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病(やまい)と詩(うた)【46】ー痴呆老人の懸念ー(ケセラセラvol.92)

東京大学 名誉教授 大井 玄

 

わたしは生涯を通じて非政治的でナイーブな人間であった。現在は老耄の旅人として夕闇迫る荒野をとぼとぼ歩いている。わが身に何が起こっても驚かない、悲しみもしない。それでも世の中を見渡すと心配する種はある。アメリカ大統領ドナルド・トランプが朝鮮半島に先制攻撃を仕掛けることである。戦争が始まれば、初日に百万人が殺される可能性があるというスタンフォード大学の推測がある。

アメリカはわたしが物心ついたときから何度か外国に戦争を仕掛けてきた。ヴェトナム戦争は1964年トンキン湾でアメリカの艦艇が攻撃を受けたという口実で本格的軍事介入を始めた。

2001年9月11日の世界貿易ビル、国防総省への同時テロ事件後、首謀者オサマ・ビン・ラディンをかくまっているとしてアフガニスタンに侵攻した。
2003年、ブッシュ政権によるイラク侵攻は、サダム・フセインがアルカイダとつるんでおり、大量破壊兵器つまり核兵器を隠し持っているとの口実で行われた。それがまったく事実無根の言いがかりであったことは、我々の記憶に新しい。

当時、パウエル国務長官は、国連でイラクを攻撃することが唯一残された選択肢であると演説した。その一部を挙げれば、「われわれは、中東地域を支配する野望を抱き、大量破壊兵器を隠匿し、テロリストを匿うばかりか、彼らを積極援助する政権に対峙している。われわれは過去と対峙しているのではない、われわれは現在と対決しているのだ。そして今われわれが行動しなければ、さらに恐怖すべき未来に立ち向かうことになろう」

彼の演説は国際的には評判が良くなかったが、多くのアメリカ国民に強い説得力があった。
ドナルド・トランプは、もし北朝鮮の独裁者キム・ジョンウンがアメリカに攻撃を加えるならば、かつてどの国も経験したことがないような「焔と激怒Fire and Fury」を被り、徹底的に破壊されるだろうと広言し、キムを「小さなロケット・マン」と嘲り、自国の核兵器のほうがはるかに強力だと自慢した。
小学生並みの威張り方をする、慢性的嘘つきが世界最強国の大統領である事実に、歴史の滑稽さ、皮肉さそして怖しさを感じよう。ワシントンポスト紙はトランプが就任一年でついた「うそ」は2140回と報じている。

 

トランプのアメリカ(そして日本)の立場は北朝鮮を核保有国として認めず、非核化を迫るものだ。
しかし北朝鮮がすでに核兵器を保有している以上、その選択肢は現実的だと思えない。北朝鮮はトランプの脅しを取り上げ、弱い者いじめをするアメリカ帝国主義から身を護る自衛手段として、核兵器製造と大陸間弾道ミサイル開発を正当化している。北朝鮮は核兵器が生き延びるため必須だと信じている。
たしかに北朝鮮に対する経済制裁はある程度の効果があるだろう。石油の値段は高騰し、電力使用は制限され、首都ピョンヤンでさえ停電がしょっちゅうある。しかし太陽光発電は一般化されつつある。市場経済的仕組みも部分的に取り入れ、闇市も許され、GDPの伸び率は、何年もの低迷のあと、昨年韓国中央銀行の推計では3・9%だった(アメリカ1・6%)。
第二次大戦中、「欲しがりません勝つまでは」を信じて飢えに耐えた軍国少年には、今のしめつけで北朝鮮が近未来に崩壊するとはとうてい信じられない。
流れとして不吉なのは、トランプ政権の中枢が異論を唱える者を排除していることだろう。

ジョージ・W・ブッシュ政権のアジア問題上級顧問で現在ジョージタウン大学教授のヴィクター・チャは、ずっと韓国駐在大使候補と見なされていた。しかし彼は「鼻血作戦bloody nose strategy」に反対する意見をワシントンポスト紙に載せて大使候補から外された。
鼻血作戦とは、北朝鮮がアメリカ本土を核攻撃する手段を開発する前に、北朝鮮の核兵器製造施設などを先制的に攻撃してしまおうという戦略である。
トランプは、同盟国より自国の国民、都市を護ることが大統領の究極的責任だと考えている。それが「アメリカ第一」主義であり、ニューヨークやワシントンを護るためにはソウルや東京を犠牲にしてもよいという冷酷さである。
紛争になれば、事態は急速に拡大しよう。米韓側は北朝鮮への大規模な空爆とサイバー攻撃で指導者の殺害と軍事力の無力化を図ろう。北朝鮮は政権の存続をかけて通常兵器あるいは核兵器による反撃を韓国そしておそらく日本にも行うだろう。自国を攻撃しているのはアメリカ、韓国、日本である。
叔父を処刑し、異母兄を暗殺したキム・ジョンウンは冷酷な独裁者である。攻撃されるならば核兵器の使用もためらわないだろう。
嘘と欺瞞とはったりで不動産業に成功し、テレビショー司会者として聴衆を扇動し興奮させることに長けたドナルド・トランプは、さらに冷酷だ。彼には弱者のうめきや悲しみへの憐みはない。かつて彼は、使用しないのならなぜアメリカは核兵器を保持する必要があるのか、と訝った。(1)
核兵器を小型化し、より使いやすくするという核兵器開発と使用の戦術的かつ戦略的変換は、彼のサディスティックな性格をも反映している。

 

韓国(そして潜在的には日本)が想像を絶する人的被害をうける軍事的行動か、それとも北朝鮮を事実上の核保有国として容認しそのリスクを管理していくのか。北朝鮮が自殺的行動をとらないかぎり後者の方がましではないのか。
封じ込めは、中近東やテロリストへの核ミサイル技術拡散を防ぐうえでも重要だろう。しかし北朝鮮が核保有国として責任ある行動をとることと引き換えに、制裁を緩和することも、選択肢として残すべきだろう。
歴史は、痴呆老人の願いとは別方向に流れるように見える。

 

(1) The New York Times:International Edition,2017-10-13,Editoria

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