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不安のない生活(19)私の参禅記

医療法人 和楽会 理事長 貝谷久宣

坐禅を始めて10年余になる。当初は自分勝手の野狐禅であったが、最近やっと少しまともになりつつある。

坐禅のきっかけは、玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書を見てのことである。
その本には悟りの状況を調べた米国の脳研究が紹介されていた。この著者は坊さんであるが、進んだ考え方の人で、次のように記している。

“…「お悟り」が特殊な脳の状態によって引き起こされる幻覚に過ぎないと言っているように聞こえるかもしれないが、それは違う。むしろ逆に、「お悟り」といえども脳が特殊な状態になることで意識の変容が起こり、それによって感じられるリアリティだということだ。どう転んでも我々は、おそらく脳を通さないリアリティなど感じることが出来ないわけだが、そこでは「お悟り」という現象も科学的に説明されつつあるということなのである。
「お悟り」を脳機能から説明することに、抵抗を感じる禅僧は多いだろうと思う。しかし、それが明らかに実感したリアルな体験だというなら、むしろ表現する方法が増えることを喜ぶべきではないだろうか。…”

私は脳機能を根底に考え仕事を進める精神科医であるので、この考えには即座に共鳴した。そして、坐禅瞑想に関する神経科学的な文献を漁った。私の興味を最も引いた論文は瞑想をしている人は大脳皮質とりわけ前頭前野(専門的にはブロードマン第9、10野)が厚くなるというものであった。
一般的には脳の灰白質は年齢とともに薄くなっていく(萎縮していく)のであるが、瞑想を一週間に平均6時間、9年間続けた人では年齢に関係なく厚くなっているという研究結果であった(Lazarら、2005)。この部分は人間でもっとも発達した高級な精神機能を司る脳部位であると言われている。このことを知って、私は俄然坐禅に興味を持つようになり、自分自身でやる決心をした。

私が坐禅を始めたのは別の素地もあったと思われる。高校・大学時代に剣道をやってきたが、剣道の稽古の前には常に静坐・黙想をした。坐禅に比べるとほんの短時間であるが、このような習慣も坐禅にわが身を引き付ける契機となったのであろう。剣道では「剣禅一如」といって、禅との共通性が論議されてきた。禅は今この瞬間を生きることを大切にし、その修業は克己的であり、生死の哲学に立ち向かわなければならない剣士の精神に通じるものがあった。

 

私は坐禅をはじめのうちは書斎で、ものの本から学んだ方法で自分勝手にやっていた。私は丁度坐禅を始めようと決心した頃鎌倉に住み始めていた。そこで、鎌倉で坐禅をしている寺を探した。そして、初めて坐禅に訪れた寺が臨済宗の名刹報国寺であった。報国寺には迦葉の仏像を祀る立派な坐禅堂があり、毎週日曜日朝7時半から30人以上の古参居士が集まる坐禅会が催されていた。ここは歴史がある本格的な坐禅会であった。しかし、住居をまた東京に戻すことになり、だんだん足が遠のいてしまった。今度は東京で坐禅の出来る寺を探した。幸い私の宗派と同じ曹洞宗大本山永平寺別院長谷寺が自宅から車で15分のところにあることが分かった。毎週月曜日の午後7時から暇を見つけては参加している。師のない坐禅はなかなか本物には近づけないといった意味のことを何かで読んだことがあった。

昨年の夏、私は自分の坐禅を一段と本格的にする機会に恵まれた。私は信州茅野にある地元の大名諏訪氏を祀る曹洞宗の名刹少林山頼岳寺の方丈岸田栽華老師に師事することにした。爾来、毎月1日から5日まで朝5時から参禅している。朝5時から坐禅を始めるためには4時15分に起床しなければならない。これは私にとってかなり辛い修行である。
しかし、この寺の本堂の一部屋で静かに坐り、滝の音と鳥や虫の音を聞き、朝ぼらけを迎える贅沢はたとえようがない。また、坐り始めて40分前後にはじまる老師の説教は貴重なものである。そして、坐禅の終わりが近いことを告げる殿鐘の音、戒尺といわれる小木を打つ音、坐禅の終止符の小鐘(放禅鐘)の音、それぞれ趣のある音を耳にするのは最高の風流である。坐禅が終わると本堂でのお勤めに参加する。読経は般若心経と大悲心陀羅尼である。後者のお経は原語で意味はよくわからないがその節回しが大変おもしろくそのうちに覚えてやろうと思っている。お勤めが終わると時に軽い作務を短時間行い茶話会である。老師は大変な読書家で禅だけでなく広い教養人でその話は貴重である。中でも道元禅師の偈頌であれば話は尽きることがない。

さて、坐禅をして何になるのか? 脳機能云々から入った坐禅であるがその奥は深い。坐禅には無限の功徳があると言われているが、修行の心得は「求心、頓に止むべし」といわれ、坐禅は手段であってはならないと戒められている。坐禅を始めて得た私の大きな喜びは大井玄先生という知己を得たことである。また、私が坐禅を始めて最も喜んでいるのは家族であろう。それは私の感情のなかの「怒」がほとんど消えたからだ。

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