週刊朝日 2005.1/7・14 新春合併号 P126-127


大勢の人の前で話せない「スピーチ恐怖」などSSRI(抗うつ薬)の抜群効果―――人生が変わった人も

 大勢の人の前で何か話そうとすると、緊張して声が出なくなったり声が震えたりします。もともと内気で、初対面の人と話すのが苦手。これは病気なのでしょうか。(東京都・女性・28歳)

不登校や引きこもりの原因となる場合も

 神奈川県内の会社員の男性Aさん(25)は子供のころから、人と話すと顔が赤くなり、手に汗をかくことに悩んでいた。大人になれば治るだろうと思っていたが、会社に勤めるようになっても同じだった。

 赤面するのが気になって職場の人たちと会話ができない。手に汗をかくので握手を求められても、つい拒んでしまう。最近は同僚ともギクシャクした関係になり、会社を休むこともしばしばだった。

 そんなとき、インターネットで、「社会不安障害」という病気があることを知った。自分に当てはまる症状が多かったので、医療法人和楽会心療内科・神経科赤坂クリニック(東京都港区)へ。この病気に詳しい同会の貝谷久宣理事長(精神科医)は言う。

 「社会不安障害は、かつて『対人恐怖』といわれていた病態とほぼ同じです。恥の文化が根底にある東洋人特有の病気だろうと考えられていました。が、この10年ほどの間に、米国人にも少なくないことがわかり、世界的に注目されるようになりました。軽い例も含めると、各国で全人口の10〜15%がこの障害にかかっているとの報告もあります」

 この病気の人は他人から注目されるような場面や、恥ずかしい思いをするかもしれない状況になると強い不安を感じる。そして、

手足が震える
息が苦しくなる
動悸がする
大量の汗をかく
顔が赤くなる
声が出なくなる
頻繁にトイレに行きたくなる

 などの身体的な症状が出てくるのが特徴だ。

 「なかでも最も多い訴えが『スピーチ恐怖』です。会議や披露宴など大勢の人の前で話すときに、不安のあまり声が震えたり、言葉が出なかったりします。人前でのスピーチは普通の人でも多少緊張しますが、社会不安障害の人はそれが極度に表れるわけです」

 ほかにも、あまり知らない人と食事をすると箸やグラスを持つ手が震えるなどの「会食恐怖」、人が見ている前で字を書こうとすると手が震える「書痙」、会社など他人が聞いているところで電話に出られない「電話恐怖」などがある。

 問題は、手の震えや赤面を他人に気づかれるのが心配のあまり、恐怖や不安を感じる状況を避けるようになること。不登校や引きこもりのなかには、社会不安障害が原因となっている例も少なくないそうだ。

廃業寸前のダメ社長が一転、スゴ腕経営者に

 社会不安障害は薬物療法と心理療法で驚くほどよくなる例が多い。

 「なかでも、うつ病の治療薬として開発された抗うつ薬の一つ、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)がよく効きます。私どもの経験では、社会不安障害の6割以上の患者さんに、人生が大きく変わるほどの効果を発揮しています。この病気に対するSSRIの効果を調べる臨床試験は日本ですでに2回行われていますが、まだ正式に治療薬として承認されていないのが残念です」

 と貝谷理事長は言う。

 現在、一般に使われているのはベンゾジアゼピン系抗不安薬や、通常は降圧薬として使われるβ遮断薬だ。前者は服用後数十分で精神的な緊張を、また、後者は身体的な緊張をとり、動悸や手の震えなどを抑える作用がある。

 Aさんには当時、臨床試験中だったSSRI(商品名パキシル)の服用を勧めた。この薬は服用後すぐには効果が出ないので、いざというときのために抗不安薬とβ遮断薬も処方した。

 AさんはSSRIの服用を始めて数週間もすると、それまでの強い恐怖感が軽くなり、同僚とも徐々に話ができるようになった。すでに1年ほど飲み続けているが、性格も明るくなったと喜んでいる。

 SSRIで人生が大きく変わったという人はたくさんいるという。

 60代の中小企業のオーナーBさんは若いころから人づきあいが苦手で、親から引き継いだ会社を細々と経営。自分は経営には向かないのでそろそろ廃業を、と思っていた。

 だが、SSRIを服用し始めたところ、人づきあいが苦にならなくなり、会合やゴルフにも積極的に参加。いまは他の会社の買収を試みるほど仕事が順調だという。

 また、10年以上も引きこもりが続いていた20代後半の男性。SSRIを飲み始めてから徐々に外出できるようになり、現在は父親と一緒に新聞配達をするなど、社会人への道を着実に歩んでいるそうだ。

 一方、薬物療法と同じくらい重視されているのが心理療法の一つ、認知行動療法だ。

 「社会不安障害の人は他人の目や評価を非常に気にする傾向があります。認知行動療法はマイナス思考をプラス思考に変える機会を与え、恐怖場面に対処する方法を学ぶのに役立ちます」

 と貝谷理事長。主な方法を挙げると、

曝露療法=疑似的に不安症状を引き起こす場面や状況に身を置く。それを繰り返すことで段階的に不安感を克服していく(前号、前々号参照)
SST(社会技能訓練)=人とのつきあい方が苦手な人が多いので、実際の社交場面でどのように人と接するかを習得する
不安対処訓練=リラクセーションや呼吸法など、不安症状が起きてしまったときの対処法を学ぶ

石井典子、堀口明男


「不安」は医学的に治療できる症状だ

 心の病気のなかで病的不安を主症状とする疾患は多い。理由のない不安や、理由があってもそれに見合わない過度の不安を感じる病態を「不安障害」と総称している。

 米国精神医学会の診断基準(DSM-W)では、社会不安障害のほか、パニック障害、高所恐怖などの特定の恐怖症、強迫性障害、外傷後ストレス障害(PTSD)などを、この不安障害に含めている。これらはうつ病などの精神疾患と合併することも。

 なかでも社会不安障害は病気として認識されにくい。主な発症要因としては、遺伝的な素因、家庭環境、学習経験などが挙げられ、それらの影響の強さは個人によって異なると考えられている。和楽会の貝谷久宣理事長(本文に登場)は言う。

 「性格的には、小さいときから人見知りをする子がなりやすいといわれます。また不安を生み出す環境の影響も大きく、自分が叱られた経験だけでなく、周囲の人が叱られているのを見ておどおどしたことも影響するようです。過度に不安になるのは、『自信がないから』『性格が弱いから』などと考えがちですが、セロトニンなど脳内の神経伝達物質の不調が『過剰な不安』をつくりだすことがわかってきました。不安は医学的に治療できる症状だということを知っておいてください」

 貝谷理事長は東京大学医学部精神神経科とともに遺伝・環境要因の解析を始めている。その臨床試験での協力患者を募集中だ。