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パニック障害というストレスをどう乗り越えるか

帝京大学医学部名誉教授 竹内 龍雄

 ケセラセラという語は、子供のころ江利チエミの歌で聞いて、「なるようになるさ」という意味が、何となく心をラクにするような気がして、記憶に残っていた。それを貝谷先生がこの季刊誌の題名にしたのを見たとき、あ、先生もきっと同じような思いだったのだな、と共感した。当時は「パニック障害」という病気の概念を広めようと、一緒に頑張っていた頃で、不安におののく患者さんの気持ちをラクにする言葉として、季刊誌の題名にぴったりだと思った。
 そして15年たった今、「パニック障害」は一般の人々の間にもすっかり定着し、われわれの疾患概念普及の目的はすでに達成されたと言えるだろう。しかし不安な患者さんに対する「ケセラセラ」(なるようになるさ)という言葉は、今なおホッとさせる力を持っているような気がする。
 私は診療の場を通じて、多くのパニック障害の患者さんの悩みを聞く機会があるが、「いつ発作が起こるか」「もし人前でなったらどうしよう」「具合が悪くなったときのことを考えると、恐くてとても出かけられない」…等々、先のことをあれこれ心配して不安におののき、何事にも臆病になり、生活全体が萎縮してしまう、そんな悩みが一番多い。長年通院し、病気のこともよく分かっているし、仕事も日常生活も、健康な人と遜色なく立派にやっている。他人から見ると健康な人と何ら変わりない。しかしその裏で本人は実に涙ぐましい努力をしている。いろいろな楽しみや欲望を犠牲にして…。旅行、外食、運動、冒険など、生きていくだけなら必ずしも必要でないかもしれないが、もう一歩踏み出せば人生がそれだけ豊かに楽しくなるのにと思えるところで、不安故に控えてしまっている。私はそんな部分を少しでも改善できないかと日頃から感じていた。
 パニック障害は病気には違いないが、命に関わるものではないのだから、ストレスの一つと考えてみてはどうだろうか。不安や種々の身体症状を起こしてくる、やっかいなもの、完全に消えてなくなればよいが、それが出来ないなら、なんとか共存しながら生きていくしかない。ストレスも同じだ。生きている以上ストレスから逃れることは出来ない。乗り越えるしかないのである。そこでストレスにどう対処するかという問題になってくる。
 多くの調査や研究によると、パニック障害の患者さんは、ストレスに対してどう対処するかの対処法に特徴があることが分かっている。ストレスの原因になっている問題の解決をはかろうとする(問題解決型)よりも、結果として起きた情動を解消しようとする方向(情動中心型)へ向かいやすいこと、そしてその方法として、逃避型対処、つまり良かれ悪しかれとにかくストレスを避けようとする、心の中でストレスのない世界を希求する(奇跡願望)などの傾向が強いと言われている。そして治療によってパニック障害が良くなると、逆に問題解決志向が増え、情動中心志向が減少する。また逃避や奇跡願望も減少する。これらのことはわれわれも自験例で確認している。
 われわれはさらに詳しく調べてみた。その結果、良くなった患者さんのストレス対処のしかたには、ほかにも特徴があることがわかった。計画型、肯定評価型という対処型が増えているのである。計画型というのは、ストレスに対して、問題解決をはかるためいろいろな方法を考え、計画的に対処しようとする態度である。また肯定評価型というのは、問題の良い面、良い方向を見出して行こうとする、前向き志向のことを指す。そしてこれらはQOL(生活の質)の向上と連動していることも分かった。
 パニック障害で認知行動療法を受けたことのある人であれば、すぐ思い当たると思うが、これらは不安に襲われたとき、とっさに浮かぶ破局的思考を修正するために、適切で望ましいとされる認知の方向づけと一致する対処法である。またそうすることが、QOLの向上にもつながることが証明されたのである。内容的には当然とも言える対処法で、私が以前からよく引用している、Positive, action-oriented, non-escape な考え方である。そしてそれが人生を豊かにする道だったのである。
 加えてもう一点、興味深い所見がみつかった。但しこれはQOLとの関連性は十分な統計的有意性が証明されなかったので、自信を持って言えるところまでは行っていない。示唆に留まるが、良くなった患者さんには「離隔型」という対処型も増えていたのである。これは、「問題は自分とは関係ない」「大したことではない」と切り離したり、矮小化したりする、どちらかと言えば情動中心型のストレス対処法である。前述の、問題に正面から向き合って、現実から逃避せず、計画的・肯定的に乗り越えようとする方法が、ストレス対処のいわば王道とすれば、問題を自分から切り離し、自分の外に置いてみるのは、一種の逃げと言われるかもしれない。しかしそれも時には立派な不安やストレスへの対処法であり、生活の質向上にも有効な可能性があるようなのである。もはやお気づきであろう。離隔型とはまさに「ケセラセラ」の精神である。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.60 2010 SPRING


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