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映画「最高の入生の見つけ方」

医療法人 和楽会 理事長 貝谷 久宣

 この5月、筆者は第161回米国精神医学会に参加した。ワシントンまでの直行便で往復とも同じ映画を見てしまった。非常に感動した。原題は「The Bucket List‐棺桶リスト」。末期ガンの二人の男が棺桶に入る前に“やっておくこと”をリストアップし、実行する物語だ。自動車整備工力ーターをモーガン・フリーマン、入院先の病院のオーナーでもある実業家エドワードをジャック・ニコルソンといった二人のアカデミー賞に輝くベテラン俳優が共演した豪華キャストの映画であった。

 カーターの若いころの夢は歴史学の教授になることであったが、生活のため、家族を守るためただ実直に45年間働いてきた。結婚に失敗したエドワードがカーターに長続きの秘訣を聞くと、“耐えるのみ”と答える場面は長年連れ添った夫婦なら思わず笑ってしまうであろう。また、カーターはエドワードに妻との関係を次のように告白した。

 “娘が家を出たあとぽっかりと穴が開いた。私は実に40年ぶりに妻と二人だけで向き合った。何の騒音もない静けさの中。どうしても思い出せなかった。外を歩くときバージニア(妻)の手を握らずにおられなかった時のあのときめきを。彼女は私が恋に落ちた女だ。正真正銘の。だが、すべてが変わってしまった。途中で何かを失ってしまったせいで。わかるか?”

これは世のオバタリアン族に対する警句になるだろう。

 一方、エドワードは、愛娘エミリーに離婚した母親と共に去られ、あれこれと娘のために尽すが結婚式にも呼ばれず、DVの婿に嫌がらせをして、結局離婚に追いやってしまう。このため、エドワードは娘から絶交され家族の絆が全くない、金を稼ぐことだけが喜びとなった、物欲主義者の生活を送ってきた。

 このように全く正反対の人生を過ごしてきた二人の男が余命いくばくもない数ヶ月間をともに行動するのだ。カーターは若い頃、自分が死ぬまでに残された日数を知れば解放感を得られると思ったが、実際には違っていたと寂しさを表明する。大学生の頃、哲学の教授に死ぬまでにやりたいことを全部書き出しておけといわれ、100万ドル稼ぐ、大統領になる、などと書いたが、死の病床で改めて書き直したものをエドワードに見つけられてしまった。そして二人で、棺桶リストを合作し、実行していくのだ。大金持ちであるエドワードが一緒ならば不可能なことはない。マスタングを乗り回す、スカイダイビングをする、刺青をする、自家用飛行機で北極、ピラミッド、カプリ島の旅、アフリカでのライオン狩り、など男にとってはワクワクするようなことを実行していった。

 この旅の最中に取り交わされる篤実なカーターと現実主義者エドワードのやりとりがおもしろい。

ピラミッドの旅で、
C “古代エジプト人は死に対してこう信じていた。死んだ魂は天国の門で神に二つの質問をされ、その答えによって扉の中に入れるかきまる。自分の人生に喜びを見いだせたか?”
E “イエスだ”
C “他者の人生に喜びをもたらしたか?”
E “さあどうかな”
ムガール帝国への旅で、
  “葬儀についてまだ迷っている”“火葬がいい”“冷凍保存は?”“遺灰はピーナッツの缶にいれて景色のよい場所に埋める”
ヒマラヤの旅では、
C “仏教の輪廻転生を信じている。現世の行いで来世は何に生まれるか決まる”
E “そこがわからない。カタツムリは何をすればもっといいものに生まれ変わるんだ?まっすぐ這うのか!”
北極の旅で、
E “神が何もかも創ったと思っているのか?俺がこうやって空を見上げてあれやこれや誓えば悩みが消える男だと信じているのか?”
C “95%の人間はそう信じている”
E “あのな、95%の人間はいつも間違っている。信仰心の持てる人間がうらやましい”
C “頭で考えすぎだ”
E “神は存在するのかしないのか、誰一人疑問に答えられる奴はいない”
C “あなたは何を信じている”
E “何もない。生きて死ぬだけだ。その間、車輪は回り続ける。間違っていたら、そうありたい”
C “だったら、神の加護が得られる。信仰心をもつだけだ”

 エドワードがカーターに素晴らしい世界旅行をプレゼントしている間、カーターはエドワードの人生の意味を少しずつ変えていった。

 家族の絆を緩める旅から帰ったカーターは久しぶりに家族の温かさを楽しんだが、間もなくガンの脳転移で逝ってしまう。その前に彼がエドワードに送った手紙の一部を紹介しよう。

 “エドワード、あんたにこういった最後の手紙を書くべきかどうか迷っていた。その結果、書かなければ後悔することにやっと気づき、ここに書く次第だ…バージニアによれば私は夫に戻れたそうだ。あんたのおかげだよ。今の私には恩を返すすべがない。だから無理をするよりあんたに別の頼みごとをしようと思う。人生に喜びを見出せ。その他大勢と一緒にするなと以前そう言ったよな。確かにあんたはその他大勢とは違う。だが、その他大勢の中の一人でもあるんだ。牧師様はよくおっしゃる。我々の人生は同じ大河に向かって流れる小川のようなものだ。その大河の滝の先に広がるのが天国である。人生に喜びを見出してくれ!親愛なる友よ!目を閉じて流れに身を任せろ!”

 この手紙をもらったエドワードは娘エミリーと和解し、孫に頬ずりをすることができた。そして、彼は、カーターの葬儀で次のような弔辞を述べた

 “皆さんこんにちは。エドワード・コールと申します。こういう時にふさわしい言葉というものは正直言ってわかりません。今までこういった場は避けて通してきたので。だがこれだけは確かです。故人を愛していたし、すごくさびしい。カーターとは世界を旅した仲です。信じられません。つい3ヶ月前までは見ず知らずの他人だったことは。もしも身勝手に聞こえてしまったら残念ですが、彼の人生の最後の数ヶ月は私にとって最高の日々でした。彼は人生の恩人です。真の幸せに気づかせてくれた。心から誇りに思います、故人と最後の時間をともに過ごせたことを。我々は互いの人生に喜びをもたらしあったといってもいつわりにはならないでしょう。だから、いつの日か、このわたしが最後の眠りについて天国の扉の前で目を醒ました時、その証人としてカーターにいて欲しい。そして天国に案内して欲しい”

 この弔辞を述べるジャック・ニコルソンの演技は見ものであった。あの表情としぐさは最高の芸だ。

 エドワード・コールは5月に死んだ。日曜日の午後、空には雲ひとつなかった。享年81。彼らはピーナッツの缶に入れられ、ともにエベレストに埋葬された。いまだ人生の価値の図り方などわからない。だがこれだけはいえる。エドワードがその目を永遠に閉じたとき心は開かれた。最後の安住の地にも満足していることだろう。

 この映画は、ドイツでは「Zwei Manner‐二人の男」という題名で上映されている。「二人の女」ではこのような話はできないであろう。私はこの題名の付け方の方がピッタリだと思っている。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.53 2008 SUMMER


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