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不安・うつの力30 前篇

来週から11月。あと2カ月で2012年も終わってしまいますね。

2012年の一大イベントとも言えるロンドンオリンピックはまだ記憶に新しいことと思いますが、この大会で金メダルを獲得したあるアスリートを題材に横浜クリニック院長の山田先生がコラムを書いてくださいました。

新しい年を迎えてしまう前に、せっかくなのでこちらでご紹介させていただきたいと思います。

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金メダリスト小原日登美さんの場合

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 今夏、イギリス・ロンドンでオリンピックが盛大に行われ、多くの日本人が選手と一体になって緊張し、大きな感動を貰いました。中でも、女子レスリングの小原日登美さんはその人生史の中で悲運と挫折を繰り返し、うつ病まで経験した上での金メダルでしたので、その感動はひとしおのものがありました。 小原(旧姓・坂本)日登美さんは、青森県八戸市に昭和56年(1981年)1月4日に二人姉妹の長女として生まれました。現在31歳です。八戸市はレスリングの盛んな町で、オリンピックで3連覇した伊調姉妹も同じ八戸の出身で、並び評された姉妹同士でした。そのような町柄でしたので、子供達のレスリング熱も盛んで、自然と八戸キッズ・レスリングに入り、レスリングに取り組み始めました。仲の良かった妹真喜子さんもレスリング選手になります。レスリングの名門八戸工業大学第一高等学校に進学し、レスリング部に所属し、平成10年(1998年)高校2年生の時に全国高校生選手権50kkg級で優勝し、その名を全国に轟かせました。平成11年(1999年)高校3年生の時には全日本女子学生選手権51kg級と更に全日本選手権でも優勝します。

高校卒業後、やはりレスリングの名門中京女子大学(現・至学館大学)に入学し、平成12年(2000年)大学1年時に早くもアジア選手権で勝ち、更に世界選手権で優勝してしまいます。51kg級では世界に敵なしで、オリンピックでの金メダルも間近と思われました。しかし、オリンピックには51kg級は無く、妹真喜子のいる48kg級か、55kgで出場しなければなりません。両親に、「姉妹の戦いは見たくない」と言われ、平成16年(2004年)のアテネオリンピックは55kg級で出場する事を決心します。しかし、55kgには無敵の吉田沙保里選手という大きな壁が立ちはだかっていました。そのような中、平成13年(2001年)51kg級で世界選手権連覇を達成した後、左膝を痛めてしまいます。更にその治りが悪かったため、平成14年1月選手生命を絶たれるかもしれないメスを入れる手術を受け、戦列を離れます。術後の回復も思わしくなく同年12月全日本選手権55kg級に挑み、吉田沙保里選手にわずか開始25秒でフォール負けしてしまいます。心が折れ、どん底に追いやられ、深いうつ状態を呈してしまいます。

その後、毎日の様に実家に電話をして、「八戸に帰りたい」と泣きながらに訴え続けました。平成15年4月、翌日の身体計測に備えて、東京・赤羽のホテルに妹と一緒に宿泊します。イライラ感から自暴自棄になり、過食に走り、体重は急増し、何kgになっているかも判りませんでした。深夜、かみそりで自殺企図を図ります。間一髪で妹が気付き、一命を取り留めます。全く目が離せない状況で、妹は姉を精神科に連れて行きます。うつ病と診断され投薬治療を受けるようになります。同年7月に療養のため八戸の実家に戻りますが、そこでも自殺企図を図ります。夜勤で帰ってきた父親清美さんは、心配して寝ずに付き添いました。母親真理子さんは、黙って本人の苦しさの話を聞き続けました。徐々にうつ状態は改善していきました。そのような時、同年末の全日本選手権で妹真喜子さんは初めて破れてしまい、「一人では勝てない、また戻ってきてほしい」と懇願されます。大学、現場に戻る事を決心します。再び前向きな考えが生じるようになり「生きているからレスリングができるんだ。死んでしまっていたら二度と好きなレスリングはできなかったんだ。」と、考えを変える事ができるようになりました。両親と妹、家族の力による精神療法、認知療法のように見えます。

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