぶ姿を眺めさせたり、山葡萄を摘んだりした。おきくははじめは大鷲坊の背に負われることをいやがっていたが、あきらめてされるままにした。毎日毎日おきくを背負って歩く大鷲坊を村人は奇矯に感じた。祭りの日、大鷲坊はおきくを背負って村はずれの森にいく人並みの中にいた。そして背中のおきくに次のように言い聞かせていた。「稲を見ろ、きれいだろ、命があって生きているからきれいだ。一生けんめい生きて、みのってきれいに光っている」と生きることの尊さと美しさを説いた。また、同じ年頃の若者達とおきくが話す機会を大鷲坊は作ってやった。このように大鷲坊はおきくを暗い部屋から日の光の下に連れ出し、鳥や、草や、人間が嬉々として生きる姿を見せて廻ったのである。そして、最後の仕上げは三〇人ほどの村人を集めておきくのための祈祷会を催した。真新しい法衣をつけた大鷲坊が印を結んで経を唱えると厳かな雰囲気をかもしだし、死霊からおきくを離す一種のセレモニーが始まった。そして、おとしに介助されたおきくが読経の中で立ち上がり、この話が終わるのである。

 神経学的診察から始まり、周囲の者からの問診、そして心因が推定され、診断が確定する。そして、治療が開始されるのだが、この治療は押し掛け治療であるので、患者は治療に積極的ではない。また、これがヒステリーの特徴でもある。治療者に対する患者の陰性転移が、毎日毎日繰り返す背負うというからだとからだの接触により陽性転移に変えられる。そのなかで、こころとこころの交流が生まれ、人が生きる喜びがよみがえさせられ、現実からの逃避が中断させられる。最後に衆目の中での暗示に満ちた儀式によってついに失立を治してしまった大鷲坊はベテランの精神科医である。藤沢周平が作家の眼で人間というものを見透してこのような記載をしたのか、またはどこかで精神医学を学んだのか興味のあるところである。

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣