フクロウblog

医療法人和楽会の「フクロウblog」です。治療や講演会などの様々な情報をお届けします。

病(やまい)と詩(うた)【45】 ー東日本大震災復興への歩みー (ケセラセラ vol.91 冬)

東京大学 名誉教授 大井玄

 

かつて国立環境研究所に勤めていたという縁で、福島の被災地の復興状況を見るスタディ・ツアーにお招きを受けた。

2011年3月11日、東日本でマグニチュード9・0という観測史上最大の地震が起き、大津波が襲ったのはまだ記憶に生々しい。2万人を超える人たちが命を失い、福島原子力第一発電所は冷却機能を失い、炉心はメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が漏出し、周辺地域の約10万人の住民が避難を余儀なくされた。
岩手、宮城、福島などの海岸から内陸の平地を津波が飛沫をあげ呑み込んでいく光景は、連日テレビで放映され、全世界に伝えられた。

しかし人々がもっとも恐れたのは放射能による健康被害であった。わたしの知人は、中東の国の大使として派遣され、事件の数年前に退官し、東京に住んでいた。たまたま奥さんがスイス人だったが、震災後スイスの実家から毎晩電話で危険な日本にとどまるなという執拗な要請があり、彼女は夫を置いて帰国してしまった。
また友人のドイツ人とブータン人のカップルは事件直後シンガポールに避難し、その1年後にはアメリカに移住した。
国内での風評被害ももちろん大きかった。福島県産というだけで農産物、果実、魚類が購買されなくなった。
では放射能汚染の健康影響はどうであったか。

続きを読む


将棋の話ーその2ー (ケセラセラ vol.91 冬)

医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック 院長 吉田栄治

 

2017年の将棋界は、中学生棋士・藤井聡太四段の破竹の快進撃に始まり、最後は羽生善治棋聖の竜王位奪取、永世七冠の達成で大いに盛り上がりました。羽生さんは本来であれば2008年に獲れたかと思われた初代永世竜王の資格を三連勝後の四連敗で渡辺明竜王に持っていかれて、以来、この称号を獲得するのに9年かかってしまいました。天才羽生をしてもこれほどかかってしまったんですね。

それにしてもこの永世七冠というのはとてつもなく凄いことです。将棋界には七大タイトル(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖)がありまして(今年から叡王が一つ増えて八大タイトル)、タイトル獲得が五期連続か通算で七期あるいは十期などの規定に達すると永世称号を獲得できるのですが、これまでに永世称号を一つでも獲得した棋士は羽生さんを含めてたった10人しかいない。大変な猛者たちの中で一つのタイトルを獲るだけでも大変なことで、永世称号を獲ろうと思ったら、そのタイトルを五期連続で維持するか通算七期とか十期、獲らないといけない。その永世称号を羽生新竜王は全部獲ってしまったわけです。

続きを読む


大人のADHD (ケセラセラ vol.91 冬)

医療法人和楽会 横浜クリニック 院長 海老澤尚

 

最近「大人の発達障害」という言葉をマスコミやネットでよく目にします。発達障害には自閉スペクトラム症(以前、アスペルガー障害や自閉症と呼ばれていた疾患を含む診断名です)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(障害)などが含まれます。発達障害は主に小児の疾患と考えられていました。しかし最近では、大人になってもその特性が残り、仕事や日々の生活に支障をきたす場合が少なくないことが明らかになっています。ここでは大人のADHDについて解説します。

大人のADHDは欧米の研究では人口の2.5%~3.4%(1)(2)に、日本の研究では1.65%(3)に存在するとされています。ADHDは小児では男性の方が多いですが、大人では男女差は小さくなります。
ADHDの特性には注意散漫と多動性・衝動性があります。
ADHDの特性は幼小児期から存在するはずですが、軽い場合は「そそっかしい」「忘れ物が多い」「落ち着きがない」「個性的」「集団行動が苦手」という性格上の特徴として捉えられ、大きな問題にならないこともあります。学生時代には、本人の特性を家族や友人・学校の先生などが容認・サポートしてくれる保護的な環境にいるので表面化せず、大人になって働き始め、本人が独立してコミュニケーションをとり、業務を遂行しなければならなくなって初めて問題点が表面化することもあります。職場や生活環境の変化後にADHDの特性が目立つようになり、気づかれることもあります。多動性・衝動性は十歳代で目立たなくなることが多いですが、注意散漫は成人後も残ることがしばしばあります。

続きを読む


なごやメンタルクリニック院長就任にあたって (ケセラセラ vol.91 冬)

医療法人和楽会 なごやメンタルクリニック 院長 岸本智数

 

平成30年1月より、なごやメンタルクリニックの院長に就くことになりました、岸本智数です。

私は医学部を卒業後、研修医として京都府立医科大学精神医学教室に入局しました。2年間の研修医時代に、私が師事したのが土田英人先生でした。研修医の私にとって、土田先生は薬物療法や認知行動療法など治療に直接関係することだけでなく、他の医師や医療従事者、患者さんやご家族との接し方など、精神科医として、医師として、社会人としてのまさしく師となりました。5年目に大学院に進んだ際にも、医学部入学前に農学部を卒業したことを踏まえて、基礎研究に取り組んでみたらどうかとアドバイスをしてくださったのも土田先生でした。大学院での研究は、マウスの脳神経細胞を用いたもので、その道はなかなか険しいものでしたが、そんな時土田先生から非常勤の話を提案されました。「名古屋にすごい先生がいる。その先生のクリニックで勤めることで、岸本君にとって絶対に勉強になる。」、そのような内容でした。そうして勤めたのが、なごやメンタルクリニックであり、出会ったのが貝谷久宣先生でした。

当時医師になり6年目、まだまだ未熟で、自分がどのような精神科臨床の道に進むのかビジョンが全く見えていない状況でした。そんな中で、なごやメンタルクリニックで目の当たりにした、理論とエビデンスに基づいた薬物療法、認知行動療法による治療は、これこそ私がしたかった診療だと強く感じたことを覚えています。

続きを読む


上杉謙信の寺 (ケセラセラ vol.91 冬)

医療法人和楽会 理事長 貝谷久宣

 

先日、NHK BSプレミアム番組「偉人たちの健康診断」の制作プロデューサーから上杉謙信を取り上げるのでマインドフルネスの解説をして欲しいという連絡があった。制作担当者は、戦国武将最強と言われた上杉謙信の強さの秘密は瞑想にあると推測したからである。
謙信は1530年に越後の守護代・長尾為景の末子として春日山城で誕生した。幼名虎千代は6歳に城下の林泉寺・天室光育和尚に預けられ、教育を受けた。13歳で元服し景虎となり、越後の国栃尾城の主となった。その翌年には初陣を勝利で飾り、以後、合戦には常勝で、21歳の時越後の国を統一した。26歳の時、一族の反乱にあい、自己嫌悪に陥り、仏門に入るため高野山に向け出奔してしまった。その理由は、常に、正論を主張する謙信は戦国の世知辛い家来たちをまとめるだけの世間常識に疎かった為だったのだろう。また、上杉謙信はひらめきタイプの人間で、理詰めで家臣を説得するのが苦手であったのではないかと思われる。6歳から7年間の禅寺での修行が謙信を直截的で清廉潔白な人間としたのであろう。
しかし、結局、謙信は家臣に連れ戻され元のさやに納まった。それから、川中島の戦いは合計5度におよび、戦国武将として死ぬまで大活躍をした。

続きを読む