フクロウblog | 大井 玄 先生のコーナー

医療法人和楽会の「フクロウblog」です。治療や講演会などの様々な情報をお届けします。

病(やまい)と詩(うた)【48】ー老耄という適応ー (ケセラセラvol.94 秋)

東京大学 名誉教授 大井玄

 

「人生百年」という言葉が聞かれるようになった。私の記憶では、つい最近まで「人生五十年」といわれたものである。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」織田信長が本能寺で亡くなったときは47歳であった。日本人の寿命は古代から中世、近世にいたるまで30~40代だとされている。
その平均寿命が初めて50年を超えたのは、1947年で52歳だった。それが、あれよあれよという間に延び てきて、現在では男が83歳、女は87歳という。
戦争による死亡や餓死がなくなった。乳児死亡は減少し、コレラ、赤痢、チフスなどの急性感染症は制御された。亡国病といわれた結核にも対応できるようになった。
悪性新生物でも、小児白血病は大半が寛解あるいは治っている。私が医学生であったころ、肝臓がんで1年生きる 人は少なかったのに、現在は10年生きる人がざらである。
平和が続き、医療技術が発達し、予防医学的システムが 社会に行き渡るようになった結果が、先進国に現れた超高齢社会である。

続きを読む


病(やまい)と詩(うた)【47】ー麻薬と絶望死ー(ケセラセラvol.93 夏)

東京大学 名誉教授 大井 玄

 

ドナルド・トランプ大統領は、予期されたように、テレビ・ショーの司会者らしい派手なパフォーマンスを政治・外交・経済の面で繰り広げている。
しかし、社会の健康に関心を抱く医師の視点からは、トランプ氏自身が、病むアメリカ社会の「症状」に見える。それを現す社会の基層に流れる生と死にかかわる現象に目を向けざるをえない。

その顕著な一例がオピオイド系鎮痛剤摂取による死亡の急激な増加であろう。この現象は、後述するアメリカ白人の「生存戦略意識」に関係するように見えてならない。
世界で臨床医にひろく読まれるニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌は、この4月、オピオイド系鎮痛剤による死亡者数が1999年から2015年にかけてアメリカでは約3倍に急上昇していると報じた。
2016年だけでも、オピオイド系鎮痛剤の過剰摂取による死亡は64,000件に上ったということから、疫病の大流行をおもわせる。この数字はべトナム戦争を通じた米軍兵士の戦死者数を超えるのだ! 続きを読む


病(やまい)と詩(うた)【46】ー痴呆老人の懸念ー(ケセラセラvol.92 春)

東京大学 名誉教授 大井 玄

 

わたしは生涯を通じて非政治的でナイーブな人間であった。現在は老耄の旅人として夕闇迫る荒野をとぼとぼ歩いている。わが身に何が起こっても驚かない、悲しみもしない。それでも世の中を見渡すと心配する種はある。アメリカ大統領ドナルド・トランプが朝鮮半島に先制攻撃を仕掛けることである。戦争が始まれば、初日に百万人が殺される可能性があるというスタンフォード大学の推測がある。

続きを読む


病(やまい)と詩(うた)【45】 ー東日本大震災復興への歩みー (ケセラセラ vol.91 冬)

東京大学 名誉教授 大井玄

 

かつて国立環境研究所に勤めていたという縁で、福島の被災地の復興状況を見るスタディ・ツアーにお招きを受けた。

2011年3月11日、東日本でマグニチュード9・0という観測史上最大の地震が起き、大津波が襲ったのはまだ記憶に生々しい。2万人を超える人たちが命を失い、福島原子力第一発電所は冷却機能を失い、炉心はメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が漏出し、周辺地域の約10万人の住民が避難を余儀なくされた。
岩手、宮城、福島などの海岸から内陸の平地を津波が飛沫をあげ呑み込んでいく光景は、連日テレビで放映され、全世界に伝えられた。

しかし人々がもっとも恐れたのは放射能による健康被害であった。わたしの知人は、中東の国の大使として派遣され、事件の数年前に退官し、東京に住んでいた。たまたま奥さんがスイス人だったが、震災後スイスの実家から毎晩電話で危険な日本にとどまるなという執拗な要請があり、彼女は夫を置いて帰国してしまった。
また友人のドイツ人とブータン人のカップルは事件直後シンガポールに避難し、その1年後にはアメリカに移住した。
国内での風評被害ももちろん大きかった。福島県産というだけで農産物、果実、魚類が購買されなくなった。
では放射能汚染の健康影響はどうであったか。

続きを読む


病(やまい)と詩(うた)【44】 ー恥ずかしがりやが生まれる歴史ー (ケセラセラ vol.90 秋)

東京大学名誉教授 大井玄

 

8月初め、ヘルシンキでは日中の最高気温は20℃前後。暑さ寒さに弱い私にはセーターが必要だった。
10日余りの短い滞在だったが、認知症高齢者の施設、露店や書店や料理店、美術館、郵便局、バスさらに通行人などとのやり取りから、ある種日本人に似た雰囲気を感じた。
それは、アメリカはもちろん、英、独、仏などの国々では感じなかった優しい、内向で他者を気にする気質といって良いだろう。
日本人の気質は、狭く貧しい地域で他者と平和に生きる歴史を通じて形成された。フィンランドではどうだったのか。

続きを読む