医師と患者とくすりの不思議

  プラセボ効果

 外見は本物の薬と全く同じ形、大きさ、色でありながら、薬効成分を全く含まない薬があります。プラセボ(偽薬)と言って、新しい薬の効果を調べる(治験と言います)ときにわぎわざ作られます。抗不安薬などの治験では、医者も患者も本物の薬かプラセボか分からないようにしておいて、薬の効果を判定する「二重盲検法」というのが行われますが、治験が終わった後、どちらの薬だったか種明かしをしてもらい、本物の薬がプラセボより有効だったかどうか判定するわけです。本物が勝つに決まっていると思われるでしょうが、実際はそうでもないのです。過去の試験ではプラセボに勝てなくて開発や発売が中止になった薬がたくさんあります。最近では痴呆に有効とされた薬(抗痴呆薬)が、再試験でプラセボと統計的に有意差がないという結果が出て、発売中止に追い込まれたことが記憶に新しい出来事でした。

 プラセボ効果は、どんな病気に対するどんな薬でも、大体30%くらいはあると言われています。ですから少なくともそれ以上は効かないと、本当に効く薬とは言えないわけです。また有効とされている薬であっても、その効果の30%くらいはプラセボ効果が含まれているということにもなります。すなわち、実際の薬の効果は、薬そのものによる薬理作用とプラセボ効果との総和なのです。

  信じて飲むほど効く、疑って飲むと副作用が出やすい

 プラセボ効果はなぜ起こるのでしょうか。二つの大きな要因があると言われています。一つは心理的効果で、暗示によるものです。他の一つは自然治癒です。自然治癒は人に本来そなわった力で、プラセボであってもなくても当然働きます。今回のテーマとは離れますのでさておき、ここでは心理的効果について考えます。

 俗に「イワシの頭も信心から」と言いますが、たとえイワシの頭(プラセボ)であっても、信じれば霊験あらたかなことを教えています。実薬であればなおさらで、効果が倍加されるということです、信じるということは、一種の自己暗示をかけることに似ています。人の暗示作用は、催眠術の例を見るまでもなく、非常に大きな力を発揮するもので、自己暗示の場合も同様です。スポーツでも仕事や勉強でも、自分に良い暗示をかけられる人は、高い成功率や良い成績を出すことが知られています。逆にマイナスの暗示は悪い結果と結びつきやすいのです。

 従って、薬やそれを処方した医師に不安・疑問・不信感などを抱いたままくすりを飲んでもよく効きません。それらが自然にマイナスの自己暗示を与えてしまうからです。それどころかしばしば副作用が出ます。実は、不思議に思われるかもしれませんが、プラセボでも副作用が出ます。プラセボ自体には何の薬理作用もないわけですから、薬理作用による副作用は出るはずがなく、これはまるまる心理的効果によるものです。薬を飲んだときに起こる副作用には、薬自体による本来の副作用のほかに、このプラセボ効果も加わっていることが多いのです。

  薬がよく効く医師と患者

 薬の効果や副作用はプラセボ効果と関連が深いことがわかりました。プラセボ効果は薬を飲む人の心理状態に左右されます。医師や薬を全面的に信頼して飲めれば、薬の効果にプラセボ効果が加味されて、最高の効果が期待できます。しかし現代は薬に関する情報があふれています。たとえ医者にもらった薬でも、頭から信用する人は少ないでしょう。むしろさまぎまな疑問を持ち、それを医師にたずね、自分でも勉強し、納得した上で薬を飲むのが正しい態度とされています。

 しかしそうして納得出来ればよいのですが、例えば「不安」は人を何事に対しても必要以上に心配症にさせます。医師から服薬の必要性をいくら説明されても、副作用への心配が先に立って、薬を飲めない人がいます。中には自分で勝手に減らして飲んだり、途中でやめてしまったりする人がいて、これでは薬が効かないのは当然ですが、こわごわ飲んでいる場合もあまり効きません。パニック障害は不安を主症状とする病気なので、しばしばこのようなケースがあります。不安をとるために飲む薬なので、ここのところを突破する必要があります。

 逆に医師の方の薬に対する態度もプラセボ効果に関連してくることがわかっています。専門知識に裏づけされ、自信をもって処方された薬はよく効きます。処方が正しいからだけでなく、薬や薬物療法に対する医師の肯定的な態度が、プラセボ効果となって薬効にプラスされるのです。医師が患者に対して抱く感情も薬の効果に影響すると言われています。医師も人間ですから、好感のもてる患者とそうでない患者がいるのは確かで、患者が医師に抱く感情の場合と同様に、良い感情はプラスに、悪感情はマイナスに働きます。医師と長くつきあっていくには、一見非科学的のようですが、「相性」の良い医師を見つけることも大切なことと言えます。

  プラセポが必要な時

 プラセボでも治療効果があること、本当の薬でもプラセボ効果が加わると一層効果が強まること、薬に対する態度や感情が薬の効果に影響することなどが分かりました。これをパニック障害の治療にあてはめてみますと、症状が軽快し、薬の必要性が少なくなってきたが、いざとなるとなかなか薬をやめられないとき、プラセボを使うという方法が考えられます。否、実際に多くの患者さんは既にそれと知らずにプラセボを使っているのです。

 パニック障害の多くの患者さんたちは、軽い不安や不安の前兆を感じたとき、水を一杯飲む、チューインガムを噛む、飴をなめる、などの対処の方法を持っています。これらは皆、広い意味でのプラセボです。薬理作用はありませんが、気を紛らし、不安の一時的な解消に役立つと自ら信じること(自己暗示)によって、プラセボ効果が生じるのです。

 どうしても薬でないとダメという人は、医師に頼んで、ごく少量…医学的にはほとんど効果がない量…の薬が入った散剤(事実上のプラセボ)を作ってもらい、それを飲むという方法もあります。極少量でも、ゼロではないということで安心でき、しだいに実薬から離れていくことが出来ます。薬ではなしに、医師が「絶対大丈夫」と言った言葉を思い出すことで、効果があるという人もいます。いずれも医師への信頼に根ざした暗示作用によるプラセボ効果が働いています。しかし出来れば医師に頼るのでなく、「自前のプラセボ」をみつけ、それを上手に利用して不安に対処し、自己管理を実現されることをすすめます。パニック障害の回復期の最終的な目標は、医師や薬からしだいに離れて行くことだからです。

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文責  竹内龍雄 

 帝京大学医学部精神神経科学教授(市原病院)

 ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.17 1999 SUMMER