円広志さんを襲ったパニック障害

1978年『夢想花』の大ヒットで人気者となったシンガーソングライターの円広志さんは、11年前、突然前ぶれもなくパニック発作に襲われ、一時仕事を降板して治療に専念し、2008年、本格的に復帰を果たしました。円さんが経験したパニック発作についてご紹介しましょう。

円さんが活躍する姿は、パニック障害の人々に勇気を与えてくれる。

シンガーソングライター

円 広志 さん

Madoka Hiroshi

1953年高知県生まれ。小学校2年生より大阪で育つ。78年『夢想花』で第16回ヤマハポピュラーソングコンテストグランプリを受賞し、同曲でデビュー。80万枚を超える大ヒットとなる。また数多くのアーチストに楽曲を提供し、83年、森昌子のために作曲した『越冬つばめ』が日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。一方で、バラエティ番組などでタレントとしても活躍中。しかし、99年にパニック障害を発症。テレビのレギュラー番組をすべて降板し、療養に入る。現在も病気とのつきあいは続くが、病状は回復して、以前と同様に仕事をこなしている。
2009年に「パニック障害は必ず良くなる」というメッセージを、同じ病気で苦しむ人に伝えるため、自らの闘病生活を綴った著書『僕はもう、一生分泣いた』(日本文芸社)を出版した。

 シンガーソングライターの円広志さんが突然パニック発作に襲われたのは、1999年の早朝番組に出演中のことでした。最初に円さんの体に起きた異変、それは体のふらつきでした。天井を見上げるとぐるぐる回っているように感じるほど体がふらついていたそうです。
 さらに体の不調は続きます。信号待ちで止まっている車の中でのこと。しっかりブレーキを踏んでいるはずなのに周りの景色が動き始めたのです。まるで運転しているかのように。
 「どこか体に異常が起こっているんやろか? と脳のレントゲンを撮ったり眼底検査をしたり……病院で検査しても原因は分かりませんでした。しかし、症状は日に日に悪化して……一番つらかったのは、とにかく怖いんですよ。怖い。恐怖です」と当時を振り返る円さん。
 それから自分が自分でないような地獄の日々が続きます。しばらくすると、夜がたまらなく不安になったそうです。夜の暗さは死のイメージとつながり、自分もそこへ引き込まれるのではないか、そんな不安と恐怖が毎日のように円さんを襲うようになりました。夜だけではありません。日中エレベーターに乗るときも足元の隙間からエレベーターごと落ちてしまうのではないか、そんな恐怖にさいなまれる苦しい日々が続いていました。


「パニック障害は必ず治る、僕を見てください!」と語る円さん。 治療前は恐怖心を必死に抑えてステージをこなす日々だったという。 バツグンの歌唱力と表現力で、歌手としても大人気の円さん。

仕事を降板し 治療に専念し仕事復帰 必ず治る、遠慮せず生きよう!

 それでも仕事を休まずにレギュラー番組に出演して頑張ってきましたが、最初の発作から半年たったある日、誰にもわかってもらえない不安と恐怖で、円さんは大声で泣いたと言います。「今日で番組全部を降ろしてくれ。もうオレを許してくれ。これ以上責めんとってくれ」という叫びが涙と一緒に溢れ出たそうです。そして円さんは、全番組を降板し、治療に専念することになり、パニック障害と診断されたのです。
 それから夫人や昔からの仲間に支えられて治療を続け、円さんの症状は改善し、2008年からは朝のレギュラー番組やドラマにも出演できるようになりました。
 「パニック障害から立ち直って元気に仕事をこなす僕の姿を通して、『パニック障害は必ず治るよ。コンプレックスや遠慮を感じずに生きて行こうよ』というメッセージを届けたいです」と笑顔で語ってくれました。