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病(やまい)と詩(うた)ーウィリアム・S・クラーク先生(3)ー(ケセラセラvol.79)

東京大学 名誉教授 大井 玄

札幌農学校の発足

クラークは明確な教育理念を持っていた。知識の獲得と同時に道徳心の涵養と身体を強壮にする体育が伴うべきだというものである。彼はそれをマサチューセッツ農科大学でも札幌農学校においても推し進めようとした。
彼の道徳心とは当然キリスト教に基づくから、耶蘇教嫌いの北海道開拓長官 黒田清隆の了解を得なければならない。教育は知育、徳育、体育という三点セットでされるべきである。自分はクリスチャンであり教える倫理はキリスト教に依らねばならない、というクラークの主張を黒田は受け入れ、教育方針の一切を彼にゆだねた。そればかりか北海道開拓全般に関する彼の意欲的な提言を尊重し、取り入れている。彼の提示した計画は言うまでもなくマサチューセッツ農科大学の農場をモデルにしたものだった。いずれにせよ黒田のクラークに対する信任は非常なもので、クラークは妻への手紙で黒田長官は絶えず自分に相談をもちかけ、いつもその忠告や助言に従ってくれる、と述べている。

身体の調子は上々、仕事に不足なく(中略)雇い主は理解があり、私の仕事を評価してくれ、実に事がうまくいっています。(中略)私は金で買えば大変な額になる地所をすっかり任され、日本のお役人の監督なしで、そこでの売買の権限を始め、使用人の人事権、建築や改築の権限、それに私のサインだけで会計から自由に支出させる権限が与えられているのです。

いまや彼はまったく自分の思い通りに仕事ができ、一緒に仕事する人たちは彼を尊敬してくれ、彼もその人たちを尊敬でき、マサチューセッツでのように新聞を向こうに論争する必要はない。それに、彼の教える相手は、熱心で感受性に富み、才能豊かでしかも教師を心から敬愛する学生たちだった。

 

徳育者としてのクラーク

当初学生の総数は24名だったが、クラークは学力不足の者を直ちに退学させ、16名で出発する。いきなり三分の一が淘汰された。
「紳士たれ」〝Be gentleman〟は学生が守るべきただ一つの鉄則だった。つまり自己の良心に従って自己規制するのだ。紳士的でない行為をした場合には直ちに退学である。
彼は授業の前に各人の氏名を書いた英語の聖書を渡し輪講を行った。これがその徳育の中核だった。学生は聖書や讃美歌の名句を暗唱し、祈りをささげた。
讃美歌を彼は歌うのではなく朗吟するのだが、とくに愛誦した章句は美しいものである。その響きを味わうためまず英文を挙げよう。

Just as I am, without oneplea.
But that Thy blood was shed for me,
And that Thou bid’st me come to Thee,
O Lamb of God, I come
いさおなき我を
血をもて贖い
イエス招き給う
み許にわれゆく
(讃美歌271番)

クラークは誓約を書かせるのが好きだったらしい。マサチューセッツ農科大学では、学生に服従の誓約を書かせようとして失敗している。幸い日本の学生はアメリカの青年よりはるかに従順だった。徳育の一環として禁酒禁煙の誓約を起草し自ら署名した。携行したワインを廃棄し、同行のアメリカ人教授二人にも署名させた。ちなみに彼らはマサチューセッツ大学の第一回生で、クラークの弟子だが、学生時代の彼らはストライキの際も、弁論大会出場辞退騒ぎのときも、学長が強圧的に要求した誓約署名を拒否している。
日本において彼が目指したキリスト教的道徳教育は、「イエスを信ずる者の誓約」として結実した。誓約書の内容は、当然、クラーク自身のキリスト教観を反映する。
聖書を神の唯一直接的啓示として認めること。創造主かつ支配者であり最後の審判を行う永遠の神を信ずること。神を全身全霊をもって愛すること。悔い改め、神の子を信ずる者は罪の赦しを受けることなどはキリスト教の教理として当然の内容だが、「福音の招きに応ずることを拒む者はその罪の中に滅び、主の御前から永遠に追放されるものであることを信ずる」など、福音主義色彩の濃い文言もある。
クラークは自分の目で学生たちがクリスチャンになるのを見ていない。彼の帰国後第一期生、二期生の有志が受洗し、約半数が棄教する。しかし残りが1882年に札幌独立教会を設立する。内村鑑三はその一人だった。

 
後に北海道帝国大学総長になる佐藤昌介は、信仰でも長老格だった。誓約書は彼が保管し、署名を希望する者の頭に手をのべ英語で祝福をささげて署名させた。彼のクラークにあてた棄教者についての手紙は、その福音信仰がやはり純真だったのを物語っている。

(前略)多くの激論の末、山田と佐藤勇と安田の三人が、もうキリスト教を信ずることができないから、誓約書から名前を消して欲しいと言ったのです。何と惨めな罪人よ。何と不幸な者たちよ。かかる暗黒に落ちるとはなんと哀れなことよ。彼らは罪と情欲とのゆえに死への道を選んだのです。(後略)

だが、同じころ十七歳の山田がクラークに送った棄教の説明は、やはり誠実で胸を打つ。

先生、私は一年間というもの、より良い人生を歩むべくキリスト教を信じようと熱心に勤めてまいりました。ところが、キリスト教を知れば知るほど、嫌になってくるのです。他の学生と違って、私の良心がキリスト教を素直に喜ぶことを許さないものですから、私はしばしば泣いてしまいました。そこで長い黙想のあとで、偽善の中に生きるよりは良いと思い、私はキリスト教を捨てる決心をしたのです。先生、私の悲しみは先生の悲しみより大きいと思います。というのは、先生の御親切を思いだすたびに私の心は痛み、何を食べても前のようにおいしいと感じられないのですから。私はキリスト教を棄てましたが、私は私の身体が再び土に帰る日まで、先生の御親切を忘れないでいることを覚えていてください。将来いつか、できればキリスト教を信じたいと強く願っています。キリストの宗教は棄てても、キリストの教えの中には実に良い教えがあり、それを守っていきたいと思っています。

 

(次号に続く)

 

 

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