不安・うつの力(]]W)

文豪・谷崎潤一郎の場合 ―

医療法人 和楽会 横浜クリニック院長

山田 和夫

 岩波明氏は筆の立つ精神科医で、現在、昭和大学医学部精神科の准教授です。その岩波氏が昨年「文豪はみんな、うつ」幻冬舎新書176という興味深い新書を出版しました。直ぐ目に留まって購入はしたのですが、その題名の軽さから、本棚に置きっ放しになっていました。今回この連載を書くに当たって何か参考になる事は無いかと目次を見ました。第一章は予想通り夏目漱石に始まり、第十章は川端康成と全部で10名の文豪が取り上げられていました。「小説家の病跡」は私の一つの専門領域ですので、岩波氏とは認識の違いは多くありましたが、私が一人その病に気付かなかった文豪がいました。それが谷崎潤一郎です。私も何冊か谷崎の小説を読み、アルバム集も見ていましたが、谷崎の本能的欲求の強い強力性は感じるものの、不安・うつというイメージは全くありませんでした。あの北大路盧山人のように食に対し、美に対し、女性に対し、そして芸術に対してデーモンのように極めた作家です。その文豪谷崎が小さい頃より晩年まで不安障害があったとは大きな意外でした。今回はこ
の岩波氏の新書に沿って、谷崎の不安障害の系譜を書いてみたいと思います。

 
「谷崎潤一郎は、明治19(1886)年東京市日本橋蛎殻町(現中央区日本橋)において生まれた。潤一郎の祖父久右衛門は一代で成功した『にわか成金』の商人だった。彼は活版所や洋酒、米の仲買などで新時代に財産を築いた。谷崎というは母方の姓で、戦国時代の武将である蒲生氏郷氏の家臣にその名が見られるという。

 潤一郎の父倉五郎は酒問屋の出身であったが、婿養子として谷崎家に入り、三女せきと結婚した。潤一郎はその次男であるが、長男は出生直後に死亡したため、戸籍上は長男として届けられている。

 母親せきは、錦絵のモデルにもなった美貌の女性であった。母には谷崎と同様の神経症の傾向がみられた。谷崎精二(潤一郎の弟)の記憶によれば、きれい好きだが度を越しており、家に帰ると必ず塩と軽石で手を30分余り洗っていたのだという(『明治の日本橋・潤一郎の手紙』谷崎精二、新潮社)。」(197頁)


 これは不潔恐怖による洗浄強迫です。即ち、潤一郎の母には強迫性障害がありました。

 
「またせきには、パニック障害の症状もみられた。深夜に精二は突然、父親に起こされたことがあった。母が苦しがっているから、大至急医者を呼んできてほしいのだという。精二は急いで医者の家まで行き、医者はすぐ往診に来てくれたが、診察しても母親の身体にまったく異常はみられなかった。」(197頁)

 これは、夜間睡眠中に起こったパニック発作と思われます。即ち、母せきにはパニック障害もありました。

 そのような中で、潤一郎は小さい頃から様々な不安症状を示していました。即ち、潤一郎は母せきから典型的な不安体質を引き継いだと言えます。まずは学童期における分離不安です。

 
「倉五郎の代になって、谷崎家の家業は急速に衰えた。それでも谷崎の小学校入学当時は、乳母が付き添って登校するなど、経済的余裕はみられていたようである。一緒にいた乳母の姿が見えなくなると、谷崎はたちまち泣き出して学校から帰ってくることもあった。」(198頁)

 谷崎の学業は順調で、東京府立一中、一高と進み、「明治41(1909)年東京帝国大学国文科に進学した。このときすでに、文学の道に進むことを心に決めていた。この当時谷崎は精神的に不安定になることがみられ、中学からの友人である笹川の家が所有していた茨城県の別荘で静養している。

 
「この谷崎の『神経衰弱』は、20歳の頃よりみられた強迫症状と広場恐怖を伴うパニック障害が悪化したものである。当時の谷崎には、ある言葉が浮かんでくると、それがいつまでも頭から離れないという強迫観念がみられた。また地震などに対する『死の恐怖』もひんぱんに出現した。」(199頁)

 「短編『悪魔』は伯母の家に下宿している佐伯という大学生が従妹の女性に翻弄される話であるが、その中に次のような記述がある。

 
『名古屋から東京に来る迄の間に彼は何度、駅で下りたり、泊まったりしたか知れない。今度の旅行に限って物の一時間も乗っていると、忽ち汽車が恐ろしくなる。(中略) 「あツ、もう堪らん。死ぬ、死ぬ。」 かう叫びながら、野を越え山を越えて走って行く車室の窓枠にしがみ着くこともあった。いくら心を落ち着かせようと焦ってみても、強迫観念が海嘯のやうに頭の中を暴れ廻り、唯わけもなく五体が戦慄し、動悸が高まって、今にも悶絶するかと危ぶまれた。さうして次の下車駅へ来れば、真っ青な顔をして、命からがら汽車を飛び降り、プラットホームから一目散に戸外へ駈け出して、始めてほっと我れに復った。』」(195頁)

 この記述は、谷崎自身が体験したパニック発作に基づいています。流石に文豪だけあって、表現は生き生きとしています。谷崎には、この他にも映画館や床屋での空間恐怖が語られ、典型的なパニック障害である事が判ります。パニック障害は30歳代で消失していますが、強迫性障害は晩年まで続き、いい意味で創作活動に影響しています。

 
「谷崎はこうした時間に対する強迫観念に加えて、小説と同じ生活をしなければ執筆にとりかかれないという習性があった。『春琴抄』の執筆時においては、小説のように食事の箱膳を古道具屋で買い求めてこれを使った。『源氏物語』の現代語訳を執筆している際には、自宅の内装を源氏の舞台のように平安朝に似せた造りに改装している。」(194頁)

 その徹底性、こだわりは強迫性障害から来るものですが、しかしそれがためにその時代、物語の中に入り込んでしまうような感情を含めた生き生きとした表現が生み出されて行ったわけです。芸術至上主義と言われる最高の芸術には病を孕んでいる部分があります。正に不安の力です。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.64 2011 SPRING