不安・うつの力([)

― 生命科学者 柳澤桂子氏の場合 ―

医療法人 和楽会 横浜クリニック院長

山田 和夫

 今回から「うつの力」も加える事にして、題名を「不安・うつの力」とする事にしました。うつ病を体験して、その体験をしたがために大きな業績を残した人はたくさんいます。日本での筆頭は夏目漱石でしょう。漱石は大きなうつ病を5回経験しています。うつ病の深い苦しみを体験したからこそ、人生の深い意味合いを表現した小説が生まれました。うつ病を体験しなかったら決して生まれなかった文学です。漱石についてはまた後日お話したいと思います。

 「うつの力」の最初として、今回は「生命科学者柳澤桂子氏」を取り上げたいと思います。柳澤氏は若い頃より大変優れた生命科学者でした。当時、新進気鋭の若い女性生命科学者が二人いまして、奇しくも二人とも「桂子」と言う名前でした(柳澤桂子と中村桂子)。1960年代、ワトソン、クリックによって『DNAの二重らせん構造』が発見され生化学、分子生物学といった新しい生命科学の輝かしい幕開けの時代でした。それを日本に紹介されたのが若き二人桂子氏でした。しかし柳澤桂子氏は、これから更に活躍されるという30代に大変重篤な反復性うつ病にかかられ、研究を断念せざるを得なくなりました。以後現在まで37年間反復性うつ病に苦しみながら、生き地獄を生きながら自宅の中で生活してこられました。しかしこれが図らずもある極限的な修行にもなり、「生死」に関して深い「悟り」の境地にまで達し、仏陀の悟りと共鳴するまでになりました。研究所を解雇された晩は一睡もできず、偶然元薬師寺管長の橋本凝胤師の書いた「人間の生きがいとは何か」を手に取り、導かれるように一気に読み終えた直後、激しい炎の中に包まれ恍惚とするような、そして何か大きな物に抱かれるような神秘体験をします。その後もこれ以上は落ち込めない苦しい極致に「悟り」の境地に達したりしています。このような様々な体験、実感が魂の中から溢れる言葉となり、たくさんの著作を生みだす結果となりました。般若心経の心訳も、言葉が勝手に溢れてきてパソコンを打つ手の方が追いつかない状況だったといいます。真理が響き合った時の華々しい力を感じます。宗教を持たない多くの日本人に「人生、死生の意味」を明確に提示してくれるようになり、日本人の精神性、生き方に大きな指針を与えるまでになりました。「死の恐怖」はしっかりした人生観、死生観を持っていないと生じ易い面があります。「死」はごく自然な事です。宇宙の真理・摂理を本質的に理解・体得すれば生きていく事、死んでいく事に何の怖さも無くなります。柳澤氏は仏陀の悟り、教えを現代の生命科学で翻訳し、その真理を説いてくれます。柳澤氏の著作を読む事は、混迷した不安な現代に真に大切な心の有り方、生き方を明確な言葉で話し掛けてくれます。大きな安心、心の拠り所を与えてくれます。生きる指針、倫理性を与えてくれます。それは死よりも辛い極限のうつ状態を何百人分と体験し、生き抜いてきたからこその「うつの力」による「人生の真実」の発見を元にしているからです。

 柳澤桂子氏は1938年(昭和13年)東京生まれの生命科学者です。御父様も小野記彦という著明な生物学者でした。生物学を楽しむ雰囲気が小野家、柳澤家には自然に育まれていったのでしょう。柳澤氏の長男も著明な生物学者として現在活躍されています。1960年お茶の水大学理学部植物学科を卒業後、コロンビア大学動物学部大学院に進学し、婚約者のやはり生物学者であった嘉一郎氏と結婚、大腸菌の研究で博士号を取得し、1963年に帰国します。帰国後に一男、一女が生まれ、暫く子育てに専念していた最中、1969年、38度近い微熱とめまい、嘔吐に見舞われ大学病院に入院します。自律神経失調症という診断が付けられ投薬を受けるも改善することなく、以後37年間現在に至るまで毎月一回周期的に2週間程度襲ってくるこの激しい症状に苦しめられてきました。病気に苦しめられただけでなく、たくさんの専門医から精神的なものとしてまともに扱われず、侮辱され続けるという二重の苦しみの中に置かされて来ました。ICP−10に反復性短期うつ病性障害という病気があり、毎月一回周期的に1〜2週間程度うつ状態を呈する障害があります。その周期性は似ていますが、このように激しい苦しい身体症状は伴いません。唯、周期的に襲ってくるという自律神経発作という点では類似性がある様に思います。ここでは特殊な重症反復性うつ病としてお
きたいと思います。1971年三菱化成生命科学研究所副主任研究員となり輝かしい成果を挙げるも、激しいめまいと嘔吐に倒れ、大学病院の婦人科で「子宮内膜症」という診断を受け子宮の摘出手術を受けます。しかし症状は継続し、他科の教授からは「慢性膵炎」という診断を受けて治療を受けるようになります。しかし症状は継続するため、症状は心気的のものとして扱われ、一人孤独な苦しい闘病を続けることとなります。結局、休職が長引き、1983年に研究所を退職せざるをえなくなる。そのあまりの苦しさと疲弊から、死をも考える時期があった。1999年千葉市の精神科医が家族の依頼により往診し「慢性疼痛」と診断されSSRIが投与された所、初めて症状が軽減しました。反復性うつ病の側面はあったものと思われます。軽減はされたものの完治までは至らず、現在も闘病生活は続いています。

 苦しい生の中で、生きるとは何か、死とは何か、生命とは何かを深く思索し生死の意味を求めるようになりました。それが次々と著作として発表されるようになり、我々の心を深く打ち続けています。1994年に出版された「生きて死ぬ智慧」は生命の極限を体験してきた生命科学者柳澤氏の「般若心経」の現代語による心訳であり、80万部を越える大ベストセラーになっています。多くの日本人が、不安や苦悩の中にあり、生きる道を求めている事の現われと思われます。柳澤氏はこの著書の中で生命、宇宙は粒子でできていると説きます。それは量子力学に通じるものがあります。般若心経のなかではそれを「空」と呼んでいます。死とはその粒子の密度が少し薄くなるだけのことです。消滅することはありません。これも量子力学におけるエントロピー不変の法則に似ています。我々は永遠の命の中で生きていることになります。自我が無い事を悟ると、苦しみの無い自然な生き方が得られるという悟りを説いています。我々では体験できない人生の「悟り」を柳澤氏は体験されました。それは正に「うつの力」によります。

 前号で大井先生が神谷美恵子氏の詩を紹介されていました。神谷氏も若い頃結核を患った際深いうつ病になります。その回復期に神々しい光を全身に浴びるような神秘体験をします。神秘体験をした人は魂から発するような表現、言葉を獲得するようになります。それが詩です。神谷美恵子氏は詩人でした。同じように柳澤桂子氏は歌人でした。歌は選び抜かれた限られた言葉だけに、苦しみや悲しみは言い切る余韻の中に真に魂に響いてきます。五七五七七は魂に響く暗証番号です。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.48 2007 SPRING