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病(やまい)と 詩(うた)【61】—ボクはやっと認知症のことがわかった—(ケセラセラvol.107)

東京大学名誉教授 大井玄

先日、聖マリアンナ医科大学名誉教授の長谷川和夫さんが老衰で亡くなった。九十二歳だった。
職業上認知症にかかわりがあるなら「長谷川式認知症スケール」を使ったことのない人はいないだろう。彼は自身が嗜銀顆粒性認知症にかかっていることを公表し、朝日新聞のインタビューでは「『隠すことはない』『年を取ったら誰でもなるんだな』と皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」と、専門医である自分が認知症になった意義を語っている。
その後も「認知症というのは決して固定した状態ではなくて、認知症とそうでない状態は連続している。つまり行ったり来たりなんだ」と、専門医であり認知症当事者でなければ語れない経験をのべている。
回想すると、私も長谷川先生の教えを受けた一人だった。

「ボケ老人」に会うまで

私は学生時代にも、医師になってからも、ふらふら寄り道ばかりする出来の悪い人間だった。
臨床医としては一九六四年に東大医学部付属病院の第三内科に入局したが、一年足らずしてアメリカに行き、ペンシルヴァニア大、デューク大附属病院で臨床訓練を受けた。日本はちょうど学園紛争の時期で、それに関わっていた弟は東大病院北病棟の開館に際して逮捕され、半年以上巣鴨の拘置所に拘留されていた。
心痛のあまり母が狭心症の発作を続発するようになり、私は帰国した。就職先は東京都立衛生研究所で、ドバトを捕まえ地域の鉛汚染の状況を調べることだった。臨床から一転して環境衛生という社会医学の一分野で仕事をするようになったのである。しかし、疫学などの公衆衛生学的手法を知らないでは仕事を続けることはできない。疫学とは、日本とアメリカの新型コロナ流行パターンを比較するように、疾病などの健康に関する問題について、集団と集団を比較する学問である。アメリカに戻り、ハーバード公衆衛生大学院でマスターの学位を取ることになった。

帰国後、東大医学部の衛生学教室に移った。始めたのが当時の表現で「在宅痴呆老人」の疫学的調査だった。

杉並区の開業医の方たちの協力を受け、クリニックを訪れる高齢者で性と年齢をほぼ合わせた「正常老人」と「痴呆老人」を紹介してもらい、認知能力(長谷川式認知症スケールを使用)と妄想、幻覚、夜間のせん妄などの周辺症状、家庭環境条件を調べた。予期していたように周辺症状は認知能力の低下とともに増加していた。

臨床においては、長野県佐久市保健課とともに、これも当時の表現で「寝たきり老人・呆け老人」の宅診事業に参加した。本格的に認知症高齢者を診療しはじめたきっかけだった。
介護者の苦労話をよく聞き、認知症や寝たきりの当事者を丁寧に診察するのが主な仕事だったが、これぞという治療方法のないのが切なかった。判らないことは老人科医や精神科医に走っていき質問するのだが、彼らもこれという答えを用意していないのだった。

ある時、認知症老人の介護者から質問された。「うちの義母は夜騒いだりするので入院させてもらったのです。病院では落ち着いて騒ぐことはなくなったのですが、家に戻るとまた騒ぐのです。どうしたものでしょうか」。答えられるはずもなく、老人痴呆についての大家、長谷川和夫先生の教授室を訪れた。彼は教室員から「ボケ老人」と綽名されていると聞いていた。

人間関係というストレス

長谷川先生は物静かで学者らしい白哲の風貌の持ち主だった。「病院では落ち着いているのに帰宅すると、夜間せん妄のような周辺症状が出るのは、なぜですか」と質問すると、彼は眉を少しひそめて答えた。「うーん、それは私にも判らないのですよ。しかし患者が退院帰宅すると、また症状が出るだろうということは、私も、いや研修医などでも予測できるのです。たとえば、介護者が見舞いに来て患者と話をして帰った後、患者がしくしく泣いている。こういう時は、まず必ずと言っていいほど症状が現れますな」。
先生の答えは示唆的で、私たちの予想に合うものだった。「そうだ!介護者との人間関係の良しあしが周辺症状の発現につよく影響しているに違いない!」。人間関係は、認知症高齢者にとって、つよいストレス源となっているはずだ。

私たちのグループには心理学専攻の者もおり、みんなで相談して「主要介護者虚弱老人・人間関係スケール」をつくった。これは小さい子供と親との関係を調べるスケールに準じたものだった。つまり、言語的表現が比較的あてにならず、態度の方が両者の関係を現していると考えるのだ。たとえば母親に「あなたのお子さんを愛していますか?」と聞くならば、そうでなくとも「はい」と答える確率が高いだろう。
もし子供がほんとうに可愛いなら、抱き上げてキスしてあげることが多いだろう。

このスケールを用いて、長野県佐久市、東京都杉並区、沖縄県名護市で調査した結果、どこにおいても人間関係の悪い群と良い群とでは、周辺症状の発現率に明瞭な差が認められたのだった。人間関係が悪い群では、よい群に比べ、常にはっきりと、周辺症状が多く現れていた。

さて当時、在宅高齢者認知症の人口当たり有病率は、東京と沖縄県佐敷村では全く同じ四パーセントだった。ところが佐敷村では認知症高齢者に周辺症状を現すものがまったくないのに、東京都では半数に周辺症状があり、二〇パーセントに夜間せん妄が認められた。私たちの調査で得られた知見は、この状況の解釈に有益であった。つまり東京には、認知症高齢者が安心して生活できる環境が、佐敷村にくらべて、べらぼうに少なかったのである。

自分がなる「認知症」

認知症になる確率は加齢とともに増えていく。七十代前半では数パーセントだが、後半になると一〇、八十代前半では二〇、後半で四〇パーセントに達し、超高齢の九十代には過半数を超える。
その大部分を占めるのがアルツハイマー型認知症である。つまり「人生百年」の時代には、長生きする者は認知症になる覚悟が必要になってくる。その時どのようなケアを社会が用意すべきなのか。

東京大学医学部精神科教授、都立松沢病院長などを歴任した松下正明さんは、かつて日本老年精神医学会の基調講演で聴衆を驚かせたことがある。それは、超高齢者の大部分を占めるアルツハイマー型認知症は特別の病気というよりも老耄の現れだ、というものだった。両者において脳の病理的知見に差が見られないし、臨床症状も酷似している。
その意味合いは明らかだろう。長生きすれば「認知症」になるのは、老化の現れとして自然だということである。

長谷川和夫さんは認知症になって、『ボクはやっと認知症のことがわかった』を書かれたが、それは実感であろう。認知症になって初めて、外から見た認知症ではなく、内から体験する認知症理解が可能になったのだ。

日本の認知症対応は、常に、外から認知症高齢者を見てきた。それは「なにもわからなくなった人」であり、「ケアの対象になる人」という見方だった。私たち誰でもが認知症になるまで生きる時代には、長谷川さんの「認知症とそうではない状態は連続している」という内からの発見をふまえ、認知症高齢者には「主体的に人生を生きる人」つまり「自分自身」として対応しなければならない。
それはデンマークなど北欧において行われ始めている対応であり、かつて沖縄の佐敷村でも行われていた高齢者への対応である。要約すれば、住み慣れた地域で、敬意をもって、生活支援をすること、と言えよう。

冬の夜や 銀河に急ぐ
                 ボケ老人

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